偏なこだわり
少し前に見た国語便覧に夏目漱石は則天去私の境地に至ったというような解説が載ってあった。今日はその言葉を思い出して、学のない俺だが、則天去私とは?と少し考えた。天に則り私を去る。我を捨て流れに身を任せる。それは、何も考えないことではなく、生きてゆく上で出会う種々の事柄を枝葉と幹に分類し、枝葉、考えても仕方の無いこと、余計な事、そんなものには構わずに進む。頭にそういうイメージが湧いた。俺はよく、自分の無力さを思ったりマイナスな思考に悩んだりするので、この知識を自分に役立ててみようと思った。すると、今、目の前の事だけに集中すること、が出来た。simpleに時間が流れて、気が落ち着き、有りのままに近づいた気もした。しかし、まぁ、それだけだった。当たり前だが、性分や生活が変わるというような事ではなく、実際の怠惰な自分が一日繰り返された。新鮮味も無い今には慣れており、どうという事も無いのだが、現実というものが何時までも残っている事を思うに繋がった。
俺は今の今もそうだが、殆どの時間、枝葉にしがみついているなと思った。