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灰色の羊  作者: 御目越太陽
第四章『灰色、同じ色』
33/38

4-9

「ストライ~クって感じか?」


 ゴミや消火器を巻き込んで騎士たちを運送する激流を見て、山際がへたくそな口笛を吹いた。なるほど仮にそこがボーリングのレーンならば、たったの一投でピンの影など形も残さなかった廊下はまさにストライクと表現する他ない。適当な教室に避難していた日村と高井も廊下を覗き込み、ほっと吐息を漏らした。


「何とかなったか」


 彼らの作戦はこうだ。まず囮役が数名、騎士のテリトリーに踏み込んで彼らを教室からおびき寄せる。その隙に水源近くで待機している水野が敵を一掃するのに充分な量の水柱を形成。騎士が全て廊下に出揃っているのが確認でき次第、山際の合図で囮役は手近な教室に避難、同時に水野も特大の〈水鉄砲〉を発射し必殺の一撃でもって敵を一掃する。


 作戦立案者は水野、囮役は日村と高井がそれぞれ務め、廊下の様子を見るに彼らの作戦は見事図に当たったようだ。


「よし、とにかく例の能力者と話してみよう。山際、何処にいるって?」


 日村に問われて山際は目を凝らした。


「ああ、たしか教室の隅っこの方に……ん?」


 窓を叩く音がした。水野が外に視線を移すと灰色がかった雲がぼろぼろと雨粒を吐き出している。始めのうちはかすかに、しかし徐々に雨量は増えてゆき、やがて廊下は激しい雨音に満たされていった。


「雨か」


 水野の肩口から窓外を窺う山際に水野が「ああ」と返事を返す。と、後方で水道の番をしていた茂野が突然崩れ落ちた。


「どうした? おい、茂野」


 山際の声で日村たちも慌てて駆けつける。


「シゲ、どうした? 大丈夫か?」

「シゲさん」


 耳を塞ぎ、うずくまって体を震わす茂野に彼らの声は届いていなかった。深く強い悲しみの怨嗟が激しい雨音と共に再び茂野の心を侵しているのだ。絶たれた望みが、穿たれた心が、この上ない怨嗟の声となって容赦なく茂野の心を押し潰そうとしているのだ。


「シゲ、おい、ど――」


 雨が作り出す爆音の中にそれとは異なる乾いた音を聞いて日村は顔を上げた。直後、コン、コン、と軽い音が響き同時に突然脱力した山際が受身も取らずに廊下に突っ伏す。


「山ぎ――」


 慌てて助け起こそうとした日村は廊下を跳ね転がる円錐状の物体と、その先視線の先にいつの間にか存在していた人影を認めて思わず動きを止めた。


「……あいつ」


 影がゆっくり、ゆっくりと近づき、不意に立ち止まると、次の瞬間、日村の眼球を風圧が叩いた。疾駆する影が十メートルはあろうかという間合いを一瞬にして詰めてきたのだ。


 あまりにも速過ぎる接近に日村のライターが間に合わない。影が抜き放った得物が日村の頸部に届こうとする刹那、高井が身を乗り出して両者の間に割り入った。


 風を切る抜刀に側頭を斬りつけられた高井は壁に激しく体を打ちつけ、そのままぴくりとも動かなくなる。


「高井!」


 雷光がきらめき、薄闇の中の影を照らし出した。


 それは騎士だった。先ほどまで彼らが相手にしていたものとは種類の違う白銀の甲冑に身を包み、真紅のマントはためかせた時代錯誤の西洋騎士。


 初めてその姿を拝んだ水野は、その騎士が例の能力者によるもので、先ほどまで戦っていた出来損ないの騎士たちを統べる特別な存在なのだと言うことを何も聞かずとも即座に感じ取った。


 激しい雷雨が校舎を震わせる。水野は反射的に水球を飛ばした。同時に日村も着火したライターで反撃に転じる。


「――テメェ!」


 騎士は飛来する水球を右手の長剣ではじくと余った左手でマントを翻して日村の繰り出す炎を受けた。


 直撃と言っていい手応えだ。日村の攻撃は瞬く間に真紅のマントを炎で包む。


 が、期待も空しくその炎は騎士が華麗なターンでマントを翻すと先を少し焦がしただけであっけなく消えうせてしまった。水分を多く吸い、湿り気を帯びていた騎士のマントは日村にとって大きな誤算だった。


 ひるむ日村に反撃の隙は与えず騎士はライターを持つ日村の右手を袈裟に切り落とし、返す刀で逆袈裟にあごを跳ね上げた。


 仰向けに倒れた日村に止めを刺そうと剣を振り上げた騎士に水野の水球が再び飛来する。振り上げた剣で水球を叩き割ると騎士の標的は水野に切り替わった。


 水野は剣を構えて接近する騎士を水球の弾幕で取り囲んだ。


 絶体絶命。脱出不可能。水野の脳裏に勝利の二文字がちらつく。


 しかしその直後、騎士は姿勢を低くした強引な突進で弾幕を突き破ると、飛び込みざま鋭い斬撃を水野に放った。


 長剣がとっさにガード態勢に入った水野の左手を容赦なく斬りつける。


 想定外の攻撃を何とかしのいだ水野は飛び退きながら右手の親指と人差し指で丸を作るとその中に騎士の上半身を収めた。


 急ごしらえで全身を包むには時間が足りない。水も今ある分だけでは足りないかもしれない。それでも、小さな水球ごときではダメージを与えることが出来ないし、〈水鉄砲〉をためる時間などないのだからこれに賭けるしかない。水野が念じると水は即座に騎士を包んだ。


「水瓶!」


 騎士の上半身はあっという間に水球に飲み込まれた。水は十分に足りていたし極限に追い込まれた水野の集中力がすばやい水球の形成を見事可能にしていた。水野の勝利は確定したといって良いだろう。


 相対する敵が人であったならば。


 水球に飲まれた騎士はそんなことは意に介さない様子で一歩、また一歩と着実に距離を詰めてきた。勝利の高揚が敗北の予感と入り混じり水野のこめかみを汗が伝う。


 大丈夫だ。負けるはずがない。


 何故だ。何故平気でいられる。


 俺は最強の能力者だ。何故息一つ乱さず向かってこられるのだ。


 矛盾する二つの思考が水野の理解力を低下させる。


 とうとう射程内まで接近した騎士の気泡一つ漏らさない兜を見て、水野は己の過ちにようやく気づいた。


(しまった、そうか……!)


 騎士たちは箱の能力者が作り出した幻だ。幻は生き物ではないのだから当然呼吸など必要としない。窒息を狙ったところで効果などないのだ。


 水の抵抗など感じさせない重い斬撃が水野の額をかすめ水球は騎士を解放した。


(どうすればいい? どうすれば――)


 額を押さえ跳び下がる水野に次の手を考える時間はなかった。


 騎士の一閃が水野の右手を払いのけ、逆手に持ち替えられた長剣がとっさに形成した水球を突き破って水野のみぞおちにめり込む。


 肺の酸素を一気に吐き出し、水滴を周囲に飛散させ、水野は力なく崩れ落ちた。


 雷鳴轟く薄闇の廊下。残されているのは茂野ただ一人となった。


 しかし、騎士はうずくまっている茂野を一瞥するときびすを返して立ち去って行く。


 突如止んだ心の声に顔を上げた茂野の視界で、剣先を床に引きずり、端の焦げたマントを揺らす騎士の背中は徐々に小さくなっていった。




 騎士は重心を右に左にと不安定に揺らしながら、ゆっくりと、一歩ずつ、足を前に運んでいった。止む気配のない雨の音がその足音をかき消し、ただでさえちっぽけな彼の存在を容赦なく否定している。


 だが、それも仕方のないことだ、と騎士は思っていた。役目を果たすことなど出来ない騎士に、希望を与えることなど出来ない英雄に、存在する意義も資格もないのだから。


 廊下を歩く騎士はある部屋の前で不意に立ち止まるとそのまま中へ入っていく。


 雑然とした室内。先ほどまで仲間達が彼の到着を心待ちにしていたであろうその一角で手にしていた長剣を取り落とすと、騎士は膝を折った。肩を落とし、何も出来なかった拳を握り締め、騎士はただ嘆息した。


 そして、嘆く騎士の目の前にはひっそりとたたずむ箱が一つ。冷たく悲しい暗褐色の箱の前で、騎士は無力な自身をただ嘆いた。


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