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欲しかったものは(14)

ヴォルフガング視点に戻ります。

今回は短編のリメイク版ですね。






 ヴォルフガングがその知らせを聞いたのは、雨が降りだしてからしばらくしたころだった。情報をもたらしたのは宰相のハインツだった。


「ライヒェンバッハ公爵が皇妃様に会いに行ったようです」


 何気ないような声音だったので、ヴォルフガングは一瞬聞き流しそうになった。しかし、その言葉を理解したとたんに書類に記入していた手を止め、顔を上げる。

「なんだと!? あの男、ニコラに何を吹き込むか……」

 すぐにニコレットのもとに向かおうとするヴォルフガングを、ハインツとアルベルトが止めた。

「まあ落ち着いてください。皇妃様はメンタルが強いですから、大丈夫です」

「というか、今陛下が行ったら逆効果な気がします」

 ハインツもアルベルトも皇帝のヴォルフガングに対して遠慮がない。まあ、そこが2人のいいところではあるが、時々、「自分は皇帝なのになぁ」と思ってむなしくなる。


 だが、アルベルトが指摘した「逆効果」は事実のような気がしたので、とりあえず、ヴォルフガングは仕事を優先することにした。衝動に任せてニコレットのもとに向かおうとしたヴォルフガングであるが、それなりに仕事は溜まっており、ニコレットと共に夕食を取ることができなかったので、彼女と会えたのは就寝時になってからだった。



「あ、ヴォルフ様。お疲れ様~」



 落ち込んでいるかと思いきや、ニコレットはベッドに寝そべって本を読んでいた。その暢気な声に肩の力が抜ける。そして、いつも通りの彼女の笑みにほっとした。


「ああ……先に寝ていてもよかったんだぞ」


 ヴォルフガングはベッドに腰掛け、彼女の髪に触れた。自分に、彼女の肌に触れる権利があるがわからなかったのだ。


「んー。この本が面白かったから、眠れなくて」


 ニコッと彼女は笑みを浮かべる。その様子に、ヴォルフガングも少し頬を緩ませた。身を起こしたニコレットは、ヴォルフガングと向き合う。


「今日、あなたの一番目の妻だった人の父親に会ったわよ」


 あっけらかんとしてニコレットは言った。ヴォルフガングは震える声で、「何か言われたか」と尋ねた。ニコレットは「うん」とうなずく。


「うん。あなたは、一番目の皇妃……リーゼロッテを愛しているんだって。愛していたのに、殺してしまったんだって」

「……」


 事実だ。ヴォルフガングは最初の妻であるリーゼロッテを愛していた。愛していたのに、殺してしまった。それが、彼の中で重荷になっているのは事実である。もっと違う方法があったのではないかと考えてしまうのだ。

 気づかずに目をそらしてしまっていたらしい。ニコレットがヴォルフガングの頬を両手で挟み、視線を合わさせた。


「私は、あなたが私の前の皇妃様たちを殺したことを知ってるわよ。そうするしかなかったことも理解してる。知ったうえで嫁いできたんだから、私がそのことであなたを責めたり、怖がったりすることはないわ」


 怖いなら、とっくに出ていっているわ、とニコレットは微笑んで小首をかしげた。


「私はね。修道院育ちだから、何となくわかるのよ。ヴォルフ様は、皇妃様たちを殺したことをすごく後悔してる。もっと他に方法があったんじゃないかって思ってる。きっと、それがとても大きな心の傷になってるんだわ」

「そんなことは」

「あるわよ」


 ニコレットは言い切った。ヴォルフガングは心を見透かされたような気がして落ち着かない。


「ヴォルフ様は気づいていないだけ。気づこうとしていないだけ。修道院に駆け込んでくる人の中にも、そういう人はいたわ。自分がとても傷ついているのに、全く気付いていない人」


 ニコレットは少し腰を上げ、こつん、とヴォルフガングの額に自分の額を当てた。


「あなたは、私もいつかいなくなるんじゃないかと思ってる。自分じゃなく、違うものを選ぶんじゃないかって。そう思ってる。だから、言っておくわ。私は、ヴォルフ様が『もういらない』っていうまで、私はあなたの隣にいる。約束する。私にはほかに選ぶものがないから、初めて私に、ちゃんとした居場所をくれたあなたのそばにいるわ」

「……ニコラ。お前」


 額を離したニコレットは、悲しげに微笑んだ。


「母はもう亡くなってる。親切にしてくれた修道院長も、亡くなったらしいわ。私が育った修道院が、火事にあったんだって」

「火事だと?」

「うん。昼前に、フォーゲル様が生き残った修道女からの手紙を持ってきてくれたの。きっと、父が私がいた痕跡を消してるんだわ。そうすることで、予言がなくなるとでも言うように」


 ニコレットが受けた予言。『この子は、父親を滅ぼすだろう』。その予言が現実となることを恐れて、ロワリエ王はニコレットを幽閉したのだ。


 ロワリエ王は、ニコレットの居場所を用意しなかった。そして、唯一彼女が自分の居場所だと思っていた修道院ですら、彼女から奪った。ニコレットは顔をゆがめてヴォルフガングの胸に額を押し付けた。


「……みんな、いなくなっちゃった」


 震える声で、ニコレットが言った。ヴォルフガングは静かに泣き続けるニコレットの肩をそっと抱いた。肩を震わせた彼女は、小さな声で言う。



「だから、あなたまで、私はいらないと言わないで」














 翌朝。ヴォルフガングが眼を覚ますと、ニコレットはまだ眠っていた。昨夜、彼女は泣きじゃくり、泣きつかれて眠ってしまったのだ。ヴォルフガングは手を伸ばし、ニコレットの眼尻に残る涙を拭きとる。


「んぁ……?」


 ヴォルフガングが触れたことで目が覚めたのか、ニコレットは間抜けな声を上げながらまぶたを持ち上げた。菫色の瞳が現れる。

「おはよう、ニコラ」

「……うん。おはよう」

 声をかけると、ニコレットは泣きすぎて少し赤くなった目元を細めて、ふわりと笑った。上半身を起こしたニコレットにガウンをかけてやる。


「どうしたの? 珍しいわね。いつもならとっくに執務室に向かってる時間じゃない?」

「ああ。お前の顔を見ていたくてな」


 半分冗談で半分本当のことを言うと、ニコレットは頬を赤らめた。相変わらずのその初々しさに、ヴォルフガングも思わず笑みをこぼす。彼は手を伸ばし、ニコレットの頬から首筋にかけて手を這わせた。

「ニコラ……ニコレット」

「うん。何?」

 くすぐったそうに目を細め、ニコレットが聞き返す。ヴォルフガングは彼女の滑らかな頬を撫でながら言った。


「お前は、私とともにいてくれるか? 私の隣にいてくれるか?」


 思ったよりも頼りない声だった。昨夜、彼女が言った言葉は当たっていたのだと思う。ヴォルフガングの中で、殺した3人の妻のことが傷痕として残っているのだ。そして、愛するニコレットが彼女らと同じように自分の側からいなくなってしまうのではないかと恐れている。ニコレットが言った通りだった。いつから、彼女はヴォルフガングの心の傷に気付いていたのだろうか。


「……ヴォルフ様は、私に居場所をくれるのね」


 ニコレットはそうつぶやくと、目を閉じ、自分の手を頬に当てられているヴォルフガングの手に重ねた。


「もちろんだよ。母以外で、初めて私を愛してくれて、私が愛したのがあなただもの。いなくなったりしないよ、私は。裏切らないよ、あなたの心を」

「そう……か。ありがとう。ニコラ」

「うん。こちらこそ、ありがとう」


 ヴォルフガングはニコレットを抱き寄せると、そっと唇を重ねた。

 この時、ヴォルフガングとニコレットは、お互いが一番欲しくてたまらなかったものを手に入れたのだ。















「そう言えば、私のために、ライヒェンバッハ公爵に怒ってくれたらしいな」

「!? だれが言ってたの、そんな事!」


 その日のお茶の時間にニコレットの部屋を訪ねると、彼女は本を読んでいた。昨日雨が降ったので、外がぬかるんでおり、外出禁止命令がヘルマから出されたのだそうだ。

 とはいえ、ニコレットは外で実験を行っていることと部屋の中で本を読んでいることが半々くらいだ。最近ではついに古代語の本に手を出しはじめたらしい。この娘の読了速度は一体どうなっているのか。


 今日になって、マルクスが昨日のニコレットの様子を報告してくれたのだ。「あんな皇妃様始めて見ました」というマルクスの言葉に、ヴォルフガングはうれしく思うと同時に、ちょっと残念だった。真剣なニコレットと言うものを見てみたかったのだ。


「だって、腹が立ったんだもの~」


 すねたようにニコレットが言った。


「言わせていただくと、ライヒェンバッハ公爵は卑怯だわ。やりたいなら自分でやればいいのよ。娘を巻き込むなんて」


 なんと、ニコレットが同情したのはライヒェンバッハ公爵の娘で、ヴォルフガングの最初の妻であるリーゼロッテだったらしい。相変わらず予想の斜め上を行く娘だ。


「……でも、ライヒェンバッハ公爵に言った言葉は、本当は、私が自分の父に言いたかったことなのかもしれないわ」


 憂いを浮かべるその横顔は、とても美しかった。ヴォルフガングは、そっとニコレットの髪をなでた。彼女はうっとりした表情で目を閉じた。


「言いに行くか? ロワリエ王に」


 ニコレットはハインツェル帝国の皇妃だ。その気になれば、いくらでもロワリエ王のもとに報復しに行ける。だが、彼女は首を左右に振る。

「ううん。行かないわよ。そこまで興味ないもの」

 相変わらずのニコレットの返答である。彼女は、自分を幽閉した父親に興味がないと言う。心の中で、ここがニコレットとリーゼロッテの違いだな、と思った。

 ニコレットは控えめにヴォルフガングの方へ身を寄せ、彼の肩に自分の頭を預けた。甘えられて内心うれしく思いながら、ヴォルフガングは「どうした?」と尋ねた。

「ううん。何でもないの。ただ、ここに来てよかったなぁって」

「そうか。俺もお前に会うことができてうれしい」

 ニコレットの唇がゆるく弧を描く。彼女はそのまま目を閉じ……








 寝た。









ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


砂糖を吐きそうな話には、最後にオチをつけたくなってしまう私でした、まる。


次の投稿は明後日(12月30日)です。もう年末ですね……。年末年始の投稿に関しては、活動報告に書きます。

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