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灰色の羊  作者: 御目越太陽
第一章『水野洋介は水を操る』
8/38

1-7

 その頃水野は駅の北口を一人歩いていた。


 すれ違う学生一人一人を注視するが、相変わらず水野には何も感じ取ることができなかった。


 同じ制服、同じ鞄、同じ学生。


 水野にはそこにいる全ての生徒たちが同じ人間に見えていた。


 もちろん、顔のつくりや髪型など、よく見なくともそれぞれ全く違うものだと言うことは彼にも分かる。よく見れば鞄や制服だってアクセサリーやデコレーション、着こなしや改造と言った差別化がなされ、完璧に同じと言うものは一つとして存在しないのだと言うことも分かっている。


 しかし、今の自分にとってもっとも大事なことが水野にはわからなかった。


 彼らは能力者なのか、そうでないのか。その物差しで彼らを見ても、水野にはその正否が判断できないのだ。


 水野はイラついていた。今誰かと肩がぶつかりでもしたら柄にも無く喧嘩になってしまうかもしれない。いや、いっそそうなってくれた方がいい。誰でもいいから殴り飛ばしてこの憂さを晴らしたい。


 そんな風に考え歩いていると急に腰の辺りに引っ張られるような感触を覚え、水野は思わず足を止めた。


 振り返ると見知らぬ少年が息も絶え絶えに水野の制服の裾を掴んでいる。


 いや違う、水野はその少年を知っていた。


 今日昼休みに日村に紹介された、名前は確か、


「……山際」


 名前を呼ばれ、苦しそうに息を切らして山際が顔を上げた。


「……た……助けてくれ……お……追われてる……け……携帯……繋がん……なくて」

「……何だって?」


 すがりついてくる山際を支え、水野が事情を尋ねようとすると――。


「何してんだ? 腰抜け」


 と、挑発的な声が耳に響いた。


 聞き覚えのある声に水野が視線を移すと、そこには忘れもしない少年の顔があった。


 小柄な体躯、少し長めのスポーツ刈り、鋭い目と細い眉、そして馬鹿にしたようにつりあがった口角。それは水野にとって忘れようはずの無い顔だった。


「……三田」


 苦々しげに吐き捨てた水野だったが、何故かその口元はわずかに、笑っていた。


 一方、水野の敵意を全身に受ける三田は、なおも余裕の笑みを崩さずポケットに手を突っ込んだまま大胆に距離を詰めてくる。


「ちょうどいいや、テメェも日村の仲間だろ? 何処だよあいつ」


 馬鹿にした笑いで近づいてくる三田に怯える山際。彼の〈千里眼〉にはポケットの中の三田の両手が徐々に帯電していく様がはっきりと見て取れていた。


「……や……やばいぞ……で……電気が」


 水野は相手に悟られないようにゆっくりと鞄から水の入った五百ミリペットボトルを二本取り出すと、そっと自分の背後に置いた。


「近くに公園無いか? 水があれば何でもいい」


 小声で尋ねられ、山際は呼吸を整えながら辺りを探した。


「……あ、あるぞ……公園……近くに」

「案内しろ。合図したら走れよ」

「……うぇ? ……ちょっ、無理」


 ぶんぶんと首を横に振る山際を無視して、水野はペットボトルを横に倒すとそれらをころころと左右に転がした。


 水野の思惑には気づかず、余裕の笑みでポケットに手を突っ込んだまま三田がじりじりと距離を詰めてくる。


 交錯する両者の視線。


 もはや互い以外の何ものも、二人の目には映っていなかった。


「行け!」


 叫ぶと同時にペットボトルはミサイルの如く三田に突撃した。


 予期せぬ攻撃がノーガードだった三田の顔に直撃する。


「ぐっ」


 相手がひるんだ隙に水野たちは駆け出していた。


「どっちだ?」

「……はぁ……はぁ、あっち」


 水野は山際の案内で公園を目指した。


「っ逃がすかよ!」


 舌打ち一発。すぐに立ち直った三田は、猛然と二人の後を追った。




 三田は一時二人を見失いかけたが、何とかその後を追って公園までたどり着いた。


 普段から体を動かしているためか、呼吸にさしたる乱れはない。


「チッ、どこ行きやがった」


 公園に人影はなかった。そこは狭い公園で遊具らしきものはなく、全体の面積の半分を池が占めている、公園というよりはちょっとした広場といった場所だった。備え付けのベンチにはタバコの吸殻や空き缶などが散乱しており久しく利用した形跡もない。これでは人がいないのも頷ける。


 三田が公園に踏み込むと、池に面した木の影から水野は出てきた。


「遅かったな。逃げたかと思ったぞ」


 まだ整わない呼吸で水野は三田を挑発した。実際には三田の追跡はかなり速かったし逃げていたのは水野のほうである。しかしその顔に先ほどまでの焦りはなかった。


 三田は嬉しそうに口角を吊り上げると鞄を下ろした。


「テメェの方こそ逃げんのはもう止めか? 腰抜け」


 水野は余裕の笑みで三田を見据えた。恐怖ではないほどよい緊張がせわしなく動悸を早めるが、その表情にかげりはない。何を言われても動じることのない自信に満ち溢れた顔だった。


「雑魚を前にして逃げるバカがいるか?」

「……死にてぇらしいな」


 三田の笑みが変わった。今までの弱いものをなぶるサディスティックな笑みから怒りを抑えるための硬質な笑みへと。


 三田が両拳に力を込めると拳は見る見るうちに電光を放ち始めた。


「見せてやる。俺の能力、〈電光闘技サンダーアーツ〉の真のちか――」


 三田の語尾は横合いから突然飛んできた水球にかき消された。


 不意を突かれ時速九十キロメートルほどの水球を横っ面にもろに食らった三田はたまらずよろめく。


「ぐっ! な?」


 何が起きたか分からず攻撃が来た方向を見た三田は驚愕に目を見開いた。


 なんと、そこにはすでに水球の大群が出来上がっていたのだ。


「撃て!」


 水野の号令一下、水球の集中砲火が始まった。


 時速百キロの物体が静止する水と衝突するとき、水はコンクリートと同じ硬度の抵抗を生じさせる。水野の水球一つ一つはコンクリート並の硬度でもって三田を攻撃しているのだ。まともに食らえばひとたまりもない。


 三田は慌ててガードするが、上下左右正面背後、あらゆる角度から軌道を変えて迫ってくる間断なき弾幕の前に、彼のガードなど大した意味を成さない。三田が顔を守れば下半身に、しゃがみこめば延髄と背中と脇腹に、容赦なく水野は水球をぶつけた。


水野は三田を挑発するかたわら池の中でいくつもの水球を形成していた。水球は完成したものから順に運び出され、すぐさま三田の体に突撃をかける。その小汚い池はさながら彼専用の兵器工場にして、今にも出撃を待つ精兵たちの詰める前線基地だった。この公園に三田が足を踏み入れたとき、水野の包囲網はすでに完成していたのだ。


 耳に鼻に目に口に、絶えず不衛生な水の塊をぶつけられ、三田の五感は徐々に意味も力も失っていった。ガードが彼に与えられた最もベターな選択。ベストはその場から逃げることだが彼のプライドはその選択を許さない。三田の意識は次第に薄れていった。


「……すげぇ」


 物陰で様子を見ていた山際は水野の圧倒的な攻勢を前に思わず感嘆の声を漏らした。


 自分と同じく三田に襲われているところを日村に助けられたと聞いていたため、山際は水野の実力を侮っていた。


 日村たちと連絡が取れるまでの時間稼ぎになればいい。あわよくば三田のターゲットが自分から水野へシフトしてくれれば万々歳である、と消極的な考えで水野と接触した山際だったが、目の前で繰り広げられている予想外の展開に、今はただ見とれていた。


 そして誤算は、昨日水野を圧倒していた三田にも言えることだった。


 三田は一度水野の能力を見ている。水野が水を使うことも当然知っていたしつい先ほどもそれで不意をつかれている。しかし、一度の勝利で得た過信が三田の頭から警戒することを忘れさせていた。絶え間ない水球の嵐に襲われながら三田は自身の慢心を後悔した。


 このままくらい続ければあと数秒で確実に三田の意識が飛ぶ、というタイミングで突如射撃はおさまった。


 激しく咳き込み、口と鼻から藻の混じった水を吐き出しながら、三田は何とか立ち上がった。


 堪えた。チャンスはまだある。まだ俺は負けていない。


 不屈の闘志で顔を持ち上げ、三田は再び驚愕した。


 その光景は彼が今まで見たことのない不可思議な世界だった。揺らめく透明な塊が陽光を屈折させ、重力を無視してぷかぷかと宙に浮いている。水面と繋がっているその塊の後尾は卵を飲み込む蛇のように何度も何度も脈動し、その度塊は徐々に大きさを増していく。しぶきを上げ池の水位を見る間に引き下げていくその光景に、三田は初めてその塊が水で出来ていることを理解した。


 そして三田の脳がようやく状況を理解した時、腰を落として正拳を構えた水野のかたわらには実に軽自動車ほどはあろうかという巨大な水の柱が出来上がっていた。


 水野は竹の筒でできた水鉄砲をイメージした。


 開いて突き出した左手は竹筒。水を円柱状に維持して狙いを定める。


 堅く握り締め、後背に引きつけた右拳は押し棒。竹筒の中の水を勢い良く渾身の力で押し出す。


 標的は前方十メートルのところで呆けている三田。


 初弾充填完了。射角良し。照準良し。


 水野は握り締めた右拳を突き出した。


「水鉄砲!」


 激流が三田を飲み込んだ。


 集中砲火ですでに満身創痍だった三田は、ガードもままならずそのまま公園の外まで押し出され、地面に体を打ち付けて意識を失った。


 その衝撃はまるで大河の氾濫を思わせるほどの凄まじさだった。圧倒的な水流の前では人間も紙くずも、同じようにただ流されることしかできない。


 流されていく三田を見送ると、水野は深く息をついて突き出していた両手を握り締め、そのままゆっくり脇を閉めた。


 口元の緩みを引き締めることができない。高鳴る鼓動が水野に何度も告げている。勝った、勝ったと。


 水野は拳を天に突き上げた。勝利の高揚が水野の体を動かす。じっとしてなどいられない。そうしなければ気が狂ってしまいそうだった。


 人は嬉しいことがあると拳を握り締めるものなのだと水野は思った。


「すげぇじゃねぇか水野」


 物陰から山際が出てきて水野を祝福した。


 程なくして山際の連絡を受けた日村たちもやってきた。


 リベンジマッチは実にあっさりと水野の勝利で幕を閉じた。




 その日の夜。


 水野は三田との戦いで気づいたことや、日村たち他の能力者についての詳細をノートに書き記した。


 彼の胸にはいまだに勝利の高揚感が残っているのだろう。いつもより筆が進んでいる。


 ようやく書き終えてノートを閉じると水野は今まで何も書いていなかった表紙にノートの名前を書き込んだ。遅れて駆けつけた日村たちに尋ねられ、即興で考えた彼の能力の名前を。


 〈水の(ウォーター)曲芸(サーカス)〉。そう書き込まれたノートを見て水野は一人ほくそ笑んだ。


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