変人皇妃ニコレット(4)
この話はヴォルフガング視点です。
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登録してくださった皆さん、そして、この話を読んで下さっているみなさん、本当にありがとうございます!
結婚式の翌日の夜、ヴォルフガングはニコレットの従者兼監視に付けたマルクスを呼びだした。今日のニコレットの様子を聞くためである。ヴォルフガングとは違い優しげな顔立ちのマルクスは、にやりと笑った。
「それが、結構いい相手かもしれませんよ、陛下」
「意味が分からん」
「私が見たところ、少々世間知らずであることをのぞけば問題ありません。マナーもできていますし、頭もいいです。ダンスはできないようですが、たぶん、あの調子ならすぐに踊れるようになります。口調もやたらとフランクですが、気を付けさせれば直る程度ですし」
「そう……か」
なんだか『いい娘がいるぞ』と勧められている気分になるヴォルフガングである。いや、もう結婚しているのだが。
「皇妃様は今日、何をしておられたんだ?」
ヴォルフガングの側近であるアルベルトが尋ねた。マルクスは手帳をめくりつつ答える。
「午前中はダンスのレッスンですね。アイスラー卿の足を踏んでいましたが、基本ステップはできていました。昼食の後は図書館に行って本を借りてきました。蔵書量に感動していましたよ」
確かに、この宮殿の図書館は広いと思う。修道院育ちだと言うニコレットは、これと言った娯楽もない中、本を読んで過ごしていたのかもしれない。研究者だと言っていたから、ありえない話ではない。
ヴォルフガングは視線で先を促した。
「その後は、ティータイムと夕食と風呂以外はずっと帝国史を読んでいましたね。私が最後に確認した時点では、第4巻を読んでいました」
それはずいぶん読むのが早い。あのシリーズはかなり分厚いはずだ。
一通りニコレットの報告を聞いたヴォルフガングは、最後に尋ねた。
「何か、不審な点などはなかったか?」
昨日、話した限りでは、ニコレットは本当に何も知らずに妹の代わりとして送り込まれてきたようだった。しかし、それは演技なのかもしれない、という可能性も捨てきれない。だからこその質問だ。
ニコレットがロワリエからの諜報官ではないか。そう疑っているのだ。
「いや、皇妃様が諜報官だったら、その辺の娘もみんな諜報官ですよ。頭はいいですが、いろいろ抜けすぎです。常識とか」
「……そうか」
「あ、関係ないですけど、皇妃様の食事姿は一見の価値ありだと思いますよ。何を食べてもおいしい、って言って、本当においしそうに食べるんですよ。特に、菓子を食べているときの皇妃様は輝いてましたね。とろけそうな笑みでした」
思わずお菓子をすすめてしまいましたよ、とマルクスは笑った。なじみすぎだろう、マルクス。監視のためにニコレットに付けたと言うのに……。
「というか、ロワリエから入ってきているようなものも『始めて見た』とか、『食べたことない』とか言ってましたが、あの方、どこで育ったんでしょうね?」
そう言えば、ニコレットはヴォルフガングに修道院育ちだとは言っていたが、公開はしていなかった。この2人にならいいだろう、と思い、ヴォルフガングは言った。
「ニコレットは田舎の修道院で育ったそうだ。だから、世間知らずな面はしょうがないだろうな」
「修道院!? 修道女と言うことですか!?」
ああ、この反応、自分と同じだ。やっぱりそう思うよな、と思いながらヴォルフガングはアルベルトに言った。
「修道女とはちょっと違うと言っていたな。本人いわく、研究員だったようだ」
「まあ、確かに修道院にはそのような機能もありますが……」
アルベルトは少々混乱気味だ。しかし、あちらが差し出したのだから、ヴォルフガングはそれでいいと思っている。
「たとえ元修道女でも、私は皇妃はニコレット様がいいですね。見ていて面白いですし」
「なんでお前の中でそんなにニコレットの評価が高いんだ」
「ヘルマさんも気に入っているようですよ」
ニコレットに付けた女官長までニコレットを気に入っているらしい。マルクスはきっと、明日も楽しく仕事に行くのだろう。
そう思うと、ちょっと悔しい気がした。
△
と言うわけで翌日。ちょうどお茶の時間のころに仕事が途切れたので、ニコレットの部屋を訪れた。警護の兵士に声をかけると、中からヘルマが顔をのぞかせた。
「まあ陛下。お越しになられたのですか」
「ああ……ニコレットはどうしている?」
「ひたすら本を読まれています」
どうやら、マルクスの報告に虚偽はなかったようだ。部屋に入ると、確かに、ニコレットは窓辺で本を読んでいた。窓から入る日差しを浴びながら、ロッキングチェアに座り本を読む姿は幻想的だった。彼女が細すぎるのもあるだろう。長いまつげが白い頬に影を作っていた。
「ニコレット」
名を呼ぶと、ニコレットは顔を上げた。彼女はヴォルフガングを認めるとパッと笑顔になり、立ち上がった。
「こんにちは、陛下。ありがとうございます!」
「何の話だ」
突然礼を言われても、何の事だかさっぱりわからん。視界の隅でマルクスとヘルマがくすくす笑っているが、ひとまずの所そちらは無視することにした。
「自由にしていいって言ってくれたんでしょう? 今日は少しだけ、宮殿の中を案内してもらったの」
だからありがとう、と屈託なく笑われて、ヴォルフガングは戸惑った。ニコレットはヴォルフガングを見上げてニコニコ笑っている。
「そ……そうか。楽しかったか?」
「うん。アンティークの食器とか家具は興味深いよね」
「……そうか」
駄目だ。ニコレットが理解できない。明らかにニコレットの勢いにのまれているヴォルフガングに、ヘルマは、「お茶にしましょう」と声をかけた。
ニコレットと向かい合って座ったヴォルフガングは大量に並べられた菓子類に顔をひきつらせた。逆に、ニコレットは目を輝かせている。
「どれになさいますか?」
「じゃあ、これ」
ニコレットが指さしたケーキをヘルマが取り分ける。彼女が選んだのはシュヴァルツヴェルダー・キルシュトルテだった。酒をしみこませたスポンジに、ブラックチェリーを大量に使用したケーキである。
ニコレットはそれをほおばると、顔がとろけそうな笑みを浮かべた。確かに、マルクスが言うようにとてもおいしそうに食べている。この分ならすぐに太るかもしれないな、と思いながら、ヴォルフガングは声をかけた。
「うまいか?」
「うん。何を食べてもおいしいから、幸せ」
「……そうか」
自分で幸せ、と言うだけあり、彼女の笑みは本当に幸せそうだ。そんな笑顔を見せられ、ヴォルフガングは反応に困るのだった。
さらに、ニコレットはヘルマに勧められてシュニットレというスパイスを蜂蜜で練り込んだ菓子も口にした。変わったタイプの菓子だが、彼女はこれも「おいしい」と言う。それを見て、ヘルマはにこにこしている。
何となく、ニコレットはヘルマに餌付けされているような気がする。しかし、これだけおいしそうに食べるのだ。ヘルマの気持ちはわからないではない。
「何を読んでいたんだ?」
「えっと。通史は読み終わっちゃったから、新しい本を借りてきたんだけど、やっぱり歴史かな。小説も借りてはきたけど」
ニコレットはすぐに返答をする。マルクスの報告では、帝国史全6巻を読んでいる、とのことだったのだが、もう読み終わったのか……。読む速さに少し呆れるヴォルフガングだった。
「何か足りないものはあるか? ほしいものがあるなら、取り寄せるが」
「え? ううん。大丈夫。物が多すぎてどうやって使うのかわからないくらいだもの」
「そうか。何か不満があったら言え。善処する」
「わかった。ありがとう、陛下」
ニコッと邪気のなさそうな笑み浮かべたニコレットは、ティーカップを持ってお茶を飲んだ。その後に首をかしげる。
「やっぱり、昨日のやつと味が違うよ」
「ええ。昨日のものはアールグレイでしたが、今日のものはダージリンですね」
「へえ。こっちもおいしいねぇ」
そう言ってニコレットはヘルマに笑いかけた。少し驚きだが、ニコレットは味の違いがわかるようだ。これは、確かに食べさせても面白いかもしれない。食べ物の味の違いも分かるだろうからだ。
気づいたら、ヴォルフガングは口を開いていた。
「ニコレット。今日の夕食はともに取ろう」
「あ、うん。わかった」
やはりニコッと笑って、ニコレットは了承した。やはりマルクスがにやにやしているが、とりあえず後で殴っておこうかと思う。
△
「珍しいですね、陛下。こんなに早く皇妃様と晩餐をなさるとは」
「いや、食べる姿が面白くてな。マルクスが言っていた通り、とてもうまそうに食べるんだ」
面白い、と言うより微笑ましいとか、かわいらしいとかの方が当てはまる気がするが、そう言ってしまうと、マルクスだけでなくアルベルトにも冷やかされる気がしたのでやめた。
「そうなのですか……私は今日の昼過ぎに、宮殿を散策中の皇妃様に出会いましたね。興味深そうに飾り壺を眺めていらっしゃいました」
「……わけが分からないな」
「ええ。なので、何をしているのかとお聞きしたら、観察しているから触ってもいいか、と聞かれました」
どこの壺かはわからないが、見るだけなら触ってもいいと思うが。そう言えば、「アンティークの食器や家具は興味深い」と言っていたが、このことだったのだろうか。だが、壺は食器でも家具でもない気がする。
アルベルトからさらにわけのわからない情報提供を受けたヴォルフガングは、とりあえず、約束していたニコレットとの夕食に向かうことにした。家族用の小さな食堂で先に待っていたニコレットは、ヴォルフガングを見て立ち上がった。
「こんばんは、陛下。お疲れ様です」
上品にスカートをつまみ、笑顔を見せる彼女は、一見して壺を見つめる変人には見えない。
水色のドレスをまとったニコレットは、やはり細かった。修道院で育ったためだとわかっているが、触れたら折れないだろうか、と少し心配になる。
「こんばんは、ニコレット。……座ってくれ」
ヴォルフガングはそう言ったが、ニコレットは彼が座るのを確認してから席に着いた。いくら変わっていても、礼儀と言うか、作法はしっかりしているようだ。
今日のメニューは白身魚のムニエルだった。ムニエルはニコレットの故国であるロワリエから伝わった料理ではあるが、ニコレットは初めて見たようだ。しばらく不思議そうな表情で眺めた後、ナイフで小さく切って口に入れた。
その途端、ニコレットの顔が幸せそうに緩む。どうやら、ムニエルも彼女の口に合ったようだ。幸せそうに頬を緩ませるニコレットを見て、ヴォルフガングも少し口角をあげた。
「今日は本を読む以外に何をしていたんだ?」
話しかけると、ニコレットは食事の手を止め、少し考えるように間をあけてから答えた。
「ええっと。宮殿内の案内をしてもらったわ。明日は庭を案内してもらう予定」
「そうか……壺を眺めていたらしいが」
「あ、うん。そうなの。珍しい型の壺だったから。デザインもきれいだし、たぶん、200年くらい前のエグナー調の……」
「待て待て待て! 何を言っているかわからん!」
嬉々として話しはじめたニコレットであるが、彼女が言っていることはよくわからない。そもそも、ヴォルフガングはあまり芸術に造詣が深くなかった。
待ったをかけられたニコレットはキョトンとした表情で何度か瞬きをした。それから、ほんわりと微笑んだ。
「よく言われるの。何言ってるのかわからないって」
「何故そこで微笑む!?」
いまいちニコレットの感覚がよくわからない。ヴォルフガングのツッコミにもめげずに、ニコレットはにこにことヴォルフガングに微笑みかけている。
メンタルが強いな、この娘……。
だが、何を言ってもめげない相手だと、遠慮しなくていいので話すのが楽だ。その後も時々ニコレットと食事やお茶をするようになった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
ニコレットの興味の幅が広すぎて、作者もよくわからない事態になっているという……。よほど修道院生活が暇だったのでしょう。
12月8日。
オレンジ・ペコーをダージリンに変更しました。
次はいつも通り、明後日(12月10日)に投稿します。