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桜の雨、ふたたび  作者: 蒼原悠
参 アクセプト・プレイア
30/69

二十六 つぼみは春を待つ





 先祖から末裔を探すことは可能なのか──。その問いに上川原が出した答えは『ほとんど不可能に近い』だった。

 あらゆる歴史書を徹底的に読み込んで、その家に関するヒントになる記述を探し、現在の居住地域をある程度まで特定してから電話帳や地図帳を調べれば、確かに末裔の発見は不可能ではない。だが、それには途方もない時間や労力が要る。朝一番に職員室を訪れた柚と樹に上川原が突き付けたのは、そんな決して上手くはいかない現実なのだった。

 失望した二人だったが、ついでのつもりで持ち込んだ用件が思わぬ結果をもたらすことになる。


「こりゃ、崩し字だな」

 上川原は二つの巻物を覗き見、苦い声を発した。

 柚は恐る恐る尋ね返した。「あの、崩し字って何ですか?」

「草書体のことだ。英語で言うところの筆記体みたいなもんでな、字の省略が多くて解読がなかなか厄介な代物だ」

 道理で読めなかったはずである。柚と樹は顔を見合わせた。巻物のうち一方は、柚の持ってきた梅の家系図。もう一方は樹が家の倉庫で探し出してきたという宮沢家の家系図だ。発見を柚が伝えたところ、それなら俺も探してみると樹も深夜まで蔵を漁り、見つけたらしい。さりげなく『蔵』という言葉が出てきても特に驚嘆を覚えなかったあたり、柚も順調に宮沢家の富豪っぷりに慣れてきている。

「それで、読めるんですか」

「そう()くな宮沢。ま、読めることは読めるが、ちょっとばかり時間がかかるだろう」

 背後の棚から漢和辞典を取り上げながら、上川原は二人を交互に見()った。「しかし図書室で見た時といい、永享記の時といい、近頃のお前たちは本当に仲がいいな。いったいどうしたんだ」

 上川原が不思議がるのも無理はなかった。かつての柚と樹と言えば、たびたび(いが)み合う険悪な隣人同士に過ぎなかったのだ。

 お前が答えろよと言いたげに、そっぽを向いた樹が脇腹をつつく。くすぐったくてちょっぴり身をよじりながら、

「えっと、その……色々あったんです」

 柚は小さな声で答えた。答えているうちに照れてきて、しまいにはうつむいてしまった。

 色々とあったのは本当である。たとえば柚が告白してしまったり、樹がそれを受け入れたりと。

「……ま、青春しているんなら、私は構わないんだが」

 何をどう捉えたのか、上川原もつぶやいた。柚はますます顔を上げられなくなる。

「昼休みにもう一度、ここへ来てくれ。今日は暇が多いから、何とか読んでみよう」

「……ありがとうございます」

 珍しく、樹が先にお礼を口にした。



     ◆



 今年も春待桜に、つぼみがついた。


「クラス写真を撮ろうと思う」

 朝一番にそう提案したのは、上川原である。月曜日の一時限目は学級活動だ。

「しばらく前に話したことだが、邸中学校の閉校に伴って、お前たちにも閉校式の日にアルバムが配られることになっている。そのアルバムに載せる集合写真を用意したいんだ。咲かないのは致し方ないとして、せめてつぼみでもいいから春待桜の前で撮ろうと思ってな」

「賛成賛成!」「いいと思いまーす!」

 たちまち教室中から賛同の声が挙がった。

 カバンの上で組んだ腕に顔を半分ほど埋めたまま、樹は黙ってその光景を眺めていた。隣の柚は何も言わなかったが、ニコニコと笑っている横顔からして、嬉しそうにしているのは一目で分かった。

(集合写真か……。写りたくないな、俺)

 そう思いはしても、それを実行に移すほどの拒否感が()き起こっているわけでもなく。

 上川原が決を採っている。どちらにも手を挙げなかった樹以外のほぼ全員が、賛成に回ったらしい。わらわらと立ち上がるクラスメートたちの姿が、たちまち視界を埋め尽くす。

「行こうよ」

 柚の声に樹は顔を上げた。机に手をついて樹を覗き込みながら、ね、と柚が微笑んでいた。

 樹は薄目のまま、柚に(たしな)めの意思を送る。

「……そんなに学校の中で俺に馴れ馴れしくしてると、お前また村八分にされかけるぞ」

「その時は、その時だよ」

 樹の警告は柚にはいっこうに響かない。仕方ないなと、樹も重たい腰を持ち上げた。柚の笑顔に引きずられたという面も、ないわけではなかった。

 春待桜が無数のつぼみを枝先につけるのは、三月半ばの拝島の風物詩だ。去年、樹もこの校舎から、つぼみに彩られて薄い緑色を帯びた春待桜を眺めたものだった。葉をすべて落とした裸同然の姿でも、どっしりと根を張るその様は変わらぬ大樹の威厳を湛えている。そのつぼみがやがて力を失ったように落ちると、葉が生え、春待桜は青々と生い茂る姿へと変わってゆくのだ。だが、その変化を樹たちが目にするチャンスは、もう二度と巡ってはこない。

 何だかんだ言っても楽しみにしてたのかな、俺──。柚の背中を追いながら、そんなことを思う。


 他のクラスでも同じように春待桜で写真を撮るようで、桜の前にはプロのカメラマンがすでに待機していた。カメラマンの指示のもと、背の高い順に三列に並んで写真を撮った。

「はい、それじゃあ二枚目行きますよー! 二枚目はそうだなぁ、楽しそうな感じで撮りましょうか。みんな好きなようにポーズを決めてくれるかなー?」

 威勢のいいカメラマンの声に、みんなはわいわい騒ぎながらピースサインを作ったり有名人のポーズを真似したり、思い思いの姿になる。困った樹も渋々、適当に二本指を立てた。

 吹き寄せた風が頭上を飛び越えて、春待桜の枝を揺らしていく。枝が可笑しそうに笑い声を上げた。もしも柚の言うように春待桜に感情があるのなら、今、彼は何を思うのだろう。嬉しそうにも寂しそうにも見えなくて、樹はふと、ため息をついた。

 体育や部活をやるたびに邪魔者呼ばわりするくせに、こういう時だけ近寄ってきてシンボルツリー扱いする。そうやって考えてみると、中学生なんて勝手なものだ。

 望んだわけでもないのに校庭の真ん中に立たされ、他の木々から引き離され、毎日のように砂煙を浴びせられながら、それでも黙って生徒たちを見守っている。校庭を臨む窓の外に凛として立つ春待桜の、その強さと逞しさが、樹にはときどき羨ましくなる。

 孤独なら孤独で構わないから、その冷たさに耐え得るだけの強さを持ち続けたい。それが無理なら、いっそ“協調性を欠いている”と言われる自分そのものも変わってしまいたいけれど。

「柚ちゃん、あたしたちと一緒に肩組もうよ!」

「えーっずるい! 柚はうちらと一緒にポーズ決めるんだよ!」

 梢や周りの女子たちが、樹の一段下にいる柚を笑顔で奪い合っている。柚も楽しそうに応じている。今や単なる隣人ではなくなってしまった柚の後ろ姿を眺め、

(俺みたいなのでも中神となら……なんて。やっぱり、らしくなかったかな)

 二日前の胸の内を、樹は改めて思い起こしたのだった。




 写真撮影の興奮も覚め()らないまま、柚たちは教室に戻ってきた。学級活動の時間はまだまだ余っているが、このあとの時間は好きに使っていいと上川原からすでに言われている。となれば、やることは一つ。

「閉校式の飾り付け作りを進めよう!」

 誰からとなくそう言い出した。すぐさま梢が、用意していた材料をロッカーから取り出した。

 作るのはペーパーフラワー五十個、文字や絵を書き入れた画用紙製の花びら百枚、そして段ボールを組み合わせて作る『ありがとう桜と邸中』の九つの立体巨大文字である。七日後の十九日までには設営を終えることになっているので、それまでに完成を急がねばならない。段ボールカッターを調達しに数人が工作室へ向かっている間に、さっそく残りのメンバーを二つに分け、ペーパーフラワーや花びらの量産に取り掛かる。柚はペーパーフラワーを作る側になった。

 ところがこれが、意外と難しい。一つ目でいきなり(つまづ)いた柚は、呻いた。

「うーん、上手く紙が広がらないや……」

 ペーパーフラワーは数枚の薄い紙を重ね合わせて蛇腹(じゃばら)に折り畳み、中央を糸で括って先を切り、それを広げることで完成する。それまで黙って窓の外をぼんやりと見つめているばかりだった樹が、見せてみろと言わんばかりに横から手を伸ばした。

「こうやるといいんだよ」

 樹は器用に紙を広げ、目を細めながら高さやバランスを整えてゆく。あっという間に一つ、桜色のペーパーフラワーが樹の手の中で完成してしまった。

「手際いいなぁ」

 相変わらず万能な樹に感心しつつ、柚は文句を加えることも忘れなかった。「そんなに手際よく作れるなら、宮沢くんも手伝ってくれればいいのに」

「あんだけ人手があるんだし、俺なんかがわざわざ手を出さなくても終わるだろ」

「もう…………」

 頬杖をついて外に視線を戻してしまった樹に、嘆息しつつ。でも、さりげない気配りには感謝しつつ。柚も見よう見真似で、二つ目のペーパーフラワーに取り掛かる。

 樹の無愛想は必ずしも、ただ我を張っているわけではない。空気の変容を先読みしている時だってある。そんな捉え方をしているのはきっと、柚だけのはずだ。







「それにしてもお前たち、どうしてそんなに驚いてるんだ?」


▶▶▶次回 『二十七 霹靂』

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