三十五 追憶と傷痕
三月十七日は土曜日だ。公立中学の邸中学校は本来、授業のない土休日には校舎内に入れない。
しかし二年A組に関しては例外だった。準備の進まないのを憂えた上川原から、
『土日も教室と体育館で作業ができるように、事務室と話を付けておいた。強制はしないから自由に出入りしてくれ』
と、提案があったのである。
普段の登校時間と同じ、午前八時。樹が教室のドアを開けると、そこにはすでに最も合わせたくなかった顔があった。
「何しに来たのよ」
振り向いたのは梢だった。棘だらけの言葉を浴びせられるのは慣れたことだったが、こうして面と向かって言われてみると、心が少し重たくなる。
「……ちょっと」
小さな声で答えた樹は、カバンを置こうと足早に席に向かいながら、ふと梢の手元を見た。机の上には何もない。梢も特に何かをしていたわけではないのか。
「福島は何しに来たんだよ」
尋ねると、梢はつんと面を前へ向けてしまった。「別に」
そういう返答が来るのは分かりきっていた。
自業自得だろ、俺──。ため息を深呼吸に変えて、樹は前を見据える。たぶん梢もそうなのだろうが、樹だって何の用もなしにここへ来たのではない。
柚の完成させられなかった『桜』の段ボール製巨大文字を作り上げるために、登校したのだ。
段ボールは教室の隅に積み上げられている。型は柚が持って帰ってしまっているけれど、フォントとサイズさえ知っていれば樹でも用意できる。型を用意してきたクラスメートが、文書ソフトで標準使用扱いになっている明朝体のフォントを使っていると言っていたのを、何もせずに製作風景を見守っていた樹は偶然にも覚えていたのだった。
段ボールカッターもある。材料もある。適当に取り出した段ボールを床に広げ、型を印刷した紙を乗せ、昨日の帰りがけに買っておいたカーボン紙を重ねて下書き線を引こうとすると、
「……何してんの?」
無機質な声が、背中に振り掛けられた。
樹は顔を上げずに答えた。「揃ってない文字、作ろうと思って」
「そう」
梢の声が近い。足音がして、梢は樹のすぐ後ろに立った。
監視されているようで気分が悪い。樹はまた、深呼吸をした。
(気にすんな)
段ボールにカッターを入れる。集中のスイッチを入力するには、まずコツを掴むのが肝要だ。どの方向から裁てば綺麗に切れるか、どうすれば曲線を滑らかに切り進められるか……。手付きに慣れるに従ってコツが掴めてくると、作業の速度も徐々に上がってゆく。
切り終えた『桜』の文字が、見る間に三枚ほど積み上がった。
(何枚くらい重ねればいいんだったかな)
完成品を確認しようと、樹は立ち上がった。
背後に視線を感じて、そこでようやく梢の存在を思い出した。振り返ると、もう梢は自分の席に戻って、カッターを振るう樹の背中をじっと見ているところだった。
……やはり、気まずい。
唇を固く閉じて、前を向き直す。梢の声が樹の視線を追い越した。
「そのくらいで帳消しになるとか、思わないでよね」
「そんなこと……」
反駁しかけた樹だったが、やめた。梢との確執の原因を忘れるほど、樹も愚かではなかった。立場が弱いのは樹の方だ。
今はとにかく、下手に。誠実に。──そうしていつの日か、この歪みきってしまった関係をも修正することができたら。
休憩もそこそこに樹は作業を再開した。必要な数の段ボールを型に沿って切り出し、揃ったらボンドで正確に貼り合わせ、一抱えもあるような文字を仕上げていった。
梢はいつの間にか、教室を出て行っていた。
◆
祖父──柾の帰りは、今日も遅いらしい。
自室に荷物を放り出した樹が向かったのは、掃除機をかけて回っている家政婦の朝日のところだった。朝日さん、と声をかけると、彼女は掃除機を止めて微笑む。
「ですから『朝日』で構いませんのに……。ご両親もそう呼ばれてますよ」
「親、今日は?」
尋ねてから、自称『出張中』だったのを思い出した。出張という名分を使っている時は、たいてい二人で旅行をしているのが実情である。それが証拠に、『出張』の前後になるとよく食卓の上に旅行ガイド本が置き去りにされている。
「……頼みがあるんだけど」
言い直した。朝日が居住まいを正したのを見て、続きを口にする。
「じいさんってさ、自分の昔のアルバムとか日記とか、残してたりしないかな。大掃除の時とかに見かけてない?」
「それでしたら、見かけたことはありますよ」
掃除機を傍らに置いた朝日は、樹を連れて表へ出た。
指差したのは蔵だ。いつか柚に『家系図を見つけた』旨の連絡をもらったあと、負けじと宮沢家の家系図を探しに入った場所である。
ほこりまみれの室内を、朝日のペンライトが照らす。やがて白い光の輪が、古びたスチール製の箱に当たって煌めいた。
「こちらだったと思いますが……。無断で覗いても構わないのでしょうか」
「何か言われそうなら、俺が勝手に発掘したことにしとくから」
そんなことより今は中身が知りたい。箱を手に取った樹は、すぐに外へ出て蓋を開いた。ぎゅう詰めにされたたくさんの大学ノートを、夕闇色の空が橙色に照らし出す。【日記 1944-11】とある。
これだ、と思った。
すぐさま箱の中の捜索にかかった。目当ての日記帳は一九四五年、三月と四月の分。じきに一番深いところから、二冊を発見して掴み上げた。
この年の春、『松原柄命と杳の縁者の再会』という条件を満たし、春待桜は数百年ぶりに開花した。柾も梅もその開花を同時に見届けている。そして二人とも、『あの時は好きな人がいた』という意味深長な証言をしているのだ。その相手を、確かめたかったのである。
さしあたり、ページを開いてみる。丁寧な手書きの文字が、時おり震えたりにじんだりしているのが見受けられる。
樹はその内容を追った。
【三月十日(土)
午前一時、腹に響くような音で目が覚めた。昼になって聞いたところでは、山手線の向こうの下町が、猛烈な数の敵機に襲われていたらしい。東の空は赤黒く変色して、不気味な光景に胆が冷えた。昨日、青梅線で新宿へ出ていった友人がいたが、安否が気掛かりでならない。】
三月十日。のべ十万人もの死者を出したと言われる空前の惨劇、東京下町大空襲の日である。
遭ったことのない戦火の光景に、樹は思わず息を呑んでいた。──違う、今回の目的はそれではない。浮かんだ景色を塗り潰すように、ページをめくる。
【三月十三日(火)
拝島の駅前の方で新たに畑を開墾するというので、そこに駆り出された。こんな処に爆弾を落としても何も良いことはないだろうと誰もが口にしている。しかし内心では、少し前に国民学校の処へ敵機が機銃掃射をしていったのを忘れてはいまい。彼らは何故、この長閑な町をも狙うのだろう。】
【三月十七日(土)
初めての空襲から一ヶ月が経つ日。南の方で桜の開花が始まったとラヂオが伝えた。三多摩に春の便りがやって来るまで、もう後少し。春待桜は今年も蕾咲きのままか。】
【三月十九日(月)
今日は梅さんと良く話を交わした。心が浮わついて上手く筆を執れない。】
(これか)
紙をめくる手が止まった。そこに記された名前を、樹は幾度となく見返した。
梅。間違いなく、そう書いてある。
樹の知る梅と言えば、柚の祖母だ。この時点で柾と梅は『心が浮わつ』くほど親しい仲にあったことが窺える。
そうなると──。春待桜の開花した日の記述を、樹は急いで探す。
【三月二十一日(水)
俄には信じられないことだが、今日、春待桜が開花した。
邸中の校庭の桜が綺麗だと云うので、花見をすることになった。初めは松原の町内の者を集めてやっていたのだが、午前十一時頃であったか、話を聞き付けた田中家の人々がやって来た。梅さんは元気そうだ。花見の集いから距離を取って、相変わらず強情に咲かない春待桜の近くで話をすることにした。
梅さんの通う南の方の学校では、間もなく学徒動員が行われると聞いた。山梨か長野にでも往くらしい。これは大変だ、離れてしまえば胸の内も語れなくなると思い、桜の真下に来たところで思い切って想いを伝えてみた。
ああ、何と云うことか。梅さんは微笑んでくれた。有り難うと答えてくれた。
春待桜が一斉に開花したのは、その瞬間であったと思う。頭上で爆弾が炸裂したのかと見紛うほどの勢いで花びらを吹き、風に乗って舞い上がり、やがてそれらは雨の様に降り注いだのだ。暫く見惚れて居たら親たちがやって来て、これは大変だと大騒ぎになった。僕も梅さんも居た堪れなくなってしまって、照れ笑いを繰り返すばかりだった。
春待桜は夜になっても咲いている。外では未だ、花びらの雨が降っているようだ。人生で最上の日とは、きっと今日の様な日の事を云うのだと思う。】
田中梅。これで苗字の情報も一致した。遡ること七十数年前、柚と樹のように二人も出逢い、恋に落ち、そして春待桜が開花していたのだ。
達成感にも似た快感が、ぞわりと樹の肌を這う。
(でも、そうだとすればどうして、あの二人は一緒にならなかったんだ?)
日記を閉じて、樹は赤銅色に変じつつある西の空を見上げた。柾も梅も、今なお拝島に暮らしている。付き合い続けることが難しかった理由でもあるのだろうか。
四月の日記も取り出していたのを思い返して、樹はそちらを拾い上げた。
【四月四日(水)
深夜一時に敵襲があった。空襲警報に起こされて夢中で防空壕に逃げ込んだが、立て続けに響く爆発音で耳が潰れそうだった。立川の方、航空工厰や航空技研の辺りで大被害が出たと大人たちが口々に話していた。
停電と断水で生活が不便になってしまった。今は戦時、銃後であっても懸命に戦わねばならぬ時であるのだと、久々に思い知らされた気分だ。
桜は今日も見事に咲き誇っている。戦火など知らぬ存ぜぬの桜の心持ちが、少し羨ましい。】
【四月十九日(木)
今日も午前十時、警戒警報が発令された。間もなく敵の戦闘機が隊列を組みながら空を飛んでいくのが見えて、必死で防空壕に籠る。が、どうも敵機の目標は松原ではなかったらしく、特に何も起こらず一時間半ほどで警報解除になった。八高線の多摩川鉄橋に日本の飛行機が墜落したそうだ。
近頃は僕の家の周りも然る事ながら、梅さんの家のある地区への空襲がないかどうか心配でならない。】
【四月二十二日(日)
今日は久々に梅さんとゆっくり話す時間が取れた。梅さんの学徒動員はなくなったそうだ。拝島への空襲は増える一方なので、喜んで良いのかどうか分からない。もう警戒警報のサイレンは聞きたくない。】
【四月二十九日(日)
午前零時半頃、警戒警報発令。もたもたして防空壕に入れずにいると、数百メートル程の上空を大きな機影が燃えながら通過して往くのが見えた。二度、三度と地面を揺るがすような爆発音が轟いて、東の方角から複数の炎。
最悪だ。敵の大型爆撃機が、梅さんの家の方に墜落したそうだ。
大人たちの間でも何が起きたのか判然としていない。確認しに向かった警防団の人が、田中の家がやられた、跡形もないと叫んでいた。
朝になって詳しい調べが入ったら、まるで幾つもの爆弾が殺到したような被害で、人体の破片を発見するのすら困難だと……。確認はできないが全滅らしい。
正午過ぎにも小さな空襲あり、航空厰の辺りに爆弾が落ちたらしい。
梅さんの姿は、誰も見ていない。】
【四月三十日(月)
警防団の人に聞いた。田中家からは一人の生存者も発見できず。疎開や転居の記録もないので、正式に『全滅』と認められた。
今日はもう、何もしたくない。】
これは一体、どういうことなのだろう。
(そんなはずない。だって柚のお祖母さん、生きてるじゃないか)
樹は何度もその箇所を読み返した。とにかく田中家が大規模な被害を受けたのは事実なのだろう。そして確かに、梅がそのとき避難していたという話は見当たらない。
日記はそれより後、すっかり意気消沈してしまったように、空襲の模様や発生した出来事を淡々と綴ってゆく。八月に入ったところで起きた二日の空襲を最後に、日記上での被害記録は終わった。二週間後には玉音放送のあった旨が書かれている。
警防団とやらは生存者の確認を怠ったのか、それとも確認の余裕すらなかったのか。理由は分からないけれど、少なくとも梅は柾の中では死んだことになっているようだ。
(だから、今も……?)
樹は顔を上げた。夢中で読み耽っていたせいか、空の灯りは紫色にまで落ちていた。母屋に戻っている朝日が、そろそろ様子を見に来るかもしれない。読み終えた日記を閉じて、汚さないように箱に仕舞い込む。
明日は柚の家に行こう、と思った。柾では埒が明かないだろうし、梅自身に話を聞いてみなければダメそうだ。
樹の求める真相の底は、まだ、遠い。
「このまま墓場に持っていくよりも、話してしまった方が役に立つかもしれないね」
▶▶▶『三十六 自業自得』




