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桜の雨、ふたたび  作者: 蒼原悠
弐 アトラクテッド・ガール
13/69

十 予言は告げる




挿絵(By みてみん)




 “予言”の日が来た。


 月曜日の朝は、一週間に一度の朝会の時間である。普段ならば校長が手短な訓示を垂れ、あとはせいぜい事務連絡くらいであっという間に解散する朝会。これまで二度ほど朝会には参加しているけれど、柚の見る限り生徒たちは総じて面倒くさそうだった。

 もちろん、今日も。

「校長が館内放送でしゃべれば用足りるのになー」

「分かる! なんでうちらが校庭にわざわざ出なきゃならないんだろーね!」

 なんて不満を口にしながら靴を履き替えるクラスメートたちを横目に見ていると、柚だって疑いたくなってしまう。本当にこんな空気の中で、重大発表があるのかと。

 だが、今回は違った。

 登壇した校長の一言目が、いきなり集まった生徒たちの軽い気分を吹き飛ばしたのだ。




『──朝会の冒頭ですが、皆さんに残念なお知らせをしなければなりません。……我が校の校庭を彩るあの桜の木について、伐り倒すことが決まりました』


 校庭に並ぶ生徒たちの間に、衝撃が走ったのが見てとれた。何人もが泡を食ったように背後を振りあおいだ。風の音にも似たざわめきが、校庭にそびえる春待桜の周囲を漂ってゆく。

 春待桜の予言は、見事に的中したのだ。身体中に走った寒気をこらえようとして、柚は思わずつぶやいていた。

「本当に、知ってたんだ」

 隣に立つ梢が、何が? とでも言いたげに眉を上げる。その顔にも小さなしわがいくつも走っているのを目の当たりにしながら、ううん、と慌てて柚は首を振って誤魔化した。

 梢に話してみてもいいだろうか。一瞬、悩んだが、やっぱり弱気になってしまう。

(あんな荒唐無稽な夢の話、ぜったい信じてもらえないだろうし……)

 ぼやいてから、少し表情が引き締まった。ともかくこれだけは言えそうだ。──夢で柚の会ったあの武者は、本物なのだと。

 そんな二人の肩の向こうで、校長の話はさらに続く。

『あの桜は我が邸中学校のシンボルツリーです。保存できるよう業者と交渉を重ねたのですが、樹齢数百年と伝えられるあの桜の内部はかなり腐食が進行しているとみられ、あまつさえ倒木の危険もあるとのことで……。やむを得ず、切り倒す判断をしたのです。どうか理解をしてほしい』

 ざわめく生徒たちを前に、そこで言葉を切った校長は壇上で深々と頭を下げた。それが合図だったかのように静寂が舞い降りてきて、校庭の喧騒は途端に収まった。

 生徒たちの間には、それなりにショックが広がっているようだった。伝説は知られていないのに、桜そのものの認知度と愛着は強いのか──。ちらりと後ろを振り仰いだ柚は、背後に無数の手を広げる春待桜を見て、ため息をついた。

 桜は黙って風に吹かれている。

 きっと伐り倒されるその瞬間まで、あの桜は人間の前では知らんぷりを貫き通すのだろう。

 内心では伐られてしまうことを良しと思っていないはずなのに。──柚の夢に現れて、枕元で助力を訴えようとしたあの日の春待桜の姿が狂言だったようには、柚には思えなかった。否、思いたくはなかった。

 だとしても、胸のうちの漠然とした不安が消えるわけではない。

(どうして春待桜は私を選んだんだろう。あの桜のことなんて、私、ほとんど何も知らないのに)

 心の奥底で湧く、先行きの見えない不安。それから少しばかり芽生え始めた好奇心。そういうものを落ち着けたくてため息をついたのだと、揺れる桜を前に柚は考えることにしていた。




 その日は教室の空気も妙だった。いつもと変わらない様子で授業を受けつつも、誰もがどこかに何かを忘れてきたような顔をしていて。

 柚のもやもやと整わない心境もまた、いつまで経っても変わることはなくて。

「春待桜、か……」

 昼休みになってもまだ、柚は一人になると机に頬杖をついて、校庭をぼんやりと眺めながら名前を口にしていた。昼前から降り出した雨が、校庭の景色に白い霞をかけていた。

「柚ちゃんでも気にするんだね、あれのこと」

 日直の仕事を終えて戻ってきた梢が、柚の肩を軽く叩いて問いかけた。だって、と柚は言った。

「この間、おばあちゃんから聞いたんだよ。あの桜は何十年も咲いてない、咲かない桜なんだって」

「こないだ言ってた『春待桜の伝説』のこと?」

 頷く。

「あれが咲いてるとこ、あたしも見たことないな」

 斜め上を見上げて記憶を掘り出しながら、梢は渋柿を頬張ったような表情になった。「っていうか、そもそも中身はもう枯れちゃってるんだと思ってたけどな、あたし……。それに咲かない桜なんてそんな、そのへんによくある都市伝説じゃあるまいし」

「だけど毎年きちんと、つぼみも葉っぱも繁らせてるわけでしょ? おばあちゃんは何十年も住んでるから、本当じゃないかって思うんだ。そんなことでウソついたって、何にもならないもの」

「そりゃそうだけど、でもなぁ……。科学的に有り得るのかな、そんなこと」

 その点を疑問に思ってしまっては、元も子もないわけで。

 枯れててもいいから立ってて欲しかったのになー、と梢がぼやく。柚はまばたきをして、春待桜をじっと見つめた。雨のカーテンの向こうに佇む春待桜が、そうやって考えると時々、この世のものではないように思えてしまう。

 土に水の染み込む静寂が淡々と響いている。──そこに、隣の席の樹の舌打ちが不意に割り込んだ。

「何度言ったら分かるんだよ。俺の席の近くで大声でしゃべるなっての」

 不愉快そうな声色に、柚はその場で固まってしまった。

 勉強中だったらしい。樹の手元にノートとペンが見えて、柚はたちまち居たたまれない気分になった。

 樹は音を立ててペンを置いた。よほど不満が溜まっていたのか、眉を下げた柚と上げた梢を前に苛々とまくし立てる。

「だいたいあんな邪魔な桜一本のことで、どいつもこいつもうるせえんだよ。余計な手間と金かけて保存しなくたって、あんな邪魔物さっさと伐り倒せばいいのに」

「邪魔なんて言い方、しなくても……」

 さすがに黙っていられなくて、柚は小声でつぶやいた。ふんと鼻を鳴らして樹はそっぽを向いた。

「邪魔だろ、あんなの。校庭のど真ん中を偉そうに陣取って、何が楽しいんだか」

 その言い草は、あんまりだ。

 珍しく反感を覚えて、無意識に柚は拳をきゅっと握った。握ってしまってから少しうつむいた。ダメだよ、冷静にならなきゃ──と。けれど、握った手のひらを解放することはとうとうなかった。

 別に柚が罵声を浴びる分には構わないのだ。そんなものは今までの日々の中で、とっくに慣れている。でも、きっと好きこのんであんな所に立っているわけではない哀れな境遇の春待桜のことを、そんな風に言い捨ててしまうのは、やっぱり、違う。

「……邪魔かどうかを決める立場にあるのは、宮沢くんじゃないと思う」

 柚も樹の真似をして、相手の姿を見ずに答えた。樹が露骨に鼻息を漏らした。

「そんなのはどうでもいいんだよ。うるさいって言ってんの、俺は」

「自分の席で話しちゃいけないの?」

「話なんか他所(よそ)でもできるだろ」

 ちょっと止めときなよ、と梢が囁きながら袖を引っ張るが、柚は無視した。ここまできたらもう意地の張り合いだ。樹の隣人にされてしまった柚には、常日頃から、樹のために色々と我慢させられている面があるのである。

「前から思ってたけど、私、そもそも宮沢くんに指図される筋合いなんてないと思う」

「筋合いとかの話じゃねえんだよ。迷惑なんだよ」

「そんなの私には関係ないもん。何もかも自分を中心に考えないでほしい」

「あ?」

 樹がのそりと立ち上がった。内心では震えが止まらなかったが、悪いことはしていないのだからと言い聞かせて、柚は懸命に樹を睨み付けた。樹の方が背が高く、自然と見上げる形になる。

「宮沢くんはいつもいつも自分勝手だよ。たまには私が自分勝手になったっていいじゃん!」

 樹の瞳に怒りの焔がちらついた。売られたケンカを買わないような穏やかな性格をしているようには、残念ながら柚には見えない。

「お前────」

 樹が柚のようにして拳を握った、その時。

「はいはいご両者、そこまでそこまで!」

 後ろからヌッと出てきた太い腕が、二人を分断した。大柄なその腕の持ち主は、林だ。

 いつの間に──。柚は少し驚いた。つい今しがたまで、前の席に座っていたはずなのに。

「…………」

 不愉快そうな沈黙を余韻に残し、樹はあっさり引き下がった。かと思うと本やノートを手にして、教室の外へと出て行ってしまった。

 目をぱちくりさせる柚に、林は苦笑いする。樹よりもさらに一回り大きなその体躯に、林が合気道部で(しのぎ)を削っていることを柚は今さらのように思い出した。

「こう見えてもけっこう上の方の段持ってるんだ、オレ。体力テストでも宮沢に負けたことないし。だからか分からないけどあいつ、オレが出てくると大概、矛を収める」

「へ、へぇ……」

 樹でも彼我の実力差は(わきま)えているということか。柚は樹の出ていったドアを見た。張り詰めていた空気がふっと緩んで、黙っていた梢が、大袈裟にため息を吐き出した。

「てか、珍しいな。中神ってもうちょっと温厚なタイプの人だと思ってたけど」

 席に腰かけた林は、首を傾げて柚に尋ねた。少し見開かれた目が、言外に伝えようとしている。──樹に口論を挑むなんて根性あるな、と。

 柚はちょっとだけうつむいて、指先をいじりながら答えた。一応、自分が周囲の空気を乱してしまった自覚はあった。

「あの校庭に生えてる桜のことで梢ちゃんと話してたら、宮沢くん、不機嫌になったみたいで」

「林はさぁ、なんか知らないの? あたしも棗も、だーれもそういうの聞いたことないんだけど」

 同じく席に座った梢が、続けて柚の言おうとしたことを先に口にしてしまった。あんまり柚が気にするので、梢も釣られて気になりだしたのだろうか。そういえば林を含め、男子陣には誰一人として質問したことがなかったのを柚は思い出す。

 意外にも林は間髪を入れずに頷いた。

「有名じゃん。春待桜伝説のことでしょ?」

 マジか、と梢が呻く。その横から柚は身を乗り出した。

「それ、聞きたい」

 梅の話以上の話が聞けるかもしれない。仮に聞けなくても、別の視点からの話を知れば違ったものが見えてくることもあるだろうと思ったのだ。


 林の話は五分に及んだ。それを要約すると、こんな物語が出来上がる。

 昔、この地には『松原家』という大きな家があった。この邸中学校が『昭島市松原町』という住所に位置しているのが、その名残だとされている。松原家は地域に親しまれる大地主だったそうだが、今、この町に『松原』という家は残っていないらしい。

 春待桜を植えたのは、そこのずっと昔の当主だったのだそうだ。彼は愛する人と別れてしまい、あまりにも大きなショックを受け、その心の傷を癒すために桜を植えたのだという。

 『春待桜』という名前をつけたのも、植えたその当主だった。しかし名前とは裏腹に、春待桜は春になってもいっこうに咲く気配が見られない。一説によれば春という季節ではなく、『春』なる名前の人物を待っているのではないかという。そのため春待桜には、『はる』という読みの入る名前の人と木の下で永遠を誓うと、それは本当になるという言い伝えがある。

 そして、梅の言った通り。植えられてから今日に至るまでの間に咲いたのは、約七十年前──終戦の年の三月二十一日の一度きりなのだそうだ。


「ま、誰も信じてないけどね、そんなの」

 机に座ったまま、林は笑う。

「いかにも実話っぽいけどさ。実際に告白とかして、そのあと結婚まで持ちこたえたカップルはいないらしいよ。むしろ本当の効能はカップルを別れさせることなんじゃないかって言われてるくらいだから」

「……試した人、いたんだ」

 柚はつぶやいた。縁結びの伝説にやたらと頼りたがるカップルは、やっぱりどこにでもいるものらしい。

 なんだ、と梢がつまらなそうに声を上げた。「本当にそんな不思議なチカラがあるなら面白かったのに」

「まあ、七十年前に咲いた理由だっていまだに判明してないらしいし、仕方ないんじゃない?」

 林は言いながら梢を見た。

「それとも二人とも、告白したい相手でもいるわけ?」

「違うよ!」

 梢と柚の声は、見事なまでに揃っていた。







「心の()り所というか、支えというか。……そんなことを思うのは私ぐらいのものでしょうが」


▶▶▶次回 『十一 揺れる決心』

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