青水晶の振れる先に
日が暮れてきたので、部屋の電気をつけた。
俺達のいるリビングだけでなく、寝室も、洗面所も、風呂場も、トイレも、全ての部屋の電気をつけた上で、ドアを全て開け放してもらった。
水晶は、光を様々な方向から受けて、チラチラと青い光を反射させている。
ダウジングといえば、一般的には、地下に埋まった何かを探し出すイメージが強いかもしれない。
あれは、地面に埋まった水脈や埋蔵金やらに、ダウジングロッドや振り子が直接反応しているのではない。
ダウジングというのは、人間の持つ潜在能力を最大限使用する技術で、ダウザー、ダウジングをする者が無意識のうちに感じ取ったものが、手に持つ振り子の動きに反映されるのだ。
つまり、俺がダウジングで何かを見つけるというのは――無意識であるにせよ、俺自身の感覚でそれを見つけるということになる。
「だから、俺自身が、由佳の部屋で見つけるべきものをはっきりとイメージする必要がある」
「……幽霊、ですか?」
俺は由佳の言葉を否定する。
「いや。もっとはっきりした、形のある悪意だ」
俺は水晶をかざしながら、ゆっくり、ゆっくりとリビングの中心から、洗面所に向かって歩いていく。
「整理しよう。由佳と俺が、このアパートで視線を感じた場所は――洗面所と寝室だ」
「えっ?」
すっかり、勝手に開くドアと視線に怯えていた由佳は、なかなか落ち着いて整理できなかったと思う。
このアパートにいる限り、どこにいても、何かしら恐怖を感じたはずだ。
しかし、俺に断定されたことで、由佳は改めて考え直し――はっきりと頷いた。
「確かにそうです」
「……この部屋で、寝室と洗面所には、共通点がある。分かるか?」
「何ですか?」
あまり俺の口からは言いたくないが、由佳は分からないらしく、俺に尋ねる。
「……服を脱ぐこと、だ」
「え」
由佳が固まる。
風呂場につながっている洗面所は、いわば脱衣場。当然、服を脱いで裸になる。
「確かに、私は寝室で着替えてますけど……」
寝室には、クローゼットがあった。あの部屋で服を着替えていると考えるのが自然だ。
まあ、寝室で裸といえば、他にも下世話な想像もできるが、由佳には彼氏はいないとのことだから、これ以上は言うまい。
「……先輩」
由佳が青ざめた顔で俺を見るのが分かる。
そう、男の俺は気付かなかったが、由佳の恐怖をもっと早く察するべきだった。
若い女が部屋で何者かの視線を感じる――『のぞかれている』恐怖に。
神経を集中させ、俺は静かに洗面所に入っていく。一歩、一歩――俺が探し出すべきものを強くイメージしながら。
ある一点で、ヒュン、と振り子が揺れた。
「――こっちか」
壁の一点。電気のスイッチのカバー。近付くたびに、振り子の揺れは激しくなる。
ヒュンヒュンヒュンヒュン――暴れる振り子を、手で握って止めた。
電気スイッチのカバーには、近付いてみなければ分からないほどの、ごく小さな穴があった。壁に顔を寄せて横から覗きこめば、わずかに、左右非対称に壁から浮いている。
力任せに、引いて外した。カツン、と固い物が床に落ちて音を立てる。
それが何だか理解した由佳は、口を覆ったまま、震えてその場にへたりこんだ。
盗撮用の、隠しカメラだった。
■■■
俺は、寝室に隠されたもう一つの隠しカメラをダウジングで探し出した。これもコンセントの内側に、巧妙に仕掛けられていた。
その後、アパートの部屋中をチェックしたが他には出てこなかった。
「とはいえ、ちゃんと警察に調べてもらった方がいい。カメラだけじゃなくて、盗聴機もあるかもしれないから」
「それは見つけられないんですか?」
「出来ないことはないけど、盗聴機の方は難しい」
カメラはこちらを写す機能を果たすために、確実にこちらから見える位置にある。だから探しやすいのだが、盗聴機はそうはいかない。
「警察なら、そういうのを見つける、専用の機械も持ってると思う」
由佳が呼んだ警察はすぐに来た。鑑識が部屋中を調べ、警察の事情徴収を終えたころにはすっかり遅くなっていたが、俺は最後まで付き合った。
すっかり憔悴した由佳を、実家まで送り届ける。
「しばらく、大学は実家から通います」
それが賢明だろう。カメラを仕掛けられたということは、部屋にその犯人は一度侵入しているということだ。
カメラでずっと俺達を見ていたなら――カメラに気付かれたことも向こうは知っているはず。そう話すと、由佳は鳥肌の立った腕をさすった。
「無理しないで、しばらく休んだらどうだ?」
「……家族と、相談します」
由佳は家の前で振り返ると、俺に改めて頭を下げた。
「幽霊なんかより、ずっと怖かったです……」
「そうだな」
「私がずっと感じてた視線って、あのカメラだったんですね」
俺は何も答えなかった。
「じゃあな、由佳」
「はい、先輩……ありがとうございました。先輩って、本当にすごいんですね」
そう言って由佳は、家に入っていった。
思わずため息が出る。神経を張り詰めっぱなしで、さすがに疲れていた。
「別に俺はすごくないんだけどな」
家に向かって歩きながら、俺は振り子を取り出した。ぶら下げたそれはピクリとも動かない。
下劣な欲望で由佳を貶め、恐怖させた、カメラを仕掛けた奴のことは許せない。
だが、残念ながら、俺の能力でその犯人を探し出すのは無理だ。
俺はただ――与えられたヒントに従っただけのこと。
幽霊なんかより、人の方がずっと怖い。
まったく同感だった。
■■■
あの一件から一ヶ月後、俺は再び由佳のアパートに来ていた。
「何から何まで、ありがとうございます」
「いいって、男手は必要だろ」
あの後、日本の警察は優秀で、すぐに盗撮犯を逮捕した。
決め手となったのはアパート付近の防犯カメラの映像だそうで、何とも皮肉な話だ。
犯人は捕まったが、由佳は実家に戻って、大学卒業まで実家から通うことを決めたらしい。
「一度部屋に知らない人が忍びこんでたと思うと、怖くなっちゃって……」
「…………。」
犯人は捕まったが、由佳の心には消えない傷が残った。それは確かだ。
そういうわけで、由佳は部屋から引っ越すことになり、俺はその手伝いに来ていた。
二度目に訪れた由佳の部屋は、荷物が片付けられ、段ボールが積まれて、殺風景な場所に変わっていた。
「すみませーん、張ヶ谷さん、確認したいことがあるんですが」
「はい」
引っ越しの業者に声をかけられ、由佳は外に出ていく。
何もなくなった部屋の真ん中で俺は一人、振り子を出した。カーテンの取り払われた窓から入る明るい日の光が、水晶に乱反射して、床に模様を作る。
俺は静かに――呼びかけた。
「……いるんだろ?」
首の後ろの毛が逆立つような気配を感じた瞬間、水晶が跳ねた。
■■■
由佳に、説明していないことがある。
由佳は、自分の感じていた視線を、隠しカメラからのものだと納得した。
だが――なぜドアが勝手に開いた?
ドアには、仕掛けなどなかった。
そう、確実に、ドアは『別の何か』によって開いていたのだ。
しかし、何故そんなことをする必要があるのか。俺の感じた四方八方からの視線。あの存在が由佳を覗き見たいのであれば、これみよがしにドアを開けて覗く必要はない。
覗き見る、というのは自分の存在を隠してする行為だ。
であるのに、わざわざ見せつけるようにドアを開いたその存在の思惑は何か――それは、おそらく由佳に警戒心を持たせることだったのだと思う。
そもそも、ダウザーの訓練を積んだ俺はともかく、普通の感覚を持つ由佳に、『カメラ越しの視線を感じる』ことなどできるわけがない。
始まりは、寝室、または洗面所に繋がるドアが勝手に開き、ドアの向こうの何かの存在を由佳がイメージしたこと。
ホラー映画を見た後に、何かの視線を感じるような気がするのは、体が緊張状態――戦闘状態にあり、感覚が鋭敏になっているからだ。
そして緊張状態の由佳は、その『何かの視線』に気付く。見られていることを自覚したのだ。
由佳自身は隠しカメラに気付くまでは至らなかったが、結果として、相談を受けた俺が盗撮の事実を発見した。
「隠しカメラのある部屋では、ドアを開けて存在を意識させ、背筋が凍るほどの強い視線を送った。あのヒントがあったから、俺も気付けたんだ」
水晶は、激しく跳ねる。
俺のすぐ後ろに、それがいるのを、確かに感じる。
「見守ってくれたこと、由佳の代わりに礼を言うよ――ありがとう」
ぷつん、と糸が切れたかのように、水晶の動きが止まる。
気配も消え、あとはゆっくりと惰性で揺れる振り子が残された。
引っ越しの業者と話を終えた由佳が、俺の隣に来る。
「先輩、何してるんですか?」
「忘れ物がないかチェックしてる」
「そうですか」
俺は嘘をついた。
俺の言葉を素直に信じて、水晶の動きを目で追う由佳を怖がらせる必要はない。
この部屋にいたものの真実や、過去――例えば、この部屋で、若い女性がストーカーに殺されていたこと――そんなのは、話さなくていいことだ。
「何もないみたいだし、行くか」
「はい。先輩、これからランチ食べに行きませんか?」
「暑いし、蕎麦でも食うか」
「いいですね」
玄関を出て、鍵をかけた。玄関の扉越しの小さな音は、恐らく俺の耳にだけ届いたと思う。
開けっ放してきたドアが、誰もいない部屋の中で、パタンと静かに閉まった。
蕎麦屋にて。
「今更だけど、ピンクのカーテンや、ぬいぐるみみたいな、外から見て女性の一人暮らしとバレそうなものを、窓際に置かない方がいい」
「そうなんですか、知らなかったです……」
「家具据え置きタイプの物件も、前の住人が何を置いてるか分からないから、あらかじめチェックが必要だ」
「防犯に詳しいんですね、先輩。今度、お引越しする機会があったら、先輩にご相談してもいいですか?」
「俺はいいんだけどさ……だから、そういう警戒心のなさが問題なんだよ……」
作中で水落が披露してるダウジング技術は、それっぽい感じのオリジナル設定です。ダウジングっていうか、ほぼ心霊探偵の域。