ニコラス王太子
今回はニコレットの母方の祖父の話です。
『この子は、世界に新しい時代を告げるだろう』
かつて、世界には魔法が存在したと言われている。その名残が予言なのだそうだ。生まれた時に予言を授けられたダリモアの王太子ニコラス・オブ・ダリモアは、『世界変革』の予言だと言われている。
この予言が事実かどうかはわからない。しかし、後の歴史学者は彼の予言は本物だったと言うだろう。ニコラスは、確かに世界のありようを変えたのだから。
ニコラス・オブ・ダリモアは、『世界変革』の予言を与えられたとは思えないような人物だった。
容姿は金髪に紫の瞳をした美形。しかし、美男子と言うよりは、中性的な美貌で、見方によっては美女にも見えた。優しげな顔立ちにほっそりした体格。さほど背丈も高くなく、体もあまり強くなかった。
それでも、彼は王家の慣例に従って、15歳で戦場に出た。そこで、彼は才能を開花させた。
相手は長年、領海権を争ってきた、ダリモアの北に海を挟んで隣接するソリヤ王国。体が弱く、武術もあまり強くない王太子に、誰も期待などしていなかった。
しかし――多くの人々の予想を裏切り、彼は快勝した。おそらく、ニコラスの作戦勝ちであろう。体は弱くとも、彼は頭がよかった。
そうして、彼は確実に世界に名を広めていった。しかし、それだけでは予言が実現したとは言えない。
「……この銃を、何とかして利用したいよね」
ニコラスは手に最新式の銃を持つ。以降、彼の娘や孫娘も関わることになる銃であるが、この時の銃は体長が長く、ニコラスの体の半分ほどもあった。
この時代の銃とは、狙って当てるものではなく、相手を威嚇するためのものだった。当たれば御の字。だいぶ改良されており、威力も命中率も上がってきてはいるが、それでも主武装としては使えない。いまだに、武装の重たるものは剣や弓だった。
しかし、ニコラスは自分でつぶやいたことを実行に移した。威嚇のために使われるのがほとんどだった銃器を、戦場で主な武器として使用したのは彼が最初だ。『狙撃手』という役を作ったのはニコラスだと言われている。
彼の戦術は単純と言えば単純であった。剣と銃の両方を兵士に持たせたのである。銃は剣よりも威力が大きい。ニコラス自身も、剣より銃を扱う方が得意だったと言う。
銃などの火器を大量に導入することで、で彼は次々と戦争に勝利し、いつしか『変革を告げる殺戮者』と呼ばれるまでになった。
彼が本当に殺戮者であったのかは疑問が残るところだ。彼は殺さなくてもいい時は殺さなかったし、同時に温厚で慈悲深い性格でもあった。
国内産業を保護し、ロワリエ王国ほどではないが、技術力を高めていった。さらに国民に文字の読み書きや算術を教える制度を作り、国力の底上げを行おうとした。この政策は、ニコラスの息子が王位を継いでからも続いている。
さらに、彼は戦死者の家族を保護した。いわゆる遺族年金制度である。議会制度を確立させたのも彼だ。もともと、議会は存在していたが、ときどき王が議会の決定を覆すことが会ったのだ。
そんなわけで、ニコラス王太子は国民に人気があった。そこまでしていても、ニコラスは王ではないのだ。ただ、父王はニコラスを頼っている節がある。
ところで、ニコラス王太子は恋愛結婚であった。20歳の時に2歳年下の伯爵家の娘レベッカと結婚した。2人の間には、ニコラスが21歳の時に息子が、25歳の時に娘が生まれた。
「おかえりなさい、おとうさまー!」
「おう、ただいま、ビー」
外交から戻ってきたニコラスに突撃してきたのは娘のベアトリスである。5歳になったばかりの娘を抱き上げ、ニコラスは後からやってきたレベッカと、九歳になった息子エドワードに目を向ける。
「変わりなかったかい、レベッカ、エディ」
「ええ。ビーが『お父様がいない!』と大泣きしたくらいですね」
「……ははは」
ニコラスは苦笑した。ベアトリスは父であるニコラスにべったりであった。
「エディも変わりないかな?」
「はい! お帰りなさい、父上!」
「ああ、ただいま」
かしこまった様子の息子の頭をなでると、「もうそんなに子供ではありません!」と言いながらも嬉しそうな表情になった。
「そちらはどうでしたか?」
「あまりよくないねぇ」
ニコラスはハインツェル帝国まで協議に行っていた。帝国は大陸最大の国であるが、現在の皇帝は領土拡大志向がある。そのため、周辺諸国が危ぶんでいる。これは戦争になるかどうかを決める会議と言ってよかった。
「ですが、ニコラスがいる間は戦争になることはないでしょうね」
「あー、うん。否定できないところが何とも言えないよね」
このころにはすでに、ニコラスは『変革を告げる殺戮者』と呼ばれていた。戦争で勝ち続けているのが原因だと思う。とはいえ、最近は、かなり情勢が落ち着いているので、ニコラスの出番はないだろう。たぶん。
「おとうさま、がいこくのおはなしをしてください!」
ニコラスに抱き上げられたままのベアトリスがせがんだ。ニコラスは「あー、はいはい」と返事をする。ニコラスは、子供たちがしたい、と言ったことをなんでもさせていた。一度、銃に触らせてレベッカに怒られたことがある。
ベアトリスが今後、銃に興味を持って行くのは、もしかしたらニコラスのせいかもしれない。
すわ戦争になるか、と危ぶまれる状況であったが、この時、ハインツェル帝国が周辺諸国と戦争を始めることはなかった。おそらく、レベッカが言ったように、ニコラスが敵国側につくことを恐れたのだろう。
だが、政務や国内で起こった反乱の鎮圧などに駆り出され、もともと体の弱かったニコラスは寝込むことが多くなった。
そんな時、ついに戦争は勃発した。ハインツェル帝国とロワリエ王国との間で、まず戦争が勃発。それに便乗し、帝国に領土を接する国々は帝国に対してそれぞれ戦線を構えはじめた。
そして、それはダリモアにも飛び火した。
「何も、あなたが行くことはないと思うのです」
出立を前にしたニコラスに、レベッカが声をかけた。四十歳になるニコラスは、体が弱り、戦争に行けるような体ではない。ニコラスはやつれた顔で笑った。
「そうは言っても、戦うのは僕ではないからね。エディだ」
「……」
これが初陣になる19歳のエドワードは、緊張した面持ちでニコラスの後ろに控えていた。親が高名であると、無駄な期待がかかるのだ。
ニコラスは自分より背が高くなった息子の肩をたたいた。
「大丈夫だよ。防衛線だから、ただ攻め込まれないように気を配ればいいだけだ」
「……そんなに簡単にできないと思うんですが……」
「いざとなったら僕も行くから」
ニコラスが微笑んでそう言うと、エドワードは「がんばります」と何故か俄然やる気を出した。
現在、ロワリエ軍がダリモアに向かっているという。昔ほどではないが、ロワリエはダリモアと根本的に気が合わないのだと思う。小さな小競り合いが生まれるのはしょっちゅうだ。おそらく、ニコラスが弱っているのを聞きつけ、今のうちにつぶしてしまおうと考えたのだろう。
「行ってらっしゃいませ、ニコラス、エディ」
レベッカがそう言って2人の頬にキスをする。ずっとうつむいていたベアトリスは、顔を上げるて言った。
「お父様、無理しないでね。お兄様、頑張ってね。いってらっしゃい」
そう言って、ベアトリスも二人の頬にキスをした。レベッカとベアトリスの見送りを受けて、ニコラスとエドワードは出立する。
レベッカとベアトリスにとって、これがニコラスとの永遠の別れとなった。
結果として、ダリモアは防衛に成功した。帝国側との戦線が危うくなったからだろうが、ロワリエ軍が撤退していったのである。これに喜んだダリモアだが、すぐにそのお祝いの雰囲気は霧散した。
ダリモア軍が、戦場から宮殿に帰還してきた。そこには、エドワードの姿はあったが、ニコラスの姿はなく、多くの兵士に運ばれる棺が存在感を醸し出していた。
棺の中身は、ニコラスの遺体であった。最前線となった砦に行ったはいいが、もともと体長のすぐれなかったニコラスは、そこで病状を悪化させ、ロワリエ軍が撤退するところを見ることなく亡くなったのだそうだ。
ニコラスは、王になることなくこの世を去った。
それでも、彼の名声は高く、後に歴史書に名を残している。しかし、今を生きる者たちにとって、それはどうでもよいことであった。
ニコラスの死は、様々なものに変化を与えた。
まず、ニコラスの死を持って勢いづいたのがロワリエ王国をはじめとする諸国である。彼が恐ろしく、行動を起こせなかったものたちは、ここぞとばかりにダリモアに揺さぶりをかけた。それでも、ニコラスの父であるダリモア王が、何とか要求をかわしていた。
そして、愛する夫を亡くしたレベッカを精神的に追い込んだ。彼女は伏せることが多くなり、そして、夫の死の2年後に儚くなった。それから半年ほどしてダリモア王もなくなり、王位はニコラスの長男であるエドワードが継ぐことになった。
父もおらず母もおらず、長期にわたって王位を保持していた祖父もなくなった。いるのは、権力を振るうことになれていない王と、研究者気質のその妹だけ。
それでも、2人は頑張ったと言えるだろう。
だが、物事はそううまくいかないものだ。絶対的存在だったダリモア王と、そしてニコラス王太子のいなくなったダリモア国内は荒れに荒れた。ついに、ロワリエ王国との和議のためにベアトリスが政略結婚しなければならないほどに。それほどまでに、ダリモアは衰退していた。
ニコラス王太子の予言は、本当だった。確かに、彼は世界に変革を告げた。しかし――。
彼は、ダリモアに大きな傷跡を残して逝ってしまった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
ちなみに、『残虐皇帝と予言の王女』の番外編は次で最後の予定です。
次は1月21日に投稿します。




