ニコレットの予言(20)
短編の後半のリメイク版です。この1話の間に1年近くが経ちます。経過はやすぎ。
冬も終わりに近づき、もうすぐニコレットが嫁いで来てから1年が経とうかという頃、ニコレットが身ごもった。この慶事に宮殿中が喜びに沸いたが、ニコレットの周囲は気が気ではなかった。彼女の食欲が眼に見えて減ったからだ。妊娠の初期症状の一つである。
彼女が嫁いで来てから好んで食べていた菓子類は、甘い匂いで気持ち悪くなる、と言うことで出されなくなった。代わりに、果物類を好むようになった。出産を経験しているヘルマによると、好みが変わるのは妊婦によくあることなのだそうだ。特に、酸っぱいものが食べたくなることが多いらしい。しかし、ニコレットが食べたがったのは桃である。ただ、桃は夏場の果物なので、さすがに皇帝といえども、そう簡単に手に入らない。
無理に食べれば吐き出すし、かといって食べなければ母体にも子供にも影響が出る。いろいろ試した結果、彼女が修道院にいたころによく食べていたという質素な食事なら何とか食べられることがわかった。
いつも元気に飛び回っていた彼女がぐったりしていると、みんな心配になる。ヴォルフガングもかなり心配した方だが、マリーアが泣きださんばかりにニコレットを心配しているのを見て、人見知りのマリーアにずいぶん慕われたものだ、と思った。
「うう~。気持ち悪い~」
座っていても寝ていても気持ち悪い。寄りかかっているのが一番楽、と言うので、ニコレットはヴォルフガングに寄りかかっていた。香りのよいお茶も飲めないので、彼女の前に出されているのは白湯である。
「こればっかりは、どうしようもないな」
ヴォルフガングもため息をついた。何とかしてやりたいとは思うが、病ではないのでどうしようもない。
「がんばってください、皇妃様。早ければあと2週間ほどで収まりますから」
「……にしゅうかん」
ニコレットがはあ、とため息をついてヴォルフガングに体重を預ける。彼女が倒れないように支えてやりながら、ヴォルフガングはつぶやいた。
「大変だな……女性は……」
「遅くても、あと一か月くらいで収まると思いますよ。今が一番ひどい時期だと思いますから」
ヘルマが慰めるように言った。ニコレットは微笑もうとして失敗し、目を閉じてヴォルフガングの肩に額を押し付けた。ヴォルフガングは彼女の背中をそっとなでた。ニコレットがゆっくりと息を吐き出す。
「いっそ眠ってしまった方が楽なのではないか?」
「そうかもしれないけど、眠くない」
さしものニコレットもつわりには勝てないらしく、実験や読書は控えている。散歩は時々しているようだが、花の匂いにもえずいてしまうのでできるだけ匂いのする花のあるところを通らないようにしているらしい。
「こうしてるのが一番いい……」
ニコレットがヴォルフガングの肩に額を押し付けたまま言った。ヴォルフガングは微笑み、自分も彼女の頭に頬を当てて、目を閉じた。幸せだな、と思った。
2週間ほどたつと、ヘルマの言った通り、ニコレットのつわりは収まっていった。それからしばらくすると、徐々にニコレットの腹部が膨らみだした。まだなでると何となくわかる程度だが、そこに自分とニコレットの子がいると思うと、とてもいとおしい気持ちになれた。
そのころには、ニコレットにも徐々に余裕が出てきた。食べ物の趣向はあまり変わらなかったが、少なくとも食べられる量は増えた。それでも、もともと小食気味のニコレットは食べる量が少ないらしかった。確かに、2人分と考えると少々少ないかもしれない。
花の香りにえずくこともなくなったので、元気に散歩をしているらしい。あるとき、満開の薔薇園を散策するのについて行った。
「う~ん。今年も交配をしたかったんだけど……」
「ダメだ。薔薇はとげがあるからな」
「だよねぇ」
ニコレットは苦笑して肩をすくめた。良識が出てきたようで何よりだ。身重の人間に、とげのある薔薇を触らせることはできない。触るなら、全てとげを抜いてからにしてほしいものだ。
去年ニコレットが交配を行った薔薇の種は、あまり成長が芳しくなく、小さなオレンジとピンクのまだらな色合いの花が咲いていた。ニコレットはそれを見て、余計に交配実験を行いたくなったようだが、しない方がいいと言うことはわかっているらしく、ため息をついただけで終わった。
「そんなに気を落とすな。これからいくらでも機会はあるんだから」
「……そうよね!」
頭を抱き寄せてそうささやくと、ニコレットは気を取り直したように言った。本当にメンタルが強い娘である。
それから、社交シーズンが来たが、ニコレットはあまり夜会には参加しなかった。そのころにはだいぶ腹が大きくなっており、生まれる日が近づいてきていることを実感できた。皇妃として壇上から椅子に座ってみていることはあったが、決してダンスには参加しなかった。こけると危ないからだが、あまりダンスが得意ではないニコレットはこっそりほっとしていたようだった。
「だいぶ大きくなってきたな」
「ヘルマによると、まだ大きくなるって」
ネグリジェの上から大きくなった腹をなでながら言うと、ニコレットは笑ってそう返してきた。これ以上大きくなって、ニコレットの細い体が耐えられるのだろうかと思ったが、彼女ならけろりとしていそうで何とも言えない気持ちになった。
秋になり、ニコレットが嫁いで来てから1年半ほどたったころ、彼女は男児を出産した。この慶事に、宮廷中どころか帝国中がわいた。ヴォルフガング皇帝とニコレット皇妃の仲の良さは帝国内では有名で、二人の姿をひと目見ようと、多くの人々が宮殿前の広場に集まったこともあるくらいだ。今年の建国祭の時の話だが、ニコレットは少しビビっていた。
「かわいい~」
自分の息子の柔らかい頬をつつきながら、ニコレットは微笑んだ。ヴォルフガングに似たのか、髪の色は銀だが、目の色は菫色だ。まだ小さすぎるので、顔立ちはどちらに似ているかわからないが、みんな口をそろえて「どちらに似ても美人」だと言い切った。名はフェルディナンドと名付けた。ニコレットは名づけに関してはよくわからないそうで、丸投げされたヴォルフガングはちょっと困った。
出産後、「死ぬかと思った~」などと言っていたニコレットであるが、そう言った表情はけろりとしていた。それを見て、「さすがだ」と思ったのは内緒である。さすがに言葉にしたらすねるだろう。
「柔らかーい」
ふにふにとしつこくニコレットが頬をつつき続けたので、ついに泣き始めた。ニコレットはあわてて抱き上げた。そのあやす手つきが微妙に様になっているのが気になった。
「慣れているな」
「えへへ。赤ん坊をあやしたことはあるからね」
「……お前、修道院で育ったんじゃないのか?」
「そうだよ~。でも、普通に身ごもった娼婦とかが駆け込んできたりしたし」
そういった者たちは、そのまま修道院で出産する場合が多いのだそうだ。修道院に幽閉されているニコレットとは事情が違ったので、子供は教会に付属した孤児院に引き取られるのだそうだ。
泣いていたはずなのに、いつの間にかフェルディナンドは眠っていた。ニコレットは眠る子を見つめて微笑んだ。
「まさか、私が子供を産めるとは思わなかったわ。一生、修道院で暮らすものだと思ってた……」
そうだ。ニコレットは、こうしてヴォルフガングに嫁いでくることがなければ、修道院で生涯を終えていた可能性が高い。それほど、ロワリエ王はニコレットの予言を恐れていたということだ。
『この子は、父親を滅ぼすだろう』
結局、この予言が本物なのかはよくわからないままだ。予言を授けた予言者はすでに殺されてしまっているらしいので、真偽を確かめようがないのだ。
だが、ヴォルフガングにとってその予言の真偽はどうでもよいことであった。愛する妻を手に入れることができて、むしろ予言に感謝したいくらいだった。
ヴォルフガングは手を伸ばし、子供ごとニコレットを抱きしめた。
「俺は、お前が嫁いで来てくれてよかったと思う。幸せだな」
「うん……」
幸せそうにうなずいてくれるニコレットに、ヴォルフガングも幸せそうな笑みを浮かべた。
△
後継ぎの誕生に帝国中が喜びにわいたが、諸外国はそうは思わなかったようだ。もちろん、帝国内にも面白くないものがいるのだろう。
諸外国の後継ぎ誕生に対する反応の第一波は、ロワリエ王国から訪れた。ニコレットの出産から数か月たち、再び年が明けたころ宣戦布告が行われたのである。
それに同調する形で、周辺諸国からも宣戦布告が行われた。ハインツェル帝国の国土のほとんどは、冬になると雪に覆われるため、さすがに年が明けたばかりのこの時期に攻め込んでくることはないが、雪が解け、攻め込まれるまで時間の問題だろう。
「でも、どうしてこの時期に? セオリーとしては、宣戦布告と同時に攻め込むんじゃないの?」
ニコレットが宣戦布告の書状を見て不思議そうに首をかしげた。彼女の的を射た発言に驚きつつも、ヴォルフガングは言った。
「先に仲間を集める目的があったんだろう。ロワリエがいくら技術的に発展しているとはいえ、一国の国力としては帝国にかなわないからな」
「……これで集まるかは微妙だと思うんだけど。だって、4年前の戦争の時点で、ロワリエを含めた周辺諸国は帝国に負けているわけでしょう? 負けた相手に再戦を挑んでどうするの?」
「今度は勝てると踏んだんだろう。ロワリエでは兵器が発展しているからな」
「そもそも、帝国に攻め入る大義名分は?」
「領地問題だな。先の戦争で、だいぶ領地を切り取らせてもらったからな」
「ああ……」
なるほど、と言わんばかりの様子でニコレットがうなずいた。
「だが、これには裏があると思われる」
「裏?」
つづけられたヴォルフガングの言葉に、ニコレットが首を傾けた。少々言いにくさを覚えながらも、ヴォルフガングは言葉を発した。
「お前、自分の予言の件は覚えているか?」
「予言? ええ、まあ……」
ニコレットが視線をさまよわせながらうなずいた。忘れられるはずがないだろう。彼女は、その予言のせいで修道院に追いやられたのだから。気にするそぶりを見せたことのない彼女だが、思うところはあるのだろう。
「それに関連して、だ。お前の生んだ子には、ロワリエの王位継承権があるはずだ」
意味が分からなかったのか、ニコレットが何度か瞬きをした。それから思い出したように「え」と声を出す。
「でも、私は第2王女だったけど、所詮お飾り、実の伴わない王女だったのよ? 私が生んだ子に、そんなに高位の継承権があるとは思えないんだけど」
「ああ、実際はそうだろう。ああ、責めているわけではない」
泣き出しそうになったニコレットを見て、あわててヴォルフガングはそう付け足した。
「俺が、子供の王位継承権を理由にロワリエに攻め込むのではないかと、ロワリエ王は疑っているんだ」
「……とんだ被害妄想だねぇ……」
ニコレットが的確な表現をした。ヴォルフガングはそう言ったが、ニコレットもわかっているのだろう。このロワリエ王の無茶ともいえるこじつけの根底には、彼女が受けた予言が関連している。
予言を受けたニコレットが、夫であるヴォルフガングを通じて、自分を滅ぼそうとしている。ロワリエ王はそう考えたのかもしれない。
人質として自分の娘を嫁がせた国に、刃を向ける。これは娘のことなどどうでもいいと言っているのと同じだ。
「……わかってたけど、父は私がいても、弓を引くことをためらわないのね……」
割り切ったように、しかし、悲しげに言うニコレットの頭をヴォルフガングは抱き寄せる。そして、言った。
「大丈夫だ。お前には、私がいる。だから、お前は、私のためにここにいてくれ」
「うん。いるよ。あんな人、父親だと思ったことはないわ。ただの遺伝子提供者。そう。なんたって私は、親殺しの予言を受けた人間なんだから」
『この子は、父親を滅ぼすだろう』
ニコレットが生まれた時に受けた予言。これが今、現実にならんとしていた。
実際にロワリエ王を滅ぼすのはニコレットではない。ヴォルフガングだ。しかし、この状況はニコレットがヴォルフガングに嫁いだことで生じたのだ。そのため、ニコレットがロワリエ王を滅ぼそうとしている、そう考えることも不自然ではない。
ロワリエ王は、予言を真に受けて娘を遠ざけたことで、その娘に滅ぼされるのだ。少なくとも、ヴォルフガングは滅ぼす気満々だった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
そんなわけで、妊娠から出産まで超特急で進みました。まあ、あとは予言についてのことを書くだけなので……。ちなみに、息子の名前はフェルディナンドです。いや、単純に名前が思い浮かばなかっただけです。
次は1月9日に投稿します。この作品も、そろそろ大詰めかなぁ。




