鳥葬と文化と生態系
死者を葬る事、つまり、葬儀は世界各国各社会にその風習が存在する。それは死者と決別する為の儀式であり、死者の復活を阻むための処理であり、そして、人の肉体が自然の生態系に、どのような過程で還って行くのか、それを決める為のものでもある。
火葬、土葬、水葬とその方法は多様だが、直接死者が生態系に還ることを最も印象強く実感できるものは、恐らく動物に人間の死体を食べさせるというものだろう。その中の一つ、最も有名なものに鳥葬がある。つまり、人間の死体を鳥に食べさせるのだ。この死者を葬る方法は、社会によっては禁止されている。野蛮だと判断されてしまっているのかもしれない。
ヒメコンドル。
その地域社会では頻繁に鳥葬が行われていた。そして、人の死体を食べる主な鳥はヒメコンドルだった。
ヒメコンドルは動物の死体を食べる鳥として有名だ。ごくわずかな死体の腐臭にも敏感に反応し、死体を直ぐに見つけてしまう。そしてその強靭な消化器官と免疫能力で、死体が腐っていても構わずそれを平らげる。人の死体をヒメコンドルが食べるのも当たり前の話だった。
ヒメコンドル達が死者を葬るのは、その地域の文化であり、誰もが当たり前だと思ってずっと続いて来たことだった。破れば祟りがある。そのように考えている人もわずかではあるが存在した。鳥葬の文化はこれからもずっと続いて行くのだろうと、そう思われていた。
ところがその地域にある時、遠くから異なった文化を持つ人々がやって来たのだった。
その異文化を持つ人々にとってみれば、その鳥葬の文化は異常に思えた。そして、そんな野蛮な事を行うのは止めろと訴えたのだった。
「自分達の住んでいる地域では、そんな風習はないが、何の問題も起こっていないぞ。だからここでも平気なはずだ」
ただ守るべきだから守るとされているルールになど意味はないではないか。
そう言われれば、その地域に住む人達には反論ができず、徐々にではあるが、それを受け入れていってしまった。異文化を持つ人達との交流をスムーズに行う為にも、それは有効だったからだ。
しかし、昔からの風習を大切にしたいと願う一部の人達はそれに憤っていた。
「きっと、何か良くない事が起こるぞ」
そう訴える。
ただし、その考えは迷信だと笑われていた。愚かな連中だ。こんな野蛮な風習に意味などあるはずがないではないか。
オーケー。
確かに何も考えずにただただルールに従う事は愚かだろう。しかし、その逆に何も考えずにそのルールを否定するのも間違っている。各地に伝わる一見意味のない風習や儀式に、実は隠れた機能的な意味がある場合も多々あるのだ。
彼らはその点を軽視し過ぎていた。
鳥葬の風習を止めてからしばらくが経った。人間の死体という御馳走にありつけなくなったヒメコンドル達は、人里からその姿を消していた。恐らくは、もっと山奥の方に行ってしまったのだろう。そして、そんな頃に、疫病が流行り始めてしまったのだった。野犬たちが狂犬病に罹り、人々を襲った。
「鳥葬を止めた祟りだ」
かつての風習を大切にしたいと願う一部の人達はそう主張した。しかし、否定派はそれを「ただの偶然だ」と相手にしなかった。ところがそれはある意味では、本当に祟りだったのだ。
ある日、病気が流行っている原因を突き止めた学者たちが、驚くべきこんな発表をしたのだ。
「狂犬病が蔓延したのは、鳥葬を止めたからです。正確にはヒメコンドルを山奥に追いやってしまったことなのですが……」
秘密はヒメコンドルの強力な消化器官にあった。胃腸から分泌される強力なその酸は、微生物達を殺してしまうのだ。その中には当然、病原菌も含まれている。
つまり、ヒメコンドルは死体を食べる事で、この地域の病原菌を殺し、その蔓延を防ぐ役割を果たしていたのだ。そして当然、そのヒメコンドルを人里近くに呼び寄せていたのは、鳥葬の風習である。
要するに、鳥葬という文化は、その印象とは異なり、意外な事にこの地域の公衆衛生に役立っていたのである。
※この話はフィクションですが、インドではハゲワシの減少によって、狂犬病が増えるという社会問題が実際に発生しているそうです。何がどう役に立っているのか分からない。世の中は本当に簡単には理解できませんね。
参考文献:
「ミクロの森 著者・D.G.ハスケル 築地書館」
参考文献の中では、インドで減少しているのはコンドルという事になっていましたが、インドにコンドルはいないようなので、ハゲワシの勘違いだろうと判断し、ハゲワシとしました。