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灰色の羊  作者: 御目越太陽
第一章『水野洋介は水を操る』
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1-3

 それからの二週間、水野はこの能力の研究に夢中だった。食事のときも授業中も就寝前も、意識がある時間は常に能力のことを考えていた。


 そうして過ごすうちに水野は少しずつこの力の性質を理解していった。


性質1 これは雨ではなく液体を操る能力である

 水野は初め雨水を止める、弾くということにこの能力を用いたため雨を操る能力と認識していたが、自宅の浴槽や洗面所の水も問題なく操作することができた。さらに水だけにとどまらず、醤油やジュースなど液体であれば何でも彼の意のままに操ることが可能だということが分かった。


性質2 能力の射程は水野の視認できる距離までである

 能力は水野が視認可能な距離ならどこまでも使用可能である。ただし、距離が離れれば離れるほどその精度は落ちる。例えば五メートル先の的に水球を当てることは容易だが、五十メートル先の的に当てるのは難しい。また、背後など視界の外でも能力は使えるが、その場合も視認できる場合に比べて精度は落ちる。


性質3 能力の使用に制約はないが精確な操作には集中力が必要である

 あくまで水野の体感だが、能力の使用にはこれといって制限がない。使っていると疲労が増すとかカロリーを消費するといったデメリットは感じられない。ただし、緻密な操作をする場合には集中力が必要である。例えば直径五センチの水球を五百個作りたい場合は、それら一つ一つを形成しつつ、維持もし続ける必要があり、とても集中力を使う。単純な水球の形成と維持でも何らかの妨害が入るとその作業は困難になる。しかし先に挙げた五センチの水球五百個の例は、おおよそ五センチくらいの水球をたくさんと念じれば精細さは欠くが比較的容易に形成が可能になる。


 これら能力の性質や能力について分かったことを水野はつぶさに専用のノートに記述した。


 夜の人気のない公園で、家の風呂場や自室で、熱心に研究に取り組む水野は、まるで新しいおもちゃを与えられた子供のように無垢だった。


 これまで彼は常に孤高であろうとしたが、同時にその心にはいつも不安がくすぶっていた。


 本当は自分には人とは違う特別な才能などないのではないか、環境に適応できないだけのただの落ちこぼれなのではないか。


 実際平凡であるがゆえに、彼は完全な孤高の存在になることも、自分に酔いしれてそうなりきることもできないでいた。


 そんな彼の不安をこの能力は打ち消した。液体を操るという常人にはない特別な力は、自分が特別な存在であるという確かな自信を彼に与えた。能力の使い道など大した問題ではなかった。やはり自分は特別な存在なのだ、周りの奴らとは違うのだ、そう思うと水野は学校へ行くのがあまり苦ではなくなった。




 六時間目が終わると、もうすでに雨は上がっていた。傾きかけた太陽が校舎を薄いオレンジに染めている。


 部活動に励む者、教室で楽しく談話する者、友達同士で仲良く下校する者、生徒たちは思い思いの放課後を過ごしていた。


 雨が上がってしまったことは多少残念ではあったが、それでも水野の機嫌はすこぶる良かった。というより、水野は二週間前のあの日からずっと上機嫌だった。能力が使えるか使えないかはもはや問題ではない。人にはない特別な力の存在が彼の心を余裕で満たしていたのだ。


 水溜りを荒々しく踏みつけて、水野は帰宅の途についた。


 風は朝よりもいく分か春らしさを増し、澄み切った空には雲ひとつ見当たらなかった。


 帰り道、水野はいつも能力の練習に使っている公園に立ち寄った。


 雨が上がったばかりで遊具はどれも濡れている。地面のコンディションも良くはない。そのせいか、まだ四時を回ったばかりだというのに水野以外の人影は無かった。


 水野はイヤホンをはずし、念のため周囲を確認した。やはり人影は無い。


 少し時間は早いが水野は能力の練習をすることにした。誰かに見られるかもしれないというリスクはあったが、それ以上に日の光の下で能力を使ってみたいという欲求が水野の頭を支配していた。宵闇の中よりもはっきりと自身の特別性を実感出来る、そんな根拠も無い稚気による軽率な行動だったが、水野の心に不安は無かった。先にも述べたが、彼は少々ハイになっていたのだ。


 水野は砂場にできている水溜りに手をかざし、強く念じた。


 水溜りはすぐさま球体を形作り、水野の眼前に浮かび上がる。陽光を浴びた球体は砂で少し濁ってはいたが美しく、宝石のようにまばゆく輝いていた。


 出来上がった水球に水野は満足そうな笑みを浮かべる。最初の頃と比べると念じてから水球が出来上がるまでの時間は格段に速くなっていた。


 それだけではない。水野は水球を維持したまま目を瞑ると自分の周囲を水球が公転する様子をイメージする。すぐさま水球は水野の周囲をぐるぐると回り始めた。水野の体に触れないように、水野の体から離れすぎないように、一定の距離を保って水球は水野の周りを駆け巡った。水野は水球を視界に収めなくてもある程度正確な動作を命令することができるようになっていたのだ。


 今度は強度を試してみたい。そう思い水野は目を開け、水球をぶつける的を探した。なるべく丈夫で、壊れていても目立たないもの。


 水野が標的を探そうと一歩踏み出したとき、


「能力者」


 と、背後から声がした。


 水球が地面に落下し、音を立ててつぶれた。


 すぐさま振り返ると、そこには水野と同じ制服を着た少年が立っていた。水野よりいく分か身長が低く、少し長めのスポーツ刈りで頭を整えたその少年は、ポケットに手を突っ込んだままやんちゃな笑みで水野を見据えていた。


「……あ、な?」


 言うまでもなく、水野は完全に油断していた。自身の能力に酔って周囲の警戒を怠っていた。突然の出来事にうまく言葉を発することができず、無意識のうちに水野は少しずつ後ずさりしていた。


 狼狽する水野にかまわず少年は続けた。


「能力者だろ? お前も」


 少年の発する耳慣れない言葉が水野の混乱を加速させた。


「……の、能、力者?」


 やっとのことで水野はそれだけを絞り出す。その一言を絞り出しただけで水野の喉はすでに水分を失っていた。余談だが、水野が家族以外の人間と会話を交わしたのは、実に数週間ぶりの出来事であった。


 水野との距離をゆっくりと詰めつつ、少年は鞄を下ろし、ポケットから両手を出した。現れた手はどちらも軍手を装着し、力強く握り締められている。


 水野には少年の名前も素性も分からなかったが、彼が敵意を持っていることは理解できた。


 背中が汗で湿っていく。頭に響く自身の鼓動は少年の耳にも届いているかもしれない。水野の首から下は、それ以外の形を知らないかのように硬直していた。


 気づけば、二人の距離は一メートルほどに縮まっていた。お互いに手を伸ばせば十分に届く距離。詰めようと思えば一瞬で相手の懐に飛び込むことができるだろう。


 先に仕掛けたのは少年だった。


 少年は突然水野の横っ面めがけて右フックを繰り出した。


 が、彼の拳は水野には当たらず空しく空を切る。


 避けようともつれた足が地を滑り、期せずして尻餅をついてしまった水野は結果的に少年の不意打ちをかわした。


「……あっ、ぶね」


 攻撃をかわされた少年は、しかし驚きも焦りも無く余裕の笑みで水野を見下ろし、つぶやいた。


「能力者なら」


 少年は右の拳を天に掲げた。振り上げられた拳はバチバチと音を鳴らすとやがて不規則な光を放ち始める。何の変哲も無かったはずのその拳は、いつの間にか忌避すべき凶悪な武器へとその姿を変えていた。


 混乱のためか思うように体を動かせ無い水野だったが、目だけはその光景をしっかりと捉えていた。いや、目の前で展開される非現実的なその変質に目を離せなかっただけかもしれない。


 ややあって、水野の頭はその不気味な明滅と異常な音の正体にようやく気づき、同時に力強く足を踏ん張って地面を蹴った。


 逃げなければ。本能が無理やり水野の体を動かす。


 刹那、少年は拳を振り下ろした。


「俺と戦え!」


 衝撃とともに水野の全身を痙攣が襲った。


「――っ!」


 立ち上がろうと力を入れた足は踏ん張りきれずに湿り気のある地面を滑る。痛みはあまり無かったが、視界がチカチカと点滅し、力を込めると全身の筋肉が震えてしまう。


 拳が触れた感触は無かった。


 少年の手が自分ではなく地面を叩いている様子が薄ぼんやりと視界に映っている。


 少年はゆっくり立ち上がると今度は両手から光を放った。バチバチという音と共に明滅する電光を放つ彼の両手は、明らかに放電していた。


 何とか体を動かせるようになった水野は距離をとりながらその光景を睨んだ。


「……電気」


 少年は軽く跳躍すると両手に電光をまとわせながら拳闘の構えを取る。その表情はやはり余裕と、そして、敵意に満ちていた。


 水野はとっさに手近な水溜りから水球を作り出し、少年に向けて飛ばした。


 突然横合いから飛んでくる水球。急な反撃に少年の反応がわずかに遅れる。


 水野は決定的なダメージを期待して少年の頭部に狙いを定めた。水野の狙い通り少年の頭に向けて水球が迫る。水とは言え耳にでも直撃すれば幾分かのダメージは期待できるかもしれない。


 だがしかし、少年は姿勢を低くして倒れこむように体を前進させると、水球の軌道からとっさに頭をそらした。


 水野の期待も空しく水球はそのまま少年の頭部をかすめる。


 誤算だった。水野はこのとき頭部ではなく胴体を狙うべきだった。先ほどの攻撃で集中を乱されていた水野の水球は、頭部のように小さな的を狙うには少々精細さを欠いていたのだ。


(しまっ――)


 水野が自身の過ちに気づいたとき、少年の拳はすでに彼の眼前へと迫っていた。水野はかろうじてガードするが、


「っぐぁ!」


 少年の電撃がガードを通り越して水野の腕を侵す。水野の両腕は再び激しい痙攣に襲われた。


 少年の行動は素早かった。ガードを下ろして後退する水野にとどめの一撃を食らわせようと即座に踏み込む。


 その直後、あわやというタイミングで彼の足元から突如轟炎が立ち上り二人の間を遮った。


「くっ!」


 突然発生した胸丈ほどの炎の壁に、たまらず少年は飛び退いた。


「こっちだ水野」


 いきなり背後から呼ばれて水野が振り返ると、そこにはまた同じ制服を着た見知らぬ少年が立っていた。相撲取りのように肥えたその少年は右手に持っていたジッポライターをしまうと指で後方を示す。


「早く。今のうちに逃げるぞ」


 肥満少年は返事も聞かず示した方向へと駆け出した。


 その丸い背中と炎の向かい側にいる電気使いの少年とを水野は交互に見た。両腕の痺れはまだ治らない。肥満少年が何者かは分からないが、このまま戦ったところで自身の敗北は目に見えている。


 水野は両腕をぶら下げたまま肥満少年のあとを追うため踏み出した。


「待てよ腰抜け」


 背後から飛んできた電気使いの少年の一言が水野の足を重くする。振り返ると少年は不敵な笑みで水野を見据えていた。


「逃げんのか?」


 水野は少年の姿を目に焼き付けた。少年の背格好を、髪形を、鋭い目と細い眉を、馬鹿にしたようにつりあがったままの口角を、水野は絶対に忘れることがないよう自身の脳髄に刻み込んだ。


 何も言い返せない自分が悔しかった。握り締めることすらできない拳が歯がゆかった。


 少年の声から逃げるように水野はその場を後にした。額から流れる汗が目にしみる。緊張の連続が引き起こす酸欠が、彼の視界を一層狭める。汗を拭うこともできない両腕をぶら下げたまま、悔しさと歯がゆさを噛み潰して、水野は走った。


 一方、残された少年は炎を見て舌打つ。


「日村の野郎。余計なことしやがって」


 少年は溜めていた電気を放電すると鞄を拾い上げてその場を離れた。


 公園を二分していた炎の壁は、人の気配がなくなると徐々に勢いを失ってゆき、やがて消えていった。


 少年たちが居なくなり、公園はようやく日常を取り戻した。


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