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灰色の羊  作者: 御目越太陽
第一章『水野洋介は水を操る』
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1-6

 放課後、日村たち一行はもう一人の仲間と合流するため駅前の広場に集合していた。


 その日の駅前はいつもより五割り増しくらいに人が多く、時間帯の割にはサラリーマンやOLといった勤め人も多かったが一番多いのは学生の数だった。


 その日は水曜日で日村たちの学校は原則として部活動が休みだったので、駅前には彼らと同じ学校の制服を来た生徒がかなり多く見えた。


「遅ぇな、あいつ」


 日村が携帯の時計を見てつぶやいた。


 すぐ側では山際と茂野がベンチだかオブジェだか分からない四角い大理石に腰掛けて、各々道行く人々や見慣れた街並みを観察している。


 一見するとなんてことは無い普通の待ち合わせ風景なのだが、ある一点が彼らの存在を変に目立たせていた。それは、制服姿にサングラスという山際のいでたちである。


 彼は自身の能力、〈千里眼〉で道行く女性を観察していた。


 彼の〈千里眼〉は透視と望遠視を兼ね備えた能力で、望みとあらば一キロメートル先に住む新婚夫婦の情事すらその網膜に映し出すことも可能なのだ。目の前を歩く若い女性の裸体を拝むことなど山際にとっては造作も無いことだった。


 普段から鞄に常備しているこのサングラスは視線を悟られないためのアイテムなのだが、中学生がサングラスなど持っていること自体がまず不自然だし、制服にサングラスというアンバランスさが逆に怪しくなっていることに本人は気づいていなかった。


 女体観察のさなか、山際は見覚えのある顔を見つけて日村を呼んだ。


「おい、来たぞ」


 呼ばれて日村が山際の指す方向を見ると、一人の少年が彼らの元へと向かってくる姿が眼に映る。


「やっと来たか」


 少年は日村を見つけると笑顔で手を振りながら近づいてきた。


「すいません。遅れました」


 一行の前までやってくると少年は被っていた帽子を脱いで頭を下げた。かなり飛ばしてきたのだろう、肩を上下させながら苦しそうに呼吸している。時間帯からして制服姿が多い駅前の空間で、ジーンズにパーカーという私服姿の彼はその小柄な体格も相まって中学生の中に混じる小学生のように見え、少々浮いていた。


「遅かったな高井」


 高井と呼ばれた少年は呼吸を整えながら答えた。


「すいません。一度家帰ってたら、遅れちゃって」


 彼は一行の中に混じるには少々場違いなほど整った顔立ちをしていた。すっきりとした眉に丸く大きな瞳。鼻はあまり高くはないが形がよく、口からこぼれる白い歯がアイドルのように輝いている。男にしては少し長めの髪が汗で額や頬に張り付くさまは、その気のある人間が見たら思わず押し倒してしまいたくなるほど色気があった。


「直でくりゃいいじゃねえか」


 山際に小突かれ苦笑気味に脇腹を押さえる高井。


「制服で遊ぶの嫌いなんすよ、俺」

「色気づいちゃって~。やっぱイケメンは言うことが違うね~」

「勘弁してくださいよ山際さん。あ、似合ってますよ、そのグラサン」

「うっせ」


 彼、高井梓の存在は日村たち一行にとって清涼剤のようなものだった。誰にでも人当たり良く接する高井を嫌うものは彼らの中には居なかったし、高井のさわやかな笑顔はどんなにひりついた空気でも和ませる力を持っていた。


「まあまあいいから。とりあえずどっか行きますか」


 日村の仕切りで移動を始める一行に突如山際がストップをかける。


「あ、ちょい待って。俺便所行ってくるわ」

「何で待ってるうちに行っとかなかったんだよ」

「今急に催したの。すぐ戻るって」


 不満顔の日村の返事も待たずに山際は小走りで近くの便所に向かった。


 日村たち四人は週に何度かこうして集まって会合を開くことにしていた。この会合では自分たちの能力のことや新しい能力者の情報が交換され、能力者同士のいざこざやトラブル(八割方三田がその原因だが)を回避、改善するための話し合いを行っていた。


 彼らが会合を開くようになったそもそものきっかけは、日村が三田に襲われていた山際や高井を偶然助けたことなのだが、三田による能力者狩り、その被害者の一人である山際はこの活動自体には消極的であった。


 自分に危険が及ばなければ周りはどうなってもいい。山際は常日頃からそう考えて生きてきた。日村たちとつるむのも三田に襲われたときの防波堤を求めるが故であり、他の能力者がどうなろうと彼の知ったことではない。


 山際透とはそういう人間だった。


 用を済ませ便所を出た山際は日村たちに合流するのが面倒になり、〈千里眼〉で女子便所を観察しながら家に帰る言い訳を考えていた。


 幸か不幸か女子便所内に利用者はおらず、山際の脳細胞は言い訳を考えることにその全能力を費やすことができた。


 法事、急病、財布の紛失……。しわの少ない山際の脳みそがいくつかの言い訳を考え出したとき、彼は視界の隅に女子高生のグループがいるのを発見した。


 二十メートル、十メートル、五メートル。


 少女たちは徐々に山際の待ち受ける楽園、もとい、地獄に歩を進めていく。


 山際は緩んでいく頬を左手で隠し、サングラスの奥にハンターのような目をぎらつかせて獲物の到着を待った。


 少女たちは山際の視界の中ですでに全裸に剥かれているが山際のリビドーはその美しく可愛らしい裸体ごときではもうおさめることができなかった。


 女の裸ならたくさん見てきた。だがこの使い方は今まで思い至らなかった。考えてもみろ。親しい恋人に肌をさらす女はいても、排泄行為を見せる女はそうは居まい。恋人だけではない。親兄弟、家族にだって排泄行為など普通は見せない。何故ならば排泄行為というのは誰も立ち入ってはならない聖域、サンクチュアリだからだ。だがしかし、今日俺はその聖域を侵す。いまだかつて誰も踏み入ったことのないあの乙女達の聖域を、俺は土足で踏み荒らしてやるのだ。


 隣家の若いカップルの愛の営みを覗いたときより何倍も彼の心は躍っていた。


 山際は齢十四にして早くも糞便嗜好の魅力、その一端を理解することができた。


 山際透とはそういう人間だった。


 何も知らない無垢な少女たちは山際の楽園に足を踏み入れると、談笑しながらそれぞれ個室に入り、下着を下ろして腰掛けた。


 いよいよだ。そう思って山際がごくりとのどを鳴らすと――。


「よお」


 突然何者かに肩を叩かれ思わず山際は目を見開いた。


 最高潮にまで高まっていた鼓動がピークを過ぎ、徐々に収まっていく。


 叩かれた手から恐る恐る視線を上げ、そこに立っている相手を見て山際は再び驚愕した。


「……さ、三田」


 名前を呼ばれ不適に笑うと三田龍平は山際の肩を掴んで服を上に引っ張り上げた。立て、ということなのだろう。


 天国から地獄とはまさに今の山際を表現するのに最も適した言葉だった。先ほどまでの興奮は急転直下で恐怖と絶望に変わっていく。


 無抵抗で立ち上がり、怯えた顔で自分を見下ろす山際を相変わらずの不敵な笑みで見上げると、三田は口を開いた。


「お前日村と仲良いよなぁ? あいつ何処だよ」

「え?」

「日村だよ、日村。何処にいるかわかんだろ?」


 山際の肩をつかむ三田の手に力が込められる。大して痛くなど無いはずなのに山際の心はすっかり折れていた。


 山際が三田に襲われるのはこれで二度目である。一度目はいきなり顔面を殴られめがねを曲げられ感電させられた上に鼻血まで流す破目になった。


 何故自分だけがこんな目に遭わなければいけないのか。ワケが分からず、気づけば彼のサングラスの奥の瞳は涙でにじんでいた。


「おい、聞いてんのかコラ!」


 制服をねじられ山際は我に帰った。


「あ、よ、呼びます。携帯で」


 条件反射でポケットから携帯を取り出し、日村に電話をかけようとして、山際はふと動きを止めた。


 肩を掴んでいる三田の手にはいつぞやの様に電気が流れている様子は無い。ポケットの中に隠れているもう一方の手も同様である。加えて、いくら腕っ節が強いとはいえ相手は自分より小柄で力はそれほど強そうに見えない。これを振り切って逃げることは果たして無謀と言えるだろうか。


「どうした? 早く呼べよ」


 三田の自分を見下したような目を見て、山際の腹は決まった。


「……あぁっ!」


 と、突然声を張り上げると一瞬ひるんだ三田の手を振り払って山際は一目散に駆け出した。


「あっ、テメェ!」


 想定外の逃亡にやや判断が遅れた三田もすぐさま山際を追いかけ走り出す。


 人波を縫い、全力で逃げながら山際は少しだけ後悔していた。

呼べばおそらく日村は来てくれただろう。日村を差し出せば自分は解放されたかもしれない。こんなときのための防波堤だ。そうしたところで自分の心が痛んだりはしない。


 だがしかし――。


 ただ黙って三田の指示に従うことを、山際は良しとしなかった。


 三田の自分を見下したあの目は、相手が日村だったとしても変わらず向けられるものなのだろうか。そう考えると彼の心には無性に怒りがこみ上げてきた。


 自分は日村の連絡係ではない。自分だって能力者なのだ。


 〈千里眼〉の山際透は、先など見ずに全速力で走り続けた。




 駅の南口。


 噴水の近くに据えられたベンチに腰を下ろして日村たち三人は山際の便所を待っていた。


「遅いっすね、山際さん」

「そうだな」


 時計を見て日村はため息をついた。


「しょうがねえから先にファミレスでも入ってるか」

「そうっすね」


 日村と高井は立ち上がり、手近なファミレスを探して歩き出した。


「にしても、なげぇうんこだな。何日分だよあいつ」

「グラサン怪しすぎて職質受けてたりして」

「はは、笑えねえなそりゃ。……あれ? シゲは?」


 しばらく歩いて茂野がいないことに気づいた二人が振り返ると、茂野は一点をじっと見据えてまだベンチに座っていた。どうやら彼の能力〈悟り〉を使っているらしい。


 茂野の〈悟り〉は対象に精神を集中させることでその心を読む能力だが、彼は普段あまりこの能力を使いたがらないので日村は少し不審に思った。


「シゲ、どうした? 行こうぜ」


 日村が肩を叩いて茂野を呼ぶが反応はない。


 今度は視線を遮るように正面に立って日村は茂野を呼んだ。


「おいシゲ。どうしたんだよ?」


 はっと茂野の意識が戻る。視界を遮られて〈悟り〉の効果が切れたのだ。


「大丈夫か? シゲ。山際遅いから先ファミレス行こうぜ」


 日村が心配そうに語りかけると、茂野の頬を突然、涙が伝った。


「シゲ? おい、どうした?」

「シゲさん?」


 突然の涙。


 日村と高井は震えだした茂野の肩を抱いた。


 何があったのか分からない。気づかぬうちに能力者の攻撃を受けていたのかもしれない。日村は茂野をかばいつつ周囲を警戒した。


「どうした? 何があった? シゲ」


 茂野は震える唇を何とか開いて言葉を搾り出した。


「……は……箱が……」

「箱? 何のことだ? 能力か?」


 日村と高井は周囲を見回した。駅前は相変わらず人であふれているが、能力者らしき人物は見当たらない。いや、この人の数ではたとえ能力者がいたとしても特定するのは困難だろう。


 日村の問いかけに茂野は目を瞑り首を振った。もうそこにはいないと言いたいらしい。


「シゲさん。大丈夫ですか?」


 高井が優しく茂野の背中をさする。


 茂野は怯えていた。


 誰の心を読んだのか。何を聞いたのか。二人には分からないが、見知らぬ能力者の心が彼をそうさせたのだろうということは分かっていた。


「くそっ!」


 日村は何もできずにただ拳を握り締めた。


 駅前は三人のことなど関係なくいつもどおりの賑わいを見せていた。


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