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薔薇の花(8)






 ニコレットがケーキを一つ食べきったところで、ヴォルフガングは尋ねた。


「ところで、薔薇の品種改良とは何をするんだ?」


 ティーカップを傾けていたニコレットは、「んー」と首を傾ける。

「実は、植物の遺伝の法則は、まだよくわかっていないのよね」

「……遺伝などと言われてもわからん。もっと噛み砕いて頼む」

「了解。ええっと。品種改良っていうのは、……えっと、人間の子供って、父親と母親の特徴を備えて生まれてくるでしょう?」

「……ああ、そうだな」

 突然話が変わり、ヴォルフガングは戸惑いながらもうなずいた。ちなみに、ヴォルフガングは両親を足して割ったくらいの外見だが、顔立ちは母親よりだと言われる。後で聞いてみたところ、ニコレットは母親……と言うか、母方の祖父に似ている、と言われていたらしい。


「その状況を、植物でも作るの。普通、植物っていうのは、花が咲いた時、雌しべにある花粉を、風や虫が運んで雄しべに運ぶことで実ができるんだけど」

「……」

「ついてきてる?」


 ニコレットの問いに、ヴォルフガングは首を左右に振ることで答えた。前提知識がないので、何を言っているのかわからない。ニコレットは「あはは」と笑った。

「とにかく、植物が実、または種を作るには、受粉と言う作業が必要なの。これが、さっき言った花粉を運ぶことね。通常は自然に行われるこれを、人工的に行うのが品種改良」

「なるほど……何となくわかった。品種改良をして何をする気なんだ?」

 マカロンをほおばったニコレットは、考えるように視線を斜め上に向ける。口の中のものを飲み込んだ後、ゆっくりと口を開いた。


「新しい薔薇を作ってみようと思って。人工授粉だと、赤い薔薇に黄色い薔薇の花粉を受粉させたりとか、そう言うことができるの。寒さに強い植物と香りがいい植物を掛け合わせると、寒さに強くて香りがいい植物ができたりするんだけど、それと同じで、赤と黄色を掛け合わせると、オレンジの薔薇ができたりするわけ」


 必ずできるとは限らないんだけど、とニコレットは付け足した。確かに、同じ親から生まれても子供たちの顔かたちが違うように、同じ方法で受粉させても、全てが同じ植物になるとは限らない。



「結果がわかるのはずいぶん先になると思うけど。まあ、私は死ぬまでここにいる予定だもんね」



 ぐっと両手に拳を握り、ニコレットは笑った。


「ずっといるなら、青い薔薇を作ってみるのもいいかも」


 ニコレットの『死ぬまでここにいる』発言に内心喜んだヴォルフガングであるが、続いた言葉に口をはさんだ。

「青い薔薇? 確かに、青薔薇は存在しないが……」

「それを言うなら、黄色もないんだけど……基本的に、薔薇の色は赤と白をもとにしているし。まあ、オレンジっぽい色の薔薇はあるから、黄色は割とすぐに開発されるかもしれないわね」

 ニコレットの研究内容にしてはわかりやすい気がする。まあ、何故青い薔薇が存在しないのかはわからなかったが……。

 ヴォルフガングは目に入った薔薇の花びらの砂糖漬けを一つ手に取り、ニコレットの方に差し出した。

「お前の庭だからな。好きにしろ」

「……うん。好きにするよ」

 そう言うと、ニコレットは差し出された砂糖漬けを口に含んだ。砂糖のついた指をなめられどきりとしたが、彼女に何の下心もないことはわかっている。そして、何となく餌付けしているような気分にもなった。


 お茶を一口飲んだニコレットは、突然「あっ」と声をあげた。あまりにも唐突だったので、ヴォルフガングはびくっとした。ニコレットはいつもと変わらない満面の笑みを浮かべて言う。


「あのね。今夜は私の部屋に来てね。見せたいものがあるから!」

「……」


 落ち着け、自分。相手はニコレットだ。単純に実験物を見せられる可能性が高い。先ほど自分でニコレットには下心がないと言っていたではないか。


 ヴォルフガングが何とか気分を落ち着けようとしていると、ぶはっ、と誰かが噴き出す声が聞こえた。誰か、と言ったが、この場面で噴き出すのはマルクスぐらいだろう。そう思って振り返ったら、本当にマルクスが腹を抱えて笑っていた。


「どうして笑うのよぉ」


 ニコレットが不満げな声をあげたが、マルクスが笑っているのは彼女に対してではない。

「い、いえ……皇妃様じゃないですよ。陛下が、くっ」

 ほら。マルクスがまた笑いの発作を起こす。ニコレットが頭の上に疑問符を浮かべていたが、説明する気にはなれなかった。

「マルクス。笑うな」

「無理です!」

 ヴォルフガングが不満げに言うが、マルクスの笑いは収まらない。こいつの笑いの発作のスイッチはどこにあるかわからないから嫌なのだ。しかも、マルクスが笑い出すと連鎖的にみんな笑い出す傾向がある。実際に、アルベルトも肩を震わせていた。表情筋もぴくぴくしていた。


「……陛下。よくわかんないけど、あんまり怒らないであげてね」

「お前、こっちの気も知らないで」


 不穏な表情からヴォルフガングの怒りを悟ったのか、ニコレットがそんなことを言った。こちらの気も知らないで、よく言ったものである。しかし、ヴォルフガングはニコレットのそんな些細な願いも聞いてしまうだろう。


「……ある意味、尻に敷かれていますわね」


 ヘルマがぽつりとつぶやいた。否定できないかもしれない、と思ったのは内緒である。















 その夜。約束通りヴォルフガングはニコレットの部屋を訪れていた。昼間によく訪れるこの部屋に、夜に訪れるのは初めてだ。寝室は皇帝の私室からもつながっているので、初夜の時はそちらから寝室に入った。

 ノックして、返事を待たずに扉を開ける。すると、ニコレットは侍女のマリーアと何やら話していた。


「この方法なら、どんな色のものでも作れるんですか……?」

「ま、着色しただけだけどね。本当にこういう色のものを作ろうとしたら……あ、陛下。こんばんは」


 話の途中でニコレットはヴォルフガングに気が付いて微笑んだ。マリーアも遅れて気が付き、勢いよく頭を下げた。

「申し訳ありません!」

「いや、気にするな」

「だってさ。付き合わせてごめんね、マリーア。今日はもういいよ。また明日、よろしくね」

 頭を下げたマリーアの背中をポンポン叩きながらニコレットは言った。マリーアは恐縮しながらも「失礼します」と消え入りそうな声で言って、部屋を出ていった。それを見届けたヴォルフガングは尋ねる。


「……ずっとあの調子なのか、マリーアは」

「そうなの。でも、出会った時よりは仲良くなったと思うわ」


 ニコレットの明るさはマリーアですら手なずけたらしい……いや、もしかしたらニコレットの方が手なずけられている可能性もある。

「それで、見せたいものとは、それか」

 ネグリジェにガウンを羽織った姿のニコレットの方は見ないようにして尋ねる。ニコレットはのんきに「そうなの~」とうなずく。


「さすがに、すぐに青の顔料は手に入らなかったから、紫なんだけど」

「……そうか」


 テーブルには、紫の薔薇が鎮座していた。花瓶に一輪だけ挿してある。

「……この宮殿の庭に、紫の薔薇はなかったはずだが……」

「ええ。ロワリエにはあるけど、品種改良を行ったもので希少だもん。これは、紫の顔料を溶かした水を吸わせただけ」

 ほら、とニコレットが花瓶を持ち上げて中身を見せた。だが。

「暗くて色がわからんぞ」

「……あら」

 ニコレットは自分も花瓶の中をのぞいて「ホントだぁ」とつぶやいた。夜なので、部屋の中は薄暗い。暗い色である紫は見えないだろう。こういうところがちょっと抜けていると言われるのである。


「……まあ、とにかく、色水につけると、白薔薇はその色に染まるの。詳しいことは省くけど、その色水を白薔薇が吸い上げるから、その水の色になるのね」

「なるほど」

「マリーアも言っていたけど、この方法を使えば、どんな色の薔薇でも作れるの。見たことのない色の薔薇を見せてみたかったの」


 わざわざ来てくれてありがとう、とニコレットは礼を言う。と言うか、本来ならヴォルフガングもニコレットと同じ寝室で休むはずなのだが、いつもいないため、忘れられている気がする。


「そう言えば、一つ聞こうと思ってたの」

「なんだ?」

「陛下は、ご両親になんと呼ばれていたの?」


 昼間、ニコレットが母親から『ニコラ』と呼ばれていた、と言う話をしたからだろうか。そんな質問をされた。ヴォルフガングは久しぶりに過去を思い出す。

「そうだな……ヴォルフィー、と呼ばれることが多かったかな」

「ヴォルフィー?」

「ああ」

 正直に言うと、ヴォルフィーと言う呼ばれ方はあまり好きではなかった。何となく、子供っぽい気がしたからだ。



「じゃあ、私は陛下のことヴォルフ様って呼ぶわ!」



 ぽん、と手をたたいてニコレットは言った。何だそれは。唐突すぎる。

「……何故ヴォルフなんだ?」

「だって、ヴォルフィー様ってなんだか言いにくいんだもの」

 ニコレットが唇をとがらせて言う。ニコレットが問題なくハインツェル帝国語を操っているため忘れがちであるが、彼女にとってこの国の言葉は異国語なのだ。言いにくい発音があっても仕方がない。すでに『ヴォルフィー』の発音が怪しい。もっと言うなら、『ヴォルフ』の発言も少々怪しかったが。


「まあ、好きに呼べ。俺も名前で呼ばれた方がうれしい」


 ヴォルフガングの言葉に、ニコレットは「そうだね」と言って微笑んだ。ヴォルフガングはニコレットがつつく紫に着色した薔薇を見て言った。


「ロワリエには紫の薔薇があると言っていたな。ニコラは見たことがあるのか?」

「うん。自分でも育てて増やしてみようと思って、開発した修道院から株元を譲ってもらったの」


 あんまりうまくいかなかったんだけどね、とニコレットは背後にいるヴォルフガングを振り返って微笑んだ。ヴォルフガングは彼女の頬に手を伸ばし、その白く滑らかな肌をなでた。ニコレットの体がびくっと震える。

「お前は、ロワリエに帰りたいとは思わないか?」

「……どうして、そんなことを聞くの?」

「……」

 ヴォルフガングは答えなかった。彼は、ニコレットの前に3人の皇妃を娶っている。そして、その3人とももうこの世には存在しない。3人とも、ヴォルフガングが殺したのだ。



 恐ろしいとは思わないのだろうか。


 帰りたいとは思わないのだろうか。


 ニコレットは初めて会ったときに、ヴォルフガングのことを『怖くない』と言っていたが、あれは本心なのだろうか。



 彼女が間諜ではないことはすでにわかっている。彼女がスパイではないと言うことに安心すると同時に、ヴォルフガングは彼女が本当はどう思っているのか知りたいと思った。

 ヴォルフガングの手が、ニコレットの頬から滑り落ちる。はしっ、とその大きな手をつかんだのは、ニコレットのほっそりした手だった。ニコレットは両手でヴォルフガングの手を包んだ。


「あのね。私は物心つくころには、もう修道院にいたのよ」


 知っている。ニコレットはヴォルフガングを見上げて微笑んだ。


「だから、私はずっと外の世界を知らなかった。修道院から出ることができるとは思ってなかったし、それでもいいと思っていた。私にとって、修道院は世界のすべてだったから」


 籠の中の鳥は、空を知らない。知らなければ、空を飛びたいとは思わない。



 だが。



 籠の中の鳥は、大空を知ってしまった。もう籠の中には戻らない。戻りたいとは思わない。


「懐かしいと思うことはあるわ。でも、たぶんね。外の世界を知ってしまった私は、修道院に帰りたいとは思わないの」


 彼女にとっては、『ロワリエに帰りたいか』と聞かれると、帰るところは修道院になるのだ。ロワリエ宮殿ではない。


「でもね、そう言う難しいことじゃなくて、私はここが好きだから帰りたいとは思わないの。お母様がね。人生は出会いもあれば別れもあるんだって言ってた。そう言うことなんでしょう? きっと」


 最終的に少しずれた返答をされてヴォルフガングは少し気が抜けた。にっこりと笑ったニコレットに、ヴォルフガングも少し呆れ気味の笑みを浮かべた。

「ここが好きなのは、食べ物がうまいからか?」

「それも否定しないけど、みんなも好きよ。ヘルマやマリーアや、マルクスやアルベルトにフォーゲル様も好き。もちろん、ヴォルフ様も大好きだよ」

 無邪気な笑顔で『大好き』だと言われ、ヴォルフガングはぐっと耐えた。何を耐えたかは察していただきたい。


 何度も言うが、ニコレットに下心はないのだ。だからこそ。


「生殺しだ……」


 え、何? というニコレットの声が聞こえた気がしたが、意図的に無視した。








ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


ニコレットが説明している遺伝も、吸い上げる水の色で花弁の色が変わる実験も、中学校の理科でやるやつです。まあ、私の説明が足りていなくて、わからない可能性が高いですが……。

メンデルの法則は1865年に報告されています。この話は18世紀を想定していますので、まだ遺伝の法則は発見されていません。まあ、この話、ファンタジー、仮想ヨーロッパですけど……。


関係ありませんが、最初、ニコレットにはヴォルフガングを『ヴォル様』と呼ばせようかと思っていました。しかし、私は某世界的魔法児童書に出てくる某ラスボスを、心の中で『ヴォル様』と呼んでいたので、3秒くらいで却下しました。


次の更新は明後日(12月18日)になります。やばい。そろそろ〆切だ……。

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