残虐皇帝の婚姻(1)
※『残虐皇帝と予言の王女【連載版】』は隔日更新となります。ご了承ください。
あと、カッコの中の数字はただの通し番号です。
長きにわたって膠着状態にあったハインツェル帝国とロワリエ王国の戦争は、2年前、やっと終結した。約半世紀にわたって断続的に行われたその戦争は、ハインツェル帝国とロワリエ王国が領土権を争って行ったものであったが、この戦争はハインツェル帝国が圧勝したことで終結した。
と言うより、ハインツェル帝国皇帝にヴォルフガング・ハインツェルが就いたことで終結した、と言っていい。若くして皇帝となったヴォルフガングは、戦の天才と言ってよかった。ロワリエ王国のほかに、三カ国との戦を抱えていたが、彼はその三カ国との戦争を早期に終結させると、ロワリエ王国との戦争に集中した。
大陸の覇者と呼ばれるハインツェル帝国の国土は、この大陸の4分の1ほどである。対するロワリエ王国は、帝国の3分の1ほどの国土しか持たないが、その資源の豊富さと高い技術力から一目置かれており、実際に、ヴォルフガング皇帝もロワリエ王国との戦争にはてこずった。
しかし、圧勝して見せるあたりが、彼が戦の天才たるゆえんである。彼は、もう戦争を仕掛けてこないように、ロワリエ王国から人質として王女を差し出すように求めた。この時、ヴォルフガングには皇妃がいなかったので、ちょうど良い、と考えたのだ。
だが、いつまでたっても王女が嫁いでこなかった。要求を行ってから2年が経ち、さすがにこれ以上は待てない。そこで、脅迫を行った。
「王女を嫁がせないのであれば、ロワリエ王族をすべて処刑する」
ハインツェル帝国皇帝ヴォルフガングは『残虐皇帝』と呼ばれていた。パッと目を引く美しい容姿でありながら、容赦なく人を殺す皇帝だと。その噂の為、この脅しは効果をなした。終戦から2年。やっとのことで、王女が嫁いできたのである。今日は結婚式だ。
「陛下」
執務室のドアがノックされ、側近であるアルベルト・フォン・ヘルツベルク伯爵が告げた。ヴォルフガングは執務机から立ち上がると、部屋から出た。そこで待っていたアルベルトに尋ねる。
「王女は?」
「お待ちいただいております。ですが……」
「なんだ? 我がままでも言いだしたか」
アルベルトが視線をさまよわせて戸惑った雰囲気を出したのでそう尋ねると、「そう言うわけでもないのですが」とアルベルトは答えた。
「ではなんだ」
「……いえ。ご自分で見ていただいた方がいいと思います」
「……」
どういう意味だろうか。もしかして、とんでもないご面相なのだろうか。男ならともかく、女性で醜い顔立ちなのはつらいだろう。
しかし、嫁いでくるであろうロワリエ王国第3王女は美貌で有名である。だとしたら、アルベルトが戸惑う理由がわからない。
まあ、会ってみればわかるか。アルベルトに言われたことを、そのまま思い浮かべるヴォルフガングである。
結婚式場となる宮殿のチャペルで、ヴォルフガングは初めて花嫁となる王女を目にした。白いウエディングドレスにヴェールをかぶっており、顔は見えない。しかし、金髪であることはわかった。ヴォルフガングと並ぶと、顔一つ分近くの身長差があるが、ヴォルフガングがかなりの大男であることを考えるとこんなものだろう。
ヴォルフガングはかなり体格がいい。銀髪に濃い青の瞳をしており、目は切れ長。その目つきのせいで怖がられることもある。全体的に精悍な印象で、いかにも『残虐皇帝』である、と言うのは本人も認めるところであった。
身分の高いものの結婚式とは、やろうと思えばどれだけでも豪華にできるが、どれだけでも簡素にもできる。ヴォルフガングは、どうせ相手はお飾りであるからと、簡素な結婚式を用意していた。大司教の前で、婚姻届にサインをするだけだ。
まず、ヴォルフガングがサインを書く。本名は長いのだが、正式な書類なので正式名を書く。続いて、花嫁が婚姻届にペンを滑らせる。書かれた文字は、
『ニコレット・ド・ロワリエ』
誰だそれは。大司教の「これで、お2人の婚姻が成立しました」と言う言葉は、驚愕するヴォルフガングには聞こえなかった。
△
「誰だ!? あの女は!」
「れっきとしたロワリエ王女だそうです。第2王女ニコレット・ド・ロワリエ。年は19歳なので、陛下よりちょうど、10歳年下ですね」
アルベルトが簡単に答えた。ヴォルフガングが求めたのは『ロワリエの王女の輿入れ』であるので、相手を確認しなかった彼にも非はある。本当に第二王女だと言うのであれば、ロワリエ王は約束を破っていないのだ。
「てっきり、第3王女が嫁いでくるものだと思っていた」
「あ、私もです。アレクサンドリーヌ、でしたっけ」
アルベルトも同意したので、ヴォルフガングだけの思い込みではなかったようだ。
ロワリエ第3王女アレクサンドリーヌは美貌とわがままで有名な王女だ。ロワリエ第1王女がすでに結婚しているため、ヴォルフガングもアルベルトも、この第3王女が嫁いでくるものだと思っていたのだ。
考えてみれば、第2王女の話を聞いたことがなかった。アレクサンドリーヌが第3王女であるのを知っていたのに、第2王女の存在を思い出すことはなかった。
「それで、そのニコレットと言う第2王女がどうして俺のもとに嫁いできたんだ?」
「知りませんよ。まあ、ニコレット様もおきれいな方でしたけど」
そう言ってアルベルトが肩をすくめたので、本人に直接聞いた方が早い、とヴォルフガングは思った。夕食後、まっすぐ寝室に向かった。
夫婦の寝室に、皇妃となった王女はいた。彼女は手元を照らすランプをつけ、広いベッドに寝転がって本を読んでいた。突然入ってきたヴォルフガングを見て、きょとん、とした表情をしている。
ヴォルフガングは構わずに、彼女に短剣を突きつけた。ベッドに乗り上げ、腕を押さえつけると、のどに刃を当てた。
「……陛下?」
アルベルトが言っていた通り、確かにニコレットもきれいな娘だった。ウェーブを描く金髪に、驚いたようにヴォルフガングを見つめ返す瞳は菫色。眼は少し切れ長気味である。聡明そうな容姿の美少女だ。
しかし、ヴォルフガングはその美しい容姿よりも、握った腕が細すぎると思えるほど細いことに驚愕した。よく見れば、全体的にやせぎすだ。ほっそりしている、とかではなく、やせすぎなのである。肌が白いので、少し病弱そうに見えた。
そんな娘に刃物を向けることにためらったことは否定しない。だが、どうしても確認しておきたかった。
「何故お前が嫁いできた? 確かに人物の指定をしていなかったが、第3王女が嫁いでくるのではなかったのか?」
ベッドに押し付けられ、のどに短剣を当てられている彼女は、ヴォルフガングの質問を聞いて納得した表情になった。あっさりと口を開く。
「いや、妹が身ごもっちゃって。急遽私が代役に」
「……は?」
思わず間抜けな声が出たが、話しを続ける。
「しかし、2年もの間、私の要求を無視していたのだ。まさか、2年間ずっと身ごもっているわけではないだろう」
「妹がわがままを言ったらしいわよ。あなたに嫁ぎたくないって。それでもめているうちに妹が身ごもっちゃって」
「……」
突拍子のない話ではあるが、嘘を言っているようには見えなかったので、ヴォルフガングは短剣を仕舞い、彼女の横に胡坐をかいた。彼女は身を起こすとヴォルフガングと向かい合うように座った。
「それで、お前は誰だ」
「だから、ニコレット・ド・ロワリエだって。呼びにくかったら、ニコルとか、ニコラって呼んでくれてもいいけど」
やはり、聞いたことのない名前だ。『ニコレット』という名はハインツェル帝国では珍しいため、聞いたら覚えていると思う。彼女が『ニコラ』や『ニコル』と呼んでもいい、と言ったのは、帝国で『ニコレット』が一般的ではないからだ。
しかし、問題はそこではないのだ。
「悪いが、お前の名は聞いたことがない」
ここである。第2王女であるならば、どこかで名前を聞いていてもおかしくないと思うのだが、ヴォルフガングはニコレットの名を聞いたことがなかった。
第1王女や第3王女の名はよく聞く。特にその美貌で有名だ。だが、ニコレットも彼女らに劣らないほどの器量がある。とすれば、不器量であることが話題に上らない理由ではないはずだ。
ニコレットは「だろうねぇ」と笑って言った。
「だって私、修道院で育ったし」
「修道院!? 修道女と言うことか!?」
「いや、そう言うわけじゃないけどね」
修道院にいるのに修道女じゃないってどういう状況だ。ニコレットの言葉が衝撃的過ぎて理解が追い付かないヴォルフガングである。
「どっちかっていうと研究員に近いわよ。お父様に閉じ込められてただけだし、修道女とはちょっと違うわね」
ニコレットはニコリと笑う。よく笑う娘だ。そして、なれなれしい。それにしても。
「閉じ込められていたとは、どういうことだ」
「そのままの意味。なんでも、私が生まれた時に予言があったらしいのよ。お母様がこっそり教えてくれたんだけど、『この子は父親を滅ぼすだろう』って」
親殺しの予言だ。魔法、と言う概念が薄くなった現在ではほとんど存在しないと言われる予言だが、今でも予言者は存在する。ニコレットに予言を授けたのは占星術師らしいが、大きく分けると占星術師も予言者の一種である。
基本的に、予言は外れないとされている。親殺しの予言を受けた王女が、閉じ込められるという状況は発生するかもしれない。殺されなかっただけましだろう。ニコレットは母親とともに修道院に閉じ込められたらしい。
ニコレットの母親はロワリエ王の最初の王妃だった。ダリモア王国の王女であるニコレットの母は、公式には、その敬虔さから神に祈るために自ら修道院に入ったことになっている。
「……それで、母親は?」
「5年前に死んじゃった」
自分の亡くなった母親の話をしているとは思えないあっけらかんとした口調に、ヴォルフガングはため息をついた。どうも調子が狂う。
「お前、こんなところに来させられて父親を恨まないのか?」
妹が嫌がったから代わりに嫁いだというニコレット。彼女は、妹が嫌がる残虐と噂の皇帝に嫁いだのだ。しかし。
「別に。興味ないし」
やはりさばさばとした口調で言われ、ヴォルフガングは少し切なくなった。彼女の言葉は、ヴォルフガングに興味がないと言っているのと同意義だからだ。
「私が怖くないのか」
「なんで? 話が通じるのに、どうして怖がらなくちゃいけないわけ」
もう少し突っ込んで尋ねてみたのだが、逆に不思議そうな顔をされた。彼女の変わった理論に少し感心する。
「話が通じれば、怖くないのか」
「だって、私とあなたはちゃんと会話できてるじゃん。話が通じない相手だったら怖いけど、話が通じるんだったら別に怖くないわよ」
「なるほど。面白い考えだ」
ヴォルフガングはニヤッと笑った。つられるようにニコレットも微笑む。彼女はそのままベッドに倒れ込んだ。
「それに皇帝陛下、結構かっこいいし」
彼女のあけすけな言葉に、ヴォルフガングはついに笑い出した。この娘、いちいち発言が面白すぎる。
あまりに笑われてさすがのニコレットも機嫌を損ねたらしく、「そんなに笑うことないじゃん」とすねた。ヴォルフガングは寝転んだまますねるニコレットの頭をなでた。
「面白いな、お前は」
「陛下も、話に聞いていたよりは優しいわね」
やはり噂は耳に入っていたらしい。ニコリと微笑まれたヴォルフガングは居心地が悪くなり、こほん、と咳払いをして自分も横になった。
「疲れただろう。もう寝ろ。……ナイフを向けて悪かったな」
不遜であるが精いっぱいの謝罪に、ニコレットは気にしていなさそうに笑った。
「自分が疑われてもしょうがないのはわかってるわ。おやすみ、陛下」
「……おやすみ」
人にこうして、「おやすみ」と言うのも言われるのも久しぶりだな、とヴォルフガングは思いながら、枕元の明かりを消した。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
短編バージョンのはじめ部分のリメイクでした。短編では出てこなかった人々も出てきます。
次は登場人物が一気に4人増える予定です……が、隔日更新なので、次の投稿は12月4日になります。
明日は『ガリア継承戦争の裏事情』の方を更新します。