メインクエスト:咽び泣くことのみが許された迷宮遺跡
「ご主人様。報告があります」
翌日。朝の挨拶の次に発せられたミントのセリフによって、俺の眠気は遠くへ吹っ飛ぶこととなる。
日光を遮るカーテンをどけて黄昏の夕日を全身に浴び。まだ互いにベッドの上で寝間着という準備が不完全なこの状態で。
水色のパジャマを身に纏ったミントは、そのもみあげに黒のリボンを巻き付ける自身の支度よりもと優先して。主人に報告ですとベッドの上で律儀な正座をしながら、改まった姿勢でその状況を知らせた。
「ニュアージュ様及び、NPC:ニュアージュとの一定のコミュニケーションを交わしたことによって、親密度フラグによる影響を受けたメインシナリオ:パターン二の進行を促す新たなフラグを感知いたしました。これにより、メインクエスト:パターン二によりますメインシナリオの進行が可能となります。こちらのメインクエストの依頼主は、こちらの宿屋のオーナーであります、NPC:キャシャラト・キャシャロットとなっており。クエストの受注条件は、キャシャラト様との顔合わせとなっているようです。キャシャラト様はただいま宿屋、やるせな・インのカウンター裏にございます故、受注の際にはラウンジへと赴くことで会話をすることが可能でございます」
とうとうその姿を現した、メインクエストの進行という壮大な規模のフラグ。
これも、親密度フラグによる要素が後押しとなって発生した、云わば分岐とも言えるであろう重要な運命の分かれ目の一つであり。同時に、このゲーム世界の行方を定める重要なシステムであるために、俺はこのフラグを見過ごすわけにはいかなかった。
そして、この黄昏の里におけるメインクエストによって、この黄昏の里の秘密を知ることができるかもしれないといった好奇心が冒険を促す原動力ともなる――
……はずだったのだが。今の俺には、メインクエストの進行という主人公として何よりも重要なこの展開に臨む気などは毛頭存在せず。今はそれどころではないなと、意識は既に他の事柄へと向けられていた。
「……メインクエストを進めたい気持ちは山々だが、その前にまずはニュアージュの様子を見に行きたいな」
ニュアージュ。昨日の化け物呼ばわりが未だに気になっていて、俺は昨日とて今日とて気が気ではなかった。
もちろん、彼女がそんなことをするようなキャラクターにはとても見えなかったが、やはりその真意というものは彼女自身にしかわからないものであって。メインクエストの前にと俺はまず、最低でもニュアージュとの挨拶を済ませておきたかったのだ。
その目的はあくまでも真意に迫ることではなくて、彼女の体調や様子を確認しておきたいだけというものではあるのだが――
「NPC:ニュアージュの現在位置を確認いたしましょうか?」
「いや、ユノとの挨拶や朝食もあるもんだから、その内に会えるだろう。だから、まずは朝食を済ませるとしようか」
「朝食……っ!」
朝から、ご飯に反応するミント。
その律儀な正座で瞳を輝かせるその姿を見て、なんだか、待てを指示された犬みたいだなぁ。なんていう感懐を持ちながら。
それじゃあ支度をしようということで、俺とミントは朝食のために酒場へと向かうことにした――
それからというもの、俺はいつもと異なる日常を過ごすこととなった。
というのも、ミントと共に朝食を済ませてから、朝の日差しを浴びるために外界へと赴いたというところまではいつも通りであったのだが。珍しいことに、この時点でユノとニュアージュの二人と出くわすことが無かったのだ。
今まではこの流れの内に双方、並びにどちらかと顔を合わせて挨拶を交わしていたのだが。そんな今までと異なる物事の進み方にちょっとペースを狂わされながら。まぁ会えなかったのであれば、先にメインクエストでも進めておこうかなと俺はキャシャラトのもとへと向かうことに。
……したのだが、やはりさすがはこの世界の命運を定める力を持つ強大なフラグだ。まさか、このフラグの出現という出来事が、この何気無い日常にも影響をもたらしていただなんて。そんな未知なる真相を知るに至るまでには、特段そこまでの時間を要することは無かった……。
「――あっ期待の青年君ちょっといいかい話があるんだ」
宿屋の玄関扉を開けて入ってきた俺の姿を見るなり、カウンターから乗り出して浮遊しながらこちらへと近付いてくるキャシャラト。
その口調はいつものように超が付くほどの早口ではあったのだが。それでも今日は特に速く、それでいて、何かただならない焦燥の調子を伺うことができた。
「はい、なんでしょうか」
「ちょっと良くないことが起こっているのかもしれないんだ。もし君が忙しい身でないのであればちょっとこのワタシのお願いを聞いてくれやしないかね。どうかな?」
一秒でも早くと。忙しなさを含んだその焦りの様相を見て。あぁ、今の今までメインクエストを放っておいていたのがなんだか申し訳無かったなぁ。なんていう呑気な思考をめぐらせながら。
それでいて、ニュアージュを探しながらでも進めていこうかと、ついでの意図を交えて俺は快く頷いた。
「あぁ期待の青年君ほんとに助かるよ。何せ今の事態で頼ることができる存在というものが君とあのお嬢ちゃんくらいしかいないものでね。今は正に緊急とも呼べる事態なんだということでもう今すぐにでも説明を始めていいかい?」
その様子はもはや正常とは呼べなくて。
あの流暢な超早口で喋るキャシャラトが、募る焦りの影響なのか言葉を何度も何度も舌を噛み続けて。もう今すぐにでも把握して頼みを引き受けてくれと、そう言わんばかりの不安で歪んだ表情がとても悲惨に見えてきてしまい。事情を耳にしていないというのに、彼には既に同情さえもできてしまえる。
どうやら、余程なまでに緊急を要する大事のようだ……。
「実はね今朝方に哀愁平原・ハードボイルドへ赴いたニュアージュがそれっきり帰ってこないのだ」
「……え? ニュアージュが?」
ニュアージュの行方がハッキリとして。
同時に抱く、とてつもない嫌な予感――
「今朝方に里の者から通達を受けてねその内容がまたこれまた厄介なものでな。この平原の西南に位置する『咽び泣く先人のモニュメント』という遺跡に命知らずな冒険者の団体が侵入したという目撃情報を受けたのだ。彼らの意図はまるでわからんものだがその冒険者達は目撃者である里の者の注意喚起を無視してまで侵入していってしまったということらしいがその遺跡というものがまたとんでもない危険を誇る場所であってね。ここの土地感覚の無い人間があの遺跡に入ったら最後生きて帰ってくる者などはおそらくゼロに等しいことだろう。そんな愚かな冒険者達を一刻でも早く食い止めて連れ戻すよう言い聞かせてくれとこの地の住民であって誰よりも高い能力を持つニュアージュを派遣したものなのだが……あの遺跡の危険性を知ってしまっているが故の焦りによってワタシはとんでもないミスを犯したものだ。今となってはニュアージュを一人で行かせるべきではなかったと後悔している……」
ダンジョン:咽び泣く先人のモニュメント。この黄昏と影の領域に染まることなく、むしろ一際目立つ紫のオーラを纏った、探究心を駆り立てられる意味有り気なその遺跡。
その内装は、侵入した愚かな人間を一人残さず生きて帰さんと蔓延る殺意に満ちた、迷宮の回路で成り立つ死への迷路。それは探索者を迷宮の中に閉じ込め。同じくそのダンジョンに生息するモンスター達もまた、その閉鎖空間によって凶暴性を増した相当な危険度を誇るというその内部。
先日にも俺自身がこの目で見掛けていたものだから、その冒険者達の意図も決して理解できないわけではなかった。確かにあの領域において、あんな艶かしい紫の靄が掛かる遺跡を見つけてしまったら、その好奇心に駆られるがままに侵入してしまうことだろう。
現に、俺だって身支度が万端であったら、その遺跡に知らずと侵入してしまっていたことだろうし。
……ただ、問題なのはそんなことではない。いや、まぁ、その冒険者達の命のことをそんなことと言うのはアレなのだが。
でもやはり、俺が一番心配だったのは、友人であるニュアージュの身であってだな――
「いつもであれば、ニュアージュはもう既に戻ってきている頃合なのですか?」
「あぁそうだ今頃は次なるお使いへとその道中を辿っている最中であるだろう。あの遺跡までは距離があるものの土地感覚のある人間であれば意外とすぐに辿り着ける。そのためにもし何の問題も無く呼び止めていることができていたら既に万事解決ではあったのだが今回はそういうわけにはいかないようで……。あぁニュアージュ……こんな愚行を犯してしまったワタシのせいで、最悪の事態を招いてしまっているのかもしれない……君ともう会えないだなんて絶対に嫌だ……」
「だ、大丈夫です、落ち着いてください。彼女の安否を確認するためにも、俺が様子を見に行きますから」
俺の返答に希望の光を見出して瞳を輝かせたキャシャラトであったが。その光はすぐにも消え失せる。
瞬時にして希望を消し去るほどまでの脅威を誇るそのダンジョン。その内装は迷宮という、一人もの生存者をも許さぬ死への誘い――
「ニュアージュから話を聞いていたんだ。君もあの遺跡を発見したようだねああして冒険者達のように足を踏み入れなかったその決断を大いに評価するよ。そして君の勇気に敬意を表する。もしもニュアージュと行き違いになったとしても報酬はたんまりと出させてもらうよそれほどまでにあの場所はとても危険なところなのだ……。もう今のワタシにはどうしても君達に頼ることしかできなくてね……。過去に起こった出来事が出来事であったためにワケありでこの身体を戦闘に活かすことができないのだ。戦闘能力を永遠に封印する力を掛けてしまったためにこの身体で武器を振るうことも魔法を唱えることもできない。しかしこの状況になってからはこんな選択をしたワタシ自身をひどく恨むよ。誰かを守る能力を自ら封印して大切な人を自分で助けに行けないだなんてほどもどかしく悔しいものはない――――」
昂った感情で歯軋りをしながら。吐き捨てるように次々と言葉をもらしていって。
追い詰められた精神によって、この焦燥を落ち着かせるために自分自身を責める続けるキャシャラト。
そんな彼から見受けられた感情は、いつもこんなことばかりだと自身を咎め続ける"自責"の念。
過ちを犯してばかりだと。選択を見誤ってばかりだと。いつも自分が原因となる、いつも自分が悪いのだと自身を責めに責めるキャシャラトは、ただただ自身に失望をすると同時に、ニュアージュの身を案じてその顔を渋らせていく。
「報酬云々は関係無く、俺は友人をもしかしたらの危機から救いたいがために、この全力を尽くして探索をしてきます。大丈夫です。俺が何としてでもニュアージュの身を見つけてきますから」
「ありがとう……期待の青年君本当にありがとう……。そしてニュアージュのことをどうか頼んだよ……」
緊張でずっと気を張り続けていたのか。その体力を消耗した精神ながらの弱々しい声を絶え間無く発しながら何度も何度も頭を下げてきて。
次には、キャシャラトはその場でストンと床に落ちてから、再び玄関扉を開けて外へ飛び出していった俺の背を見送る。
……同時にして。主人公である俺を中心とした、この拠点エリア:黄昏の里におけるメインクエストが開始されることとなった。
この黄昏の里におけるメインクエストは、一体どんな展開をもたらすのか。果たして、ニュアージュの身は無事であるのか。そんな気掛かりとなる点が未だに数多く存在してしまっているが、主人公である俺に今できることと言えば、それは、目の前に立ちはだかる難関なフラグを打ち破ることのみである。
この瞬間に、未知なる俺の新たな冒険が始まった――――




