ニコレットの戦い(22)
今回はニコレット視点です。
ヴォルフガングたちが戦争に出かけて約1か月半がたった。そろそろ薔薇の最盛期なので、去年出来なかった分、ニコレットは薔薇の交配を行うことにした。もちろん、息子であるフェルディナンドの世話も忘れない。乳母がついているので、どちらかと言うと遊ぶ、と言った方が正しい。早いもので、ニコレットが母親になってから、すでに8か月近くが経過しているのだ。
このころになると、1人で座って遊べるようになってきた。しばらく前から離乳食を食べさせているのだが、すでに好き嫌いが出てきている。ニコレットの最近のマイブームは、自分の子供の観察であった。
「やっぱりヴォルフ様に似てると思うんだよね~」
絨毯を敷いた床の上にクッションを置き、簡易的な赤ちゃん用の遊び場を作っていた。その絨毯の上にニコレットも座っている。フェルディナンドは積み木を積み上げて笑っている。
「目の色は皇妃様と同じですよね……」
マリーアがニコレットとフェルディナンドを見比べてそう言った。フェルディナンドはニコレットと同じ菫色の瞳をしていた。髪はヴォルフガングと同じシルバーブロンドであるが、これから色が変わってくる可能性もある。
「皇妃様。お茶を入れましたが、飲みますか?」
「いただくわ。っ、たぁっ!」
ヘルマに声をかけられて立ち上がろうとしたニコレットは、髪を引っ張られる感覚がしてよろけた。あわてて近くにいたマリーアと乳母がニコレットを支えてくれる。見ると、フェルディナンドが「あー、うー」と言いながらニコレットの髪をつかんでいた。
「い、いたたたた。フェル、痛いよ……」
なかなか髪を離してくれないので、最終的に、乳母が「一緒に連れて行きましょう」と言ってフェルディナンドを抱き上げた。すると、彼はパッとニコレットの髪を離した。乳母に抱き上げられたからか、母と離れるのが嫌だったのかはわからないが、後者だと思っておく。
ひと騒動あって、さあお茶を飲もう、と言う時、マルクスがやってきた。
「皇妃様。ライヒェンバッハ公爵がお目通りを願っているのですが」
「……」
ちょうどティーカップを持ったところだったニコレットは沈黙した。ヘルマはあからさまに眉を顰め、「あの方は先触れと言う言葉を知らないのでしょうか」とのたまっている。まあ、同意見であるが。
「……まあいいわ。お会いする。応接間で待っていただいて。ヘルマ、お茶の用意を。マリーア、フォーゲル公を呼んできて。乳母はフェルをよろしくね」
それぞれに仕事を割り振り、ニコレットは他の女官たちに手伝ってもらって身なりを整える。身なりを整えることも、もう3年目ともなれば慣れたものだ。
鏡を見ると、菫色の瞳の女性が見つめ返してくる。明らかに嫁いできた時よりもふっくらしていて、ニコレットは少し不満だった。しかし、これ以上痩せたら長生きできない、と医者にも言われたため、今の体形が保たれているのである。あ、でも、出産でやっぱり少し太ったかもしれない……。
ニコレットはちょっとため息をつき、鏡から目をそらした。留守番をしている宰相のフォーゲル公が戻ってくるまで待ちたかったが、あまり長くライヒェンバッハ公爵を待たせるわけにもいかないので、ニコレットはヘルマとマルクスと共に応接間に向かった。
「お久しぶりですね、ライヒェンバッハ公爵」
ライヒェンバッハ公爵の向かい側に座ったニコレットが声をかけると、彼は腹に一物抱えたような笑みを浮かべた。
「ええ。お久しぶりです、皇妃様。相変わらずお元気そうで」
そこは相変わらずお美しい、と言うところでしょう、とヘルマがつぶやくのが聞こえた。いや、まあ、でも、ニコレットの場合、お元気そうで、でも間違ってはいない気がする。
「それで、何のご用でしょうか」
フォーゲル公はまだ来ない。だが、話をしているうちに来てくれるだろう。マリーアはフォーゲル公の姪なので、すぐに取り次いでもらえるはずだ。そう思い、ニコレットは単刀直入にライヒェンバッハ公爵に尋ねることにした。
「皇帝陛下が戦に出かけられましたからね。皇妃様も話し相手が欲しくはありませんか?」
「結構。間に合ってるわ」
最初の衝撃的な会談のあとも、何度かライヒェンバッハ公爵には会っている。そのたびに言われるのだが、ニコレットは彼に対してだけはかなり冷たい態度なのだそうだ。いや、自覚もあるけどね。
遠回しにとっとと帰れ、と言われたライヒェンバッハ公爵であるが、彼はめげなかった。ニコレットもメンタルが強いが、ライヒェンバッハ公爵も相当強い。
「皇妃様は、修道院でお育ちになったそうですね」
「だとしたら、何だと言うの?」
ニコレットは強い口調でライヒェンバッハ公爵に問うた。彼はいやらしい笑みを浮かべたまま口を開いた。
「いえ。その修道院がある場所は、現在、皇帝陛下が戦っておられるあたりだと聞きましてね」
「……そうらしいわね」
ヴォルフガングが現在、戦線をニコレットが育ったリオンヌ地方のやや南に展開していることは知っていた。フォーゲル公が時々状況を教えてくれるし、ヴォルフガング本人からも手紙は来る。それにしても、相変わらずライヒェンバッハ公爵の言いたいことがさっぱりわからない。
「皇帝陛下は、あなた様のご実家と戦われています」
「そうね」
だからなんだと言うの? と言わんばかりの態度でニコレットは首をかしげた。ニコレットが思うような反応をしなかったからか、ライヒェンバッハ公爵がいらだつ。
「ご自分の国が、滅ぼされるかもしれないのですよ?」
「ええ。そうなるでしょうね」
ニコレットは確信を持ってうなずいた。ヴォルフガングは、必ず勝って帰ってくるだろう。そう思っていた。
この落ち着いたニコレットの態度は、ライヒェンバッハ公爵を怒らせたようだ。彼がテーブルをたたいて立ち上がる。その衝撃で、ティーカップが倒れてお茶がこぼれた。
「皇妃様!」
ヘルマとマルクスがあわてたように叫んだが、ニコレットは手をあげて彼らを制した。
「ライヒェンバッハ公爵。あなた、調べが甘いようね。私が何故修道院で育ったのか、知らないの?」
ニコレットが修道院で育ったのは、彼女に授けられた予言に、父であるロワリエ王が恐怖したから。一度しか会ったことのない、自分と母を幽閉した人間のことなんてどうでもいい。ニコレットとしては、ヴォルフガングが無事で帰ってきてくれればそれでいいのだ。
「母国が滅びるかもしれないなんて、そんな文句で私を脅そうなんて無駄よ。だって、私が『自分の国』と認識しているは、ハインツェル帝国だけですもの」
ライヒェンバッハ公爵を見上げ、ニコレットは微笑んだ。ニコレットが動揺したところに付け込んで何かをさせる気だったのかもしれないが、あいにく、彼の行動は的外れである。
「……では、帝国を自分の意のままにしたいと思われたことはありませんか? 皇妃様は、後継ぎを出産なさいました。やろうと思えば、やれる」
「あいにくだけど、私にはそこまでの才覚はないから、考えたことはないわね」
「本当ですか? 少しも?」
「当然だわ」
背後でヘルマとマルクスが息をのむ音が聞こえた。ニコレットは椅子を引いて立ち上がる。
「話がそれだけなら、お帰りいただけるかしら」
微笑んで、ニコレットが扉を指さす。今度は直接的に帰れと言われたライヒェンバッハ公爵は、ニコレットを睨み付け、身をひるがえした。ほっとしたところに、ガチャリ、と音がして目を向けると。
「……何のつもりかしら」
ニコレットは静かに言った。目の前にあったのは、見慣れたバイエ銃である。相変わらずニコレットは、撃った時の反動が強すぎて、この銃を扱えない。
皇妃に銃を向けたライヒェンバッハ公爵は目が血走っていた。マルクスが「皇妃様、お下がりください」と声をかけてくるが、ニコレットはその場から動かなかった。銃を向けられた恐怖で立ちすくんでいたともいう。それでも、彼女はライヒェンバッハ公爵を睨んでいた。
「私の言うことを聞いていただければ撃ちませんよ。陛下がいない間に、あなたの子を、フェルディナンド様を皇帝に祭り上げてください」
「……そして、どうするのかしら」
「フェルディナンド様には私の傀儡となっていただきます。そうすれば、あなた方の命は保証します」
殺されるかもしれないと言う恐怖を覚えながらも、ニコレットの脳は冷静に現状を処理していた。前から思っていたが、ライヒェンバッハ公爵はやることがずさんすぎるのだ。だから、すぐにほころびが生じる。そして、自分でそれに気が付いていないのがまた恐ろしい。
答えることができないニコレットは、とりあえず口を開いた。
「公爵。あなた、私の父と同じだわ」
「ロワリエ王と? 光栄ですね。私をそこまで買って下さるのですか?」
どこか嬉しそうなライヒェンバッハ公爵にニコレットは残酷にも「いいえ」と首を左右に振った。
「あなたは、ヴォルフ様が……皇帝陛下が怖いだけ。怖いから、排除して、自分が帝国を操ろうとするのでしょう? あなたは権力が欲しいわけではないのよね。ただ、怖いだけ。私の父も、同じだわ」
撃たれるかもしれない恐怖から、ニコレットはとにかくしゃべり続けた。
「父は、親殺しの予言を受けた私を恐れた。恐れて、修道院に閉じ込めた。恐怖の対象を自分から遠ざけたのよ。あなたがしようとしていることと、同じでしょう?」
「親殺しの、予言?」
「私の母方の祖父も、予言を受けた人だったらしいわね。それもあって、父は私の予言が現実になるのではないかと恐怖した……。そして、本当になったわね」
まだ、戦争の結果はわかっていない。しかし、ニコレットの予言が本物であれば、ヴォルフガングは必ず勝つのだ。
「父は恐怖の対象を遠ざけて、そして負けた。あなたも同じ。恐怖の対象を排除しようとして、そして負けるの!」
ニコレットは瀟洒なテーブルをひっくり返した。結構重かったが、ひっくり返った。同時に応接間の扉が開き、フォーゲル公が兵士たちを率いて入ってきた。ニコレットは倒れたテーブルの後ろに隠れた。
「皇妃様」
ヘルマがニコレットの側に這い寄ってきた。しばらく暴動音のようなものが続き、やがて静かになった。ライヒェンバッハ公爵が何か叫んでいるが、これは騒音にいれずに無視する。
「もう大丈夫ですよ」
マルクスの声を聞いて、ニコレットはひょっこりと顔を出した。ヘルマがニコレットを叱りつけるが、彼女はさっさと立ち上がり、乱れたドレスの裾を直した。彼女は兵士に捕らえられたライヒェンバッハ公爵を横目で見つつ、彼が落としたバイエ銃を手に取った。
「銃弾は3発か。やっぱり、引き金を引くだけで撃てるのは問題があるわよね。安全装置を付けようかしら」
などと言いながら、ニコレットはライヒェンバッハ公爵に銃口を向けた。
「皇妃様!?」
フォーゲル公とマルクスが声を上げる。ヘルマが両手で口を覆った。ライヒェンバッハ公爵がおびえた表情になる。
「や、やめ……っ」
「ばぁん」
ニコレットは笑って口で銃声をまねた。ライヒェンバッハ公爵は腰を抜かしたらしく、兵士に抱えられて連れて行かれた。
「……やりすぎたかしら」
「やりすぎですよ……」
マルクスがさすがにツッコミを入れた。
「皇妃様、豪胆ですよね」
「そうでもないわ。さすがに怖かったもの」
さらりとニコレットは言った。銃は撃てるが、ニコレットは実際に人を撃ったことはなかった。
「それにしても、どうして宰相がいると気が付いたんですか?」
ヘルマが尋ねてきたので、ニコレットはにこりと微笑んだ。
「ドアが開いて、合図があったもの」
それに合わせて、ニコレットはテーブルをひっくり返しただけということだ。ヘルマに少し、あきれた表情をされた。今更だけど。
ライヒェンバッハ公爵は、皇妃を害そうとしたということで身柄を拘束された。処断は皇帝が帰国次第、下されることになった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
次回で、この作品も本編最終話です。最後はヴォルフガング視点ですね。
いつも通り、明後日(1月13日)に投稿します。




