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灰色の羊  作者: 御目越太陽
エピローグ
38/38

日常へ

 ピピピ、と耳に障る電子音が水野の眠りを妨げる。薄手の布団に包まりながら水野は時計を見た。


 時刻は六時半。学校に行くのならそろそろ目を覚ましておいた方が無難だろう。


 部屋の外からは朝らしいばたばたとした物音が響いてくる。水野家の朝はすでに始まっているようだ。


 水野は上体を起こし、アラームを止めると再び脱力した。この目覚ましはスヌーズ機能付きなので設定をオフにしない限り一度切っても五分ほどでまた鳴り始める。水野はそのささやかな五分のまどろみを楽しむつもりなのだ。


 しかし、突然無遠慮に開け放たれたドアが水野をまどろみから無理やり引っ張り出した。


「ちょっと、いつまで寝てるの? あんた今日から学校でしょ?」


 布団を剥がれ、カーテンを開けられ、水野の意識は急速に覚醒していった。


「面白い寝癖。ほら、顔洗って目覚ましてきなさい」


 ぐしゃぐしゃと頭をかき回されながら水野は、母親というのはどこの家庭でもこうなのだろうか、などと実にどうでもいいことに思いをめぐらせた。




 食卓にはすでに朝食の用意がしてあった。


 もう食事を終えたのか、父がコーヒーをすすりながら新聞を読み、その対面で弟の雅也がテレビを見ながらのんびりと箸を動かしている。水野が誰にともなく「おはよう」と言うと父が新聞から目を離さず「ああ、おはよう」と返した。


 水野は茶碗に飯を盛ると弟の隣に腰を下ろした。


「今日から学校?」

「うん」


 二人のやり取りを聞いて弟はテレビから兄に視線を移した。


「いい~なぁ、二週間も休めて。俺んとこでも起きねぇかな集団ノイローゼ」


 弟の物騒な発言に父と兄が苦笑すると、母の手刀がすかさず突っ込みを入れる。


「馬鹿なこと言ってないで早く食べなさい」

「へいへい」


 弟がボケて母が突っ込んで父と兄がそのやり取りを笑う。水野家の会話は大体いつもそのように回っていた。


「でも二週間なんて随分早いのね。大丈夫なの? 大怪我した人とかもいるんでしょ?」

「さぁ。大丈夫なんじゃない?」


 父の新聞の一面を見ていた水野は急に尋ねられて曖昧に返した。一面の一角には目下の話題となっている事件、「湖南市中学校集団ノイローゼ事件」の記事が二週間たった今でもささやかながら掲載されている。


 自分の身近な話題が新聞で取り上げられているという状態は、水野にとってあまり現実的なものではなかった。あの日からもう二週間も経っているのかという感慨と、まだ二週間しか経っていないのかという驚きが、水野の胸に去来する。完全な休みボケだった。




 一連の事件は集団ノイローゼということで片付けられた。


 現実に不可解な壁や珍妙な騎士を目撃していたものも大勢いたし、映像などの物的証拠もたくさん残ってはいたが、その不可思議な現象について科学は明確な答えを導き出すことが出来ず、幻覚と錯覚とストレスと超常現象に全ての答えは丸投げされた。


 当初積極的に事件を取り扱っていた新聞各社も真相の究明が遅々として進まないことに飽き始め、今となってはスポーツ紙やオカルト雑誌の方が紙面の多くを割いている始末だ。


 結構な事件だったにもかかわらず幸いにして死者は無く、校舎も建物の構造自体はほぼ無傷だったため、二週間後には学校の再開が保護者各位に向けて通達された次第である。


 そんなわけで水野洋介は二週間ぶりの登校に冷静を装いつつも、半ば胸を躍らせながら鼻歌交じりに家を出たのであった。




 内藤孝太は事件後すぐに救急車で病院へと搬送されなんとか一命をとりとめた。


 茂野の提案で近々見舞いに行くことが予定されており、当然水野も参加を表明している。


 事件の主犯とはいえ彼の行為を責めるものはいなかったし、情報を知りえない警察やマスコミに彼が裁かれることもないだろう。


 事件は幻覚と錯覚とストレスが生んだ幻に過ぎないのだから。


 根津幹隆は能力と悪行が明るみにさらされ窮地に立たされていた。おまけに今まで集めてきたコレクションまで水野たちに没収され、まさにゼロからのスタートを切ることになった根津だったが、相変わらず懲りずにこっそりと能力の窃盗を続けているらしい。


 彼により迷惑をこうむったものたちの集い、「根津被害者の会」が密かに組織され、着々と包囲を固め始めていることを彼はまだ知らない。


 神野司は二週間の休校の間ひたすら将棋に打ち込んでいた。将棋以外で経験した苦い敗北が、逆に再び彼を将棋へと向き直らせた。


 本物の将棋なら負けることなどなかったのに。あそこで金を取られなければ勝てる見込みもあったのに。後悔と反省の念がよりいっそう彼の集中力を高めたようだ。


 この経験を乗り越えたとき、おそらく彼は少しだけ成長することが出来るだろう。




 二週間ぶりの授業はつつがなく終わり、初日は大事をとって午前中に放課となった。


 そんな折、生徒たちがめいめい家路につく昼日中の昇降口で、二週間ぶりにある事件が起きる。


 と言ってもそれほど大きな出来事ではない。下駄箱に座り込んで談笑していた生徒数名が突然何処からか湧いて出た水に整髪料でべたべたの頭を濡らされた、と言うただそれだけの事だった。


 目撃者は多数おり、皆一様に同じような証言をした。


 突然どこからか丸い水の塊がやってきて彼らの頭上で制止するとくす玉を割るように弾けて彼らに降り注いだのだと。


 被害にあったのはいずれも素行の悪さで有名な三年五組の生徒たち。白昼堂々の事件にもかかわらず、解決の手がかりはようとして知れない。


 しかし、偶然現場近くにいた日村だけは人ごみから離れていく犯人に気づき、慌てて後を追いかけた。


「おい、水野」


 声をかけられ振り返った水野は重そうな体を弾ませて追いかけてくる日村を見つけて立ち止まった。


「お、お前、何やってんだよ?」


 追いついた日村はひざに手をついて呼吸を整えると挨拶も無しに尋ねてきた。下駄箱でのことを聞いているのだろう。


 水野は言い訳を考えるのが面倒だったので適当にはぐらかした。


「別に」

「別にってお前……、変ないたずらするなよ。時期が時期なんだからさ~」


 聞かれることを警戒したのか、後半は声を潜めて日村は注意した。些細な事件でも何かあればまた休校などと言うことになりかねない。日村の不安ももっともである。


 一〇〇%非は自分に有ると理解はしていたが、今後気をつけるつもりだし謝るほどのことでもないと思ったので水野は話題を変えることにした。


「ちょうど良かった。これ返す」


 そう言って水野が差し出したのは高井がまとめた能力者ノートだった。


「ああこれ。忘れてたわ。もういいのか?」

「必要なくなった」

「? ああそう。まあ役に立ったならいいや」

「で? 用はそれだけか?」

「ああっとそうだ。いや、話変わるんだけど、お前今日暇? なんか根津被害者の会とか言う集まりがあって呼ばれてるんだけど、お前も来ないか?」


 しばし沈黙した後水野は首を振った。


「悪いけど今日は無理だ。用事がある。他の奴らにはよろしく言っといてくれ」

「そうか、分かったよ。あ、そうだ」

「?」


 きびすを返した水野はまだ何かあるのか、と首だけ振り返って日村を見た。


「シゲがな、ありがとうって言ってたぞ。伝えといてくれって」


 軽く手を振る日村の笑顔は優しかった。茂野と高井と山際と、それから内藤の分も日村は請け負って笑っているのだろう。


 水野は顔をそらした。


「ああそう」


 目には見えなくても日村には今の水野の表情が何となくだが想像できた。


 季節はじき六月に入ろうとしている。彼らが知り合ってはや一ヶ月は経とうとしているのだ。ただの知り合いはとうの昔に友人へと変わっていた。




 その狭い公園は真昼間だと言うのにやはり閑散としていた。遊具らしきものはなく、ベンチが数基と、水飲み場と便所がそれぞれ一つずつ。見所と言えば総面積の半分ほどを占めるそこそこ大きな池だが、その大きさがかえって公園を狭く感じさせ、憩いの場としての雰囲気を壊している。


 水野が公園に足を踏み入れると、三田龍平はすでに準備を整えて待っていた。


「来たか」


 時期的にもう必要ないであろう軍手を装備し、腕を組んで待つ一月前となんら変わりのない三田の姿は緊張気味の水野の心を少しだけ落ち着かせた。


 水野は周囲を見回して人気のないことを確認する。一月前と同じく、公園は静かだった。


「わざわざこんなところに呼び出すとは、懲りてないらしいな」


 水野の挑発を三田は鼻で笑った。よほど自信があるらしい。


 組んでいた腕を離し、腰の辺りで拳を作ると三田は水野に尋ねた。


「あの騎士も能力者だな?」


 水野は一瞬眉をひそめて「そうだ」と答えた。


「誰の、何て能力だ?」

「答える義理は無いな」


 三田は水野のすげない答えに笑みを浮かべると両手から電気を放電し軽い前傾姿勢をとった。


「答えてもらうぞ、俺が勝ったら」

「いいだろう。ただし」


 水野が手をかざすと池から無数の水球があふれ出てきた。


「俺が勝ったらあの騎士と、日村の仲間には手を出すな」


 両者の視線が交差する。


 水野と三田は互いに無言の了承を得た後、不意に激突した。


 公園で繰り広げられる非日常は、誰かの日常を侵害することなくひっそりと始まり、誰に知られること無くひっそりと終わっていくことだろう。水野が得たのは、内藤が求めたのは、非日常への招待ではなく日常に属する権利なのだから。


《終わり》

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