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桜の雨、ふたたび  作者: 蒼原悠
参 アクセプト・プレイア
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二十一 タデとムシ




「──んで、なんでわたしたちがわざわざ隣街まで使いっ(ぱし)りさせられなきゃならないわけ?」

「ほんとだよねー。しかも雨降ってきてるのにさぁ」

「しょうがないでしょ。実際、うちら部活もなくて暇なんだから」

「あそこで棗が『はいはい暇でーす!』とか言わなきゃよかったんだよー」

 前を歩く子たちが、笑い合いながら愚痴を垂れている。

 周囲を見回してみても、制服姿の女子生徒ばかり。邸中の制服のプリーツスカートは、ダークグレーと桜色のチェック柄である。なるほど、確かにこうして後ろから見てみると、他所の学校の生徒と見間違えることはまず、なさそうだ。

 いつか別々の制服を(まと)って、みんなでまた出掛ける機会が巡ってくるのかな──。先を行く子たちの背中にイメージを重ねながら、柚は梢と一緒に最後尾を歩いていた。

 『文具・装飾』と書かれた案内板が見える。少し濡れた袖を気にしつつ、あれだね、と梢が言った。


 どうにか装飾案が決まったはいいが、それには大量の道具やアイテムが必要だ。簡単に手に入る段ボールはともかく、数に限りのある学校の備品は配布できないと説明した上川原は、

『【邸中学校閉校式】の名前で領収書を作ってくれれば、費用は学校側で負担することになっている。というわけで、申し訳ないが必要なものはお前たちの方で買って揃えてくれ』

 と申し出たのである。誰が買いに行くかで()めた挙げ句、部活に入っていない暇な人が買い出しに行くことになり、柚や梢たちに白羽の矢が立ったのだった。

 隣街の昭島駅前には、モリスクエアという巨大なショッピングモールが建っている。百円ショップから文具専門店、さらには工芸雑貨店に至るまで入店しているそうで、『ここなら何でも揃うでしょ!』という梢の発案で訪問が決まった。

 必要なものは段ボール、クレープペーパー、お花紙、結束バンド、そして大量の画用紙。久しぶりにみんなで出掛けるというのに、折しも天候は昼前に崩れてしまい、すっかり雨天だ。


「ピンク色の画用紙を五十枚……でございますか?」

 柚たちが尋ねると、文房具店の店員は目を丸くした。

 そりゃ驚くよねと柚は苦笑した。それだけの数、普通は直接メーカーから仕入れるだろう。ちなみに一枚から二つの花びらを切り出すので、花びらの数は全部で百枚になる計算である。

「……やっぱ、そんなたくさん置いてないですよね」

「いえ、少々お待ちください。ただいま在庫を確認して参りますので」

 諦め顔になりかけた面々を見て、店員はすぐさまどこかへ早足で向かっていく。よかった、と安堵の息がみんなを包み込んだ。思いきり伸びをした一人が、あたりを見回しながらぼやいた。

「あーあ。せっかくモリスクエアまで来たんだし、何かお買い物していきたいなぁ」

「分かる分かる! 春物の服とか見に行きたいよね」

「ねー、梢。画用紙受け取るのは梢ひとりいたら十分でしょ? ちょっと、ほんのちょっとだけ、新館の方のお店を回ってきてもいい?」

 そんなところだと思ってたと言わんばかりの顔になった梢は、はいはい、と笑った。こういう時、梢はまるで役割として決まっているみたいに、いつも自分で負担を引き受ける。

「やった! それじゃ、あとでね!」

 ばたばたとみんなが駆け出していった。モリスクエアに来たのが初めての柚には、みんながどこに向かっていくのかの見当すらつかない。

「柚ちゃん、行かないの?」

 梢に尋ねられた。柚は頷いて、みんなの背中を目で追うのをやめた。

「あんまりブランドものとか分かんないし、お小遣いもたくさんあるわけじゃないし」

「実はあたしもそうなんだよねー。別に着飾って魅せる相手がいるわけじゃないし、手の届かない値段の服に夢中になっても仕方ないよなって思っちゃって」

 あははと梢は無邪気な声を上げた。こういうあっさりしているところはある意味、梢らしい。

 着飾って魅せる相手がいるから、お洒落をする。そうか、そういう意味もあるよねと、柚は今さらのように気付かされた思いだった。そうなると柚の場合、魅せる相手は樹になるのか。

「…………」

 柚は無言でうつむいた。どうしよう、余計なことに思いを馳せたせいで、こんなところで今朝の火照りが蘇ってきてしまった。

 しかも間の悪いことに、そうとは知らないはずの梢が言葉を投げ掛けてきた。

「そういえばさ、柚ちゃん昨日、宮沢のこと追い掛けてったけど、あのあと何かあったの?」

 柚は目を見開いた。顔の赤いのは隠しようもなかった。

「ど、どうして突然⁉」

「どうしても何も、あたしたちずっと気にしてたんだよ? 教室に戻って来たとたんに柚ちゃんは机に突っ伏すし、宮沢はそのまま五限目をサボるし、どうしたんだろうって……」

 まさか暴力を振るわれたりしてないよね──。柚を見つめる梢の眼差しに、そんなメッセージが込められているのを感じた。とんでもない、誤解である。誤解だが、それを証明するためにはありのままの事実を話さなければならない。梢の見せる反応の予想がつかないのが恐ろしい。おまけに店員がちっとも戻って来ないから、話題の逸らしようもない。

 それでも柚は、逃げることを選んだ。

「な、何もなかったよ。ほんとに何も」

「何もないわけないじゃん。ねぇ、教えてよ。痛い目に遭ったならあたしたちだって」

「……まさか復讐するとか言わないよね?」

 柚は思わず梢の言葉に言葉を重ねていた。梢が目をしばたかせて、言い淀む。

 やっぱり、そんなところか。柚はなんだか気落ちしてしまった。

 仕方ないことなのは分かっている。樹が周囲からそういう風に見られていることも、それに値する十分な根拠があることも、柚はもう知っているから。けれど、そのままでいいだなんて思いたくないのもまた、本心なのだ。春が来て別々の学校に通うことになれば、和解の機会はもう、永遠に失われてしまうかもしれないのに。

(そうだよ。全部、本当のことなんだもん)

 一瞬の躊躇(ためら)いに恐怖心をぜんぶ振り払って、柚は梢を直視した。その段に至ってようやく、梢も柚の顔の赤らんでいるのに目がいったようだ。口が小さく開いた。

「ゆ、柚ちゃん?」

「宮沢くんのこと『好き』って、言ったの」

 驚くと目が点になるというのは真実なんだなと、梢を見つめながら感じた。梢は二度、三度とまばたきをして、残酷にも「ごめん、もう一回言って」とつぶやいた。

「宮沢くんのこと、『好き』って……言った」

「…………」

 梢が言葉を失った。柚も遅れて炸裂した羞恥心に包まれて、梢のことをそれ以上見つめていられなくなった。どうしよう、言っちゃった──。つい十数秒前の決心も忘れて、恥ずかしさと後悔でその場から逃げ出したくなる。悶えたくなる。

 それからまたしばらく時が経って、やっと梢が声を絞り出すように感想を口にした。

「……いや、うん、その、えっと、(たで)食う虫も好き好きって言うし、それは柚ちゃんの好みの問題だと思うし、あたしが軽々しく口を突っ込んでいいのか分かんないけど……」

 柚は黙って首を縦に振った。今のは蓼が樹で、虫が柚か。どちらにせよあまり気持ちのいい例えではない。

「本気であいつのこと、好きなの?」

 直球で聞かれてしまうと、自信がどことなく欠けてしまう。ついでに声量も欠けて、柚は細い声で答えた。

「……た、たぶん」

「そっか……。まぁ、あいつ勉強できるし、スポーツもできるし、家柄もいいんだろうしなぁ。性格悪いのを良しとするなら理想の彼氏(おとこ)なのかなぁ」

 髪をがりがりと掻きむしりながら、梢は案の定、ひどく困惑している様子だった。あちらこちらに忙しなく走り回る視線が何度も柚で交差する。なんだか自分が品定めをされているような気がして、柚も居心地が悪かった。

(私、万能なところなんかに()かれたわけじゃないのに)

 不服な気持ちを抱きつつ──ふと、疑問が湧き出した。

 校長の孫であることは本人の口から聞いている。でも、家柄がいいというのは柚には初耳である。

「宮沢くんの家がどんなところか、知ってるの?」

 聞くと、梢の表情から困惑の色が消え去った。梢はうんと頷いた。

「そうか、このへんで育ってない柚ちゃんは知らないか……。宮沢ん家って、この辺でも有名な大地主なんだよ。聞いた話じゃ駐車場とかアパート、たくさん持ってるんだって」

 樹の嫌いそうな話だと直感的に思った。道理で聞いたことがないのだろう。

「家の前を通ったこともあるんだけど、ぐるっと塀で囲まれてる立派な邸宅でさー。いいとこのお坊っちゃまだから性格が歪んだりとか……あ、その、ごめん」

「いいよ、謝らなくても」

 柚は苦笑いした。そんな変なタイミングで気遣いを挟まないでほしかった。

「告白はしちゃったけど、宮沢くんの気持ちはまだ、聞けてないし」

「そっか……。あ、だから昨日の宮沢、なかなか教室に戻って来なかったわけか……」

 それからも梢は自分を無理やり納得させようとするみたいに、何度も無言で頷くことを繰り返した。

 驚かれはしたけれど、そこまで否定的には思われていないらしい。欠片のような安堵を手のひらで包み込みながら、それでも火照りが消えることはなくて、柚もただ「うん」を繰り返した。戻って来た店員から大量の画用紙を受け取って、梢が他の子に電話をかけて呼びつけるのを隣で眺めた。

 宮沢くんが校長の孫なのは、黙っておいてあげよう──。そう、思った。







「逃げんなよな。……その代わり俺も、もう、逃げたりしないよ」


▶▶▶次回 『二十二 “普通”の形』

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