最終話 さよなら
眉子はショールを脱ぐと、それを手放した。風に流され、二メートルほどひらひら舞った。彼女は風人のほうをほほ笑むと、いつもそうしてくれたように、ほほ笑んだ。
そして、彼女の背中から、なにかキラキラした光の粒子が現れた。
それは、純白の羽根になった。
「モノか……?」
眉子の服が純白のローブになり、そして耳が長くなり、目が蒼くなり、黄金のネックレスが現われ……瞬きをする度に、人間から離れていく。
風人の肩を誰かが叩いた。
「彼女は私ではないよ」
「モノ……?」
肩を叩いたのは、私だ。
「心中を止めると言ったのは、嘘だ。眉子はもう死んでいる」
「眉子さんが死んでいるだと……?」
「信じられない、という顔をしているな」
「一体いつから……?」
私は俯いて、口を開いた。
「全て話そう。夜咲眉子は、夫に暴力を受けつづけていたのだ。しかし、彼女らの息子が、殺したのだ、父親を。その子はまだ八歳だったが、ひどく利口だった。硫化水素を用いて殺したのだ。年齢が年齢だけに、刑事責任能力を問われないので、刑罰を受けないということも知っていた。とはいえ、息子は施設にひきとられ、自分は独り寂しく、地方の高校からこの都内の高校に就職したのだ。普通に考えればどの高校も、犯罪者の親が自分の学校の教員になるなど、望ましいことではない。ところが、その高校の校長は、眉子の人間性を高く評価したのだ。まさか、眉子が一度死んでいるとも知らずにな」
「そ、そこで死んでいたのか!?」
「いいや、その後にもう一回死ぬ。二回死んだのだよ。意地悪して言わなかったが、彼女は息子と引き離された時点で、一度死んでいた。そして天界の議会の方針で、私には理解できないが、死んだことを帳消しにしてもう一度人間界に戻した。その時点で、彼女はもう、天使、正確には精霊天使となっていたのだ。君は天使を抱いたのだよ、ははは」
風人は私の胸ぐらに掴みかかった。が、眉子の方を見ると、すぐやめた。
「天使もゾンビも一緒ってことか……」
「それは失礼な言い方だな。で、眉子は、心機一転し、やり直そうと考えた。だが、お前に恋をした。そして誘惑した。家庭があることも知らずに。そうして、不倫をしてしまい、二度の過ちを犯した彼女は、校長に懺悔し、お前は知らないだろうが、一年後、高校を辞めることを勧められた。そして、お前の息子が死んだことにより、自分が周囲に不幸をもたらすと思い込み、自殺した。天使は簡単に自殺することはできない。二回目の自殺――つまり昇天するには、人間界に功績を残すことが条件、そしてもう二度と――」
「――お前は、夜咲眉子に会うことはないのだよ」
私が最も言いたかったこと。
それは…………
風人が生きれば、眉子は死ねる。
風人が死ねば、眉子は、永遠に死ねない。
と、いう、残酷な刑罰が、天界で下されたということだった。
「風人さん」
天使になった眉子が、風人に向かって声をかける。
「天使も人を殺すのです、だから、天使は恋をしてはならないのです」
眉子はそう言うと、突然泣きじゃくり始めた。ぽろぽろと、何粒も涙が頬を伝う。
私は風人を抱え、眉子のところまで飛行した。
「眉子さん……」
風人は眉子をしっかり抱きしめた。
「どうして、恋をするのは、こんなにも、難しいの……?」
苦しそうに泣く眉子を、ただただ、愛していた。
「……風人さん」
「……なんだい?」
「生きて。生きて私を、殺して」
「眉子さん……」
風人は眉子の腕を掴んだまま、彼女の顔を見て、
「さよならの代わりに、言うね」
「…………大好きだよ、ずっと、愛してる。だから、……死んでくれ」
そっと、唇を重ねた。
眉子は最後の涙を零し、砂の粒のように体が散っていき、そして消えた。
大声で風人は泣いた。何度も地面を殴った。
私は安心して、風人をしっかり抱き、
「眉子の罰は終わったわけではない。お前が自殺したら、眉子は永遠に現実世界で独りぼっちだ。最後まで、寿命を全うせい」
そうして、私は消えていった。
天界に戻った私は、そのころ、天使大学で教鞭を執っていた。
私は同僚に話しかけた。
「やはり、人間とは面白い。しかし、天界のシステムはいくらか改良が必要だな」
「『議会応用工学』を専攻してきたお前だから、いつもそういうことばかり言うんだな」
「ふふっ、しかし、私も血が湧きたつようだよ」
「まあ、そうだな。なんたって、お前が元悪魔だってことを知る奴は、そういないからな」
それは言うな、と私は同僚をこづき、講義へと向かった。
[第一章 了]
どうも、読んでいただきありがとうございます。
無事に完結することができました。
最終話は結構ごり押しでしたね。
ファンタジー要素に依存して物語をご都合主義にしているのがまた痛いです(苦笑)
それでは、また、次回作で。