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『好き』という気持ち(9)

今日はニコレット視点です。


※そういえば、ブックマーク登録が700件を突破しています……。登録してくださった皆さん、読んで下さっているみなさん、ほんとに、本当にありがとうございますっ!






 ニコレットにとって、ハインツェル帝国での暮らしは驚きの連続だった。そもそも、修道院で育ったニコレットにとって、外の世界の暮らしに驚くなと言う方が無理なのだ。


 ハインツェル帝国に来て、ニコレットの世界がいかに狭かったかを知った。自分が閉ざされた世界で生きていたことを知った。白黒だった世界が、いきなり色づいたかのような衝撃だった。


 おそらく、ずっと修道院にいたのなら、外の世界をうらやむことはなかった。母ベアトリスはニコレットに様々な話をしてくれた。科学的な話だけではなく、修道院の外にはどんな世界が広がっているか、どんなものがあるか話してくれた。ニコレットはその話を楽しく聞いたし、外はどんなところなのだろうかと想像をめぐらせた。

 当時はそれが単純に楽しかったし、ニコレットは修道院から出ることになるとは思わなかったため、それは想像で終わるのだろうと思っていた。


 だが、彼女は修道院から出ることになった。外に出ることが不安でなかったわけではない。慣れ親しんだ人と、場所と、離れるのが嫌でなかったわけではない。

 いくら王命であったとはいえ、帝国に行きたくなかったのならば、いくらでも方法があったと思う。そのどれも行わなかったのは、結局のところ、ニコレットの外への好奇心が勝ったからに過ぎない。



 ニコレットは我がままなのだ。自分の好奇心を優先した。



 ただ、ひとつ思うことがある。修道院の人たちは好きだった。だが、修道院の人たちは、口をそろえてニコレットに言うのだ。



「こんなところに閉じ込められて、かわいそうに」



 閉じ込められているのは事実だった。だから、否定しようがない。しかし、私は「かわいそう」なのだろうか? 修道院で育って、それなりに幸せに暮らしている自分は「かわいそう」な人間なのか? 自分が自分を「かわいそう」だと思っていないのに、人にそう思われるのは何となく釈然としなかった。

 閉ざされた世界にいたニコレットにはよくわからなかった。いつも楽しげに笑っているニコレットだが、圧倒的に人生の経験値が不足しているため、わからない感情がいくつかある。「かわいそう」と言う気持ちがそのひとつ。



 そして、「恋」や「愛」もわからない感情の一つだ。



 感情のような哲学的なことは、ニコレットも専門外だ。わからないから、研究しなかったともいえる。でも、たぶん、母がニコレットにくれた感情は「愛」だったのだとは思う。


 外の世界はニコレットが思っていたよりずっと広く、興味深い。でも、広い世界に出たからこそ、悩んでしまうこともある。人に世話をされるのも、実を言うとまだ慣れない。そう言うものなのだ、と頭は理解しているのだが、感情が追い付かないのである。自分の失敗を自分で片づけなくてもいい、と言うのも妙な気分だ。修道院では、実験に失敗するたびに自分で片づけ、自分だけでは手が回らないときは、修道女見習いたちに頼み込んで手伝ってもらっていたのだ。

 あまりにも修道院での生活と違いすぎてついて行けないこともある。しかし、ニコレットの順応性は自身が思っていたより高かったらしく、自分でも、「あー、なじんできてるなぁ」と思うくらいにはハインツェル宮殿になじんできていた。


 しかし、順応性の高いニコレットでも順応できないこともある。これには、書類上の夫となっているハインツェル皇帝ヴォルフガングが関係している。


 初夜でいきなりナイフを向けられたが、そのことについてはニコレットはあまり気にしていなかった。最後には謝ってくれたし、あの時、彼が本気でニコレットを刺すとは思えなかったからだ。


 むしろ、ニコレットに『宮殿内での自由』をくれたことで、第一印象としてはかなり良かったと言える。


 その後、一緒にお茶を飲んだり、食事をしたり、話をしたりして、『残虐皇帝』だという話は、噂が独り歩きしているのかなぁ、とニコレットは思った。ヴォルフガングはいつでもニコレットを気遣ってくれた。自分の世話をしてくれている人たちが、ニコレットの監視を兼ねていることはわかっていたが、それ以上に彼らもニコレットを気遣ってくれていると思う。


 だからニコレットはみんなが好きだ。みんながニコレットを好いてくれていることがわかるから、ニコレットも安心してみんなを好きでいられる。だが。



「……」

「……」



 ニコレットとにらみ合うような状況になっているヴォルフガングへの感情が、果たして『愛』という感情なのかがよくわからなかった。


 考え事をしながらぼんやりとヴォルフガングの方を見つめていると、彼と目が合ったのだ。そのまま視線をそらすのもどうかと思ったので、じっと見つめていると、ヴォルフガングも視線をそらさずにじっとニコレットの方を見てきたので、結果的ににらみ合うような形になっている。見つめ合っている、と言うとロマンチックだが、そんな甘い雰囲気ではない。

 ヴォルフガングはともかく、ニコレットが相手を睨み付けるように見るのは珍しい。そのためか、ヘルマが恐る恐る尋ねた。


「皇妃様……? いかがなさいましたか?」

「あ……えっとね。どうして人によって目の色が違うのか考えてた」


 少し間が開いたが、それほど不自然ではなかったはずだ。ニコレットが興味のあるものをじっと見つめるのは今に始まったことではない。ニコレットの返答に、ヴォルフガングはため息をついた。


「お前、そのうち人体を調べてみたいとか言わないだろうな……?」


 ニコレットはニコッと微笑んだ。

「それはさすがにねー。医学の知識も少しはあるけど、やっぱり人を切り刻んだりするのは怖いし……」

「怖いと言う感情もあるんだな」

「だからヴォルフ様。さすがに怒るよ」

 太ったか、と言われた時も少々腹が立ったのだが、ヴォルフガングはニコレットをなんだと思っているのだろうか。さすがにそこまで変人ではない。


 ニコレットがむくれたのを見て、ヴォルフガングが微笑んだ。笑うと、精悍な印象のヴォルフガングの顔立ちも少し和らいで見える。少しどぎまぎして、ニコレットは気を紛らわせるようにお茶を飲んだ。


 ニコレットはヴォルフガングのことが好きだ。それは間違いない。しかし、この『好き』がどんな種類のものなのかがよくわからない。ヘルマやマリーアたちに向ける『好き』と言う気持ちと少し違う気がするが、正確に何が違うのかわからない。


 要するに、ニコレットは初めての感情を持て余しているのだ。


「……今度はどうした、ニコラ」

 ティーカップのお茶の水面を見つめていたニコレットは、顔を上げてヴォルフガングを見た。

「……心理学か精神医学かを学んでおくべきだったかしらって思ったの」

「お前は頭の中にどれだけの知識を詰め込むつもりだ……」

 ヴォルフガングが呆れた口調で言った。ニコレットはにぱっと笑う。


「私の好奇心が満たされるまで!」

「……そうか」


 苦笑された。
















「あの、皇妃様」


 最近毎日のように行っているヴォルフガングとのお茶の時間のあと、本を読んでいたニコレットはマリーアに話しかけられた。


「どうかした?」


 珍しいこともあるものだと思ってにこにことマリーアの顔を見る。ちなみに、ヘルマとマルクスは現在席を外している。

「ええっと。これ、どうぞ」

 とマリーアが控えめに差し出したのは小さな布の袋だった。口を紐で閉じている。それを開くと、中からは。

「これ、ドラジェ?」

「……ご存知でしたか」

「私が知っているのは錠剤を砂糖でコーティングしたようなものだけど……これ、錠剤ではないわよね?」

「キャンディを砂糖でコーティングしたものです。叔父様から頂いたのですが、皇妃様もよろしければ、どうぞ」


 マリーアの叔父は宰相のフォーゲル公だ。宰相からもらったものを、ニコレットがもらっていいのだろうか?


「たくさんいただきましたから、心配なさらないでください。……あの、皇妃様、お元気がないようでしたので……その、皇妃様がお元気でないと、私も悲しいので、その、私で役に立てることがあったら、何でもおっしゃって下さい」

 マリーアの言葉に、ニコレットは顔をほころばせた。何より、マリーアの気持ちがうれしかった。

「ありがとう。大丈夫だよ。ちょっと考えたいことがあるだけだから。気を使わせちゃってごめんね」

「い、いえ……」

「あと、せっかくだからこれはもらっておくね。ありがとう」

「あ、はい……」

 マリーアがほっとしたように微笑んだ。少しずつマリーアが心を開いてくれているような気がしてうれしい。


 その後、ヘルマにクッキー、マルクスに砂糖細工の白い薔薇、アルベルトからは甘い香りのする茶葉をもらった。ここまで来て、ニコレットは思った。


 みんな、ニコレットにはお菓子をあげておけば大丈夫だと思っているのだろうか……。


 いや、ある意味間違ってはいない。実際にもらって喜んだし。特に、マルクスがくれた砂糖細工の薔薇は見かけも素晴らしい。ずっと飾っておきたいが、溶けてしまうので食べるなら早めにしなければ。茶葉をくれたアルベルトも、甘い香りのものを選んでいる辺り、お菓子を贈るのとそう変わらない。


 まあたぶん、みんな、ニコレットの元気がないと思って菓子や茶葉をくれたのだと思う。それはとてもありがたいし、うれしい。だが、食べ過ぎると太る。


 基本的にあまり外見を気にしないニコレットなのだが、さすがに着ていたドレスが着られなくなったときはショックだった。明らかに食事量が増えたためだが、太ったという事実はかなり衝撃が大きかった。

 ヴォルフガングにも言われたが、もともとニコレットはやせ過ぎだった。修道院で育ち、粗食を常としていれば当然だ。しかし、ここにきて肉や甘いものを食べるようになったから太ったのだ。

 だが、食べる量を減らすと言うのも難しい。細すぎると健康に悪い、とも聞くし、とりあえず、現状維持を続けているニコレットだった。でも、ここでもらったお菓子を食べると太る気がする……。


 その翌日、ヴォルフガングが固形ショコラーデなるものを持ってきた。その時に、やはり、ニコレットは食べ物でつれると思われているな、と思った。そして、やっぱり太るだろうな……と観念した。









ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


何気に冷静なニコレットです。でも、好奇心と食欲には勝てません。目の前まで来たら冷静さが吹っ飛ぶ。


冷静さ<<<<<<<好奇心


って感じですかね。


次は明後日(12月20日)に投稿します。

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