病(19)
年末になると、まず生誕祭がやってくる。神の家とも称される修道院でもさすがに生誕祭は祝っていたらしく、ニコレットも生誕祭は知っていた。しかし、こんなに大がかりなものは初めてだ、とちょっと呆れていた。
「生誕祭は家族と過ごすものだって思ってた」
「普通はそうだが、俺は皇帝でお前は皇妃だからな。帝国貴族の生誕祭はこんな感じだ」
と、ヴォルフガングは少し下がったところにあるダンスホールを手で示した。そこには多くの貴族たちが夜会を楽しんでいる。皇帝主催の生誕祭のパーティーなのだ。
「……変なの」
「それには俺も同意だ」
生誕祭は家族と、せいぜい仲の良い友人と過ごすものだと言う、ヴォルフガングとニコレットの意見は一致していた。
さすがに年越しには催しはない。夜更かしをしたせいで、新年初の日の出を見ることができなかった、とニコレットががっかりしていたが、どちらにしろ、新年初日は雪が降っていて日の出は見られなかったと思う。
年末年始と機能がストップしていた宮廷であるが、3日もすれば官吏たちが登城してくる。それに合わせ、皇帝と皇妃の新年の謁見が行われる。謁見の間で、ひたすら貴族の新年のあいさつを聞くと言うものだ。
毎年、ヴォルフガングはこれが苦痛である。収穫祭あたりからの仕事増加に加えて生誕祭、年末年始と続いてこれだ。聞くだけならともかく、返事をしなければならないのがより大変なのである。
しかし、今回は思いのほか楽だった。記憶力の良く、かつ、話がうまいニコレットが、挨拶が長すぎる、と思ったら適当に間に入ってくれるからだ。感謝のしるしに、ニコレットが欲しがっていたオルガンを皇妃の部屋に置くことにした。彼女は文字通り飛び上がって喜び、はしたない、とヘルマに注意されていた。
気を張ることが増え、彼女がそのうち倒れてしまうのではないか、と危惧したが、実際に倒れたのはヴォルフガングの方だった。新年最初の月が終わるころ、ヴォルフガングは寝込むことになった。医者によると、過労による発熱らしい。
ボーっとする頭のままヴォルフガングが眼を覚ますと、ベッドサイドではニコレットが椅子に座り、何故か編み物をしていた。白い毛糸で、何か大きなものを作っている。
「何を作ってるんだ?」
「あ、ヴォルフ様、おはよう」
声をかけたことでヴォルフガングが目覚めたことに気が付いたニコレットは、彼の方を見てニコッと笑った。
「簡単にひざ掛けでも作ってみようと思って。ヴォルフ様は大丈夫? あ、水飲む?」
「ああ、頼む」
ヴォルフガングが身を起こすと、ニコレットはゴブレットに入れた水を差し出した。力の入らない手で受け取り、中身を飲む。
ここは、皇帝と皇妃の夫婦用の寝室ではない。皇帝の部屋側にある、別の寝室だ。皇妃の部屋からはやはり、扉で続いているので、ニコレットが入ることはできるが……。
「なんで、ニコラが?」
そう言うと、ニコレットはキョトンとした表情で首をかしげた。
「夫の世話をするのは変なの?」
「……うつるぞ」
「お母様が、『風邪はうつるけど熱はうつらない』って言ってたわ」
「……本当か? それ」
ニコレットの母は、彼女に負けず聡明だったらしいが、この言葉は信憑性に欠ける気がした。
だが、基本自由人であるニコレットに指摘するのも無駄だとすでに学んでいるので、ヴォルフガングは特にツッコミを入れないことにした。単純に彼女に看病してもらえるのがうれしかったのもある。
「お母様が統計を取ってたみたい。どうやって統計を取ったのかしら」
「お前……それ、自分に返ってくるぞ……」
天気の統計もどうとっているのかヴォルフガングにとっては謎である。ニコレットは「あはは」とごまかすように笑うと、手を伸ばしてヴォルフガングの額に触れる。手が冷たくて気持ちがいい。
「まだ熱が高いわね。眠った方がいいと思うわよ」
ニコレットはヴォルフガングを寝かせ、シーツをかけてやる。濡らした布で彼の額の汗をぬぐった。ヴォルフガングは目を閉じた。
昔、本当に小さなころ、母にもこうして看病してもらった覚えがある。母は弟を生んですぐに亡くなってしまったが、美人で優しい人だった。ヴォルフガングの銀髪は母譲りである。
目を閉じると、いつの間にか眠ってしまっていたらしい。次に目を覚ますと、周囲は暗かった。
「お目覚めですか」
暗闇から声がかかって、さすがのヴォルフガングも驚いた。何のことはない。マルクスだった。ヴォルフガングが熱を出したので、夜中も見張っていたのだろう。
「マルクスか……。今何時だ?」
「夜中の2時ですね。皇妃様はとっくにお休みです」
「だろうな」
むしろ、起きていたら叱っていたかもしれない。とりあえず水分を取って寝ようと思ったのだが、眼が冴えていたので、マルクスに少し話し相手になってもらうことにした。のだが、さすがはマルクスと言うか、いつも通り彼の発言はニコレット贔屓だった。
「本当に素晴らしい方ですよ皇妃様は。自ら進んで陛下の看病をなさっていて、さすがに夜になったら疲れたみたいですけど」
「……そこは止めろ。うつるかもしれないからな……」
「いえ、そこは皇妃様の『熱はうつらないから大丈夫』という謎の言葉が」
「お前たちにも言ったのか……」
彼女には医学的な知識があまりないはずなのだが、病について、何か知っていることがあるのだろうか。ニコレット理論はよくわからない。
「そう言えば、皇妃様は陛下にいただいたオルガンを喜んでいらっしゃいましたよ。ヘルマさんによると、いつも寝る前に何曲か弾いているそうです」
皇妃の部屋に最近、オルガンを設置したのだ。以前は必要な時だけ持ち込んでいたのだが、ニコレットが珍しく「ほしい」と言ったものだったので、礼のつもりで運び入れたのだ。もともと、音楽室に置いてあった普通のオルガンであるが。
これで、ニコレットの実験記録に記述が増えるな……。編み物と、オルガン演奏だ。
「しばらくしたら交代ですが、私がいますから安心して寝てくださって大丈夫ですよ」
マルクスが自分の胸をたたいて言った。何となく彼の方を睨みながら、ヴォルフガングは再び目を閉じ、眠りについた。
三度目に意識が浮上したとき、まず気が付いたのは誰かが歌っていることだった。だが、ハインツェル語ではない。
声で分かっていたが、声のする方を見たら、ニコレットが椅子に座って編み物をしていた。毛糸を編みながら、何か口ずさんでいる。これは……。
「ダリモア語か」
「おおっ! びっくりしたー。起きたなら声かけてよ」
文字通り飛び上がってニコレットが驚きを表現した。ヴォルフガングは苦笑気味に「すまん」と謝る。身を起こすが、少し頭がくらりとしただけで、だいぶ気分はよかった。
「今の歌、ダリモア語か?」
「あ、うん。ダリモアの童謡だって言ってたかしら。ヴォルフ様、気分はどう?」
「……だいぶいいな」
「そうみたいね。呼吸も安定してるし、脈もだいぶ落ち着いてる。何より顔色がいいもんね」
ニコレットがヴォルフガングの首筋に手を伸ばしながら、ニコッと笑った。相変わらず、彼女が何を言っているのかよくわからなかった。
「でも、まだちょっと熱はあるかなぁ」
ヴォルフガングの額にも手を当て、ニコレットは首をかしげる。相変わらず、彼女の手は冷たかった。
そこで、ヴォルフガングは自分が空腹であることに気が付いた。そう訴えると、ニコレットは再び微笑んだ。
「うん。食欲が出てきたなら、大丈夫だね。あ、ちなみに今午前10時くらいだよ。ヴォルフ様が熱を出してから2日目」
さりげなく時間の情報を与え、ニコレットは人を呼びに扉を開けに行った。外には誰か使用人が控えているのだろう。ニコレットは伝言を頼み、すぐに戻ってきた。落とした編みかけのひざ掛けを拾い上げ、近くのテーブルに置く。
「すぐに持ってきてくれるって」
「そうか……。斬られたわけでもないのに熱を出すとは、不覚だ」
「あはは。疲れてたんだよ、きっと。私も迷惑かけないようにするね」
「いや、お前と過ごすのは楽しいからな。問題ない」
「え、そうなの?」
ニコレットは驚いた様子だが、少し嬉しそうでもある。というか、自分の行動がはたから見たら迷惑だと言う自覚があったらしいことに驚きである。
しばらくして、ヘルマが食事を運んできた。一般的に言う病人食であるが、普通の食事では、弱ったヴォルフガングに悪いので当然だ。
ヴォルフガングが食事をする横で、ニコレットが編み物をしていた。だいぶできてきているが、どう見ても網目が不ぞろいだ。
「ニコラ、お前、意外に不器用だな……」
「仕方がないじゃない。初めてなんだもの。でも、刺繍はそれなりに出来るようになったわよ」
胸を張ったニコレットだが、何故刺繍より簡単そうな編み物ができなくて、刺繍はできるのかヴォルフガングには謎だった。
後日、ヴォルフガングが完全に回復してから、彼はニコレットに尋ねた。
「お前、医学の知識があるのか?」
「え、何故?」
「いや、俺の看病をしてくれたからな。てっきり知識があるのかと」
ニコレットは首をかしげて、手に持っていたフォークを皿の上に戻した。
「知識があると言うか、対処法を知っているだけね。熱が出たりとか、風邪をひいたりしたときは、温かくして水分を取って、よく寝るのがいいんだって。なんて言ってたかなぁ……そう。汗と一緒に体の中の悪いものを出してしまうんだって」
誰が言っていたのだろう。たぶん、彼女の母だ。
とはいえ、彼女にはそれ以上の知識がないようだ。それはそうだろう。彼女にこれ以上の医学的知識があるのであれば、彼女はとっくに動物の解剖くらいはしている。
「……あのね、ヴォルフ様」
「なんだ?」
上目づかいにヴォルフガングを見上げてくるニコレットに、何か妙なお願いをされるのかと身構えてしまったが、違った。彼女は「えいっ」という掛け声とともに、ヴォルフガングの腹のあたりに抱き着いた。
「!? どうした!?」
「……あのね。私、ヴォルフ様が元気になって、本当にうれしいの」
「……」
そう言えば、ニコレットの母は病で亡くなったのだったか。ヴォルフガングの父、つまり、先のハインツェル皇帝も病で亡くなっている。病とは、軽んじてはならないものなのだ。
ヴォルフガングは微笑み、「そうか」と自分に抱き着いているニコレットの頬を撫でた。
ちなみに、ニコレットは本当にヴォルフガングから病をうつされなかった。これは、彼女の『熱はうつらない』という主張が正しかったのか、単純に彼女が超健康人なのか悩むところである。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
たぶん、ニコレットは超健康優良児なだけですね、はい。医療に関しては専門外なので、気になるところがあればご指摘ください。
そして、さりげなくヴォルフガングの思考がひどいですね。でも、言っていないのでセーフです。言ったところで、メンタルの強いニコレットは気にしなさそうですけどね。
そろそろ、予言の伏線も回収せねば、と思う次第です。
次の投稿は明後日(1月7日)になります。




