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灰色の羊  作者: 御目越太陽
第三章『絶望の世界、希望の箱』
22/38

3-9

 神野の〈君主(ロード)〉は彼の所持するあるアイテムを身につけさせることで対象を操る能力である。そのアイテムとは彼が愛用している将棋の駒。本人の意思や能力の有無に関わらず彼に駒を持たされた者は皆その行動を神野に支配されてしまうのだ。操られている者にはその間の記憶が無く、神野自身もあまり能力を誇示したりはしなかったため彼が能力者であることを知る者は少なかった。


 それが災いして、白銀の騎士との戦いに夢中だった土屋たち運動場の能力者連合は皆彼の存在と思惑に気づかず、結果として彼の支配を回避することができなかったのだった。


「あ、操られてるって……じゃ、じゃあもしかして、あの変な騎士も」


 狼狽した様子の山際が怯えた目で神野を見上げた。目を合わせた神野は肯定も否定もせず余裕の微笑で山際を見下ろす。


「そう怯えなくても大丈夫ですよ。悪いようにはしま――」


 歩み寄る神野の目の前に突然、炎の壁が立ち上った。


 壁は両者の間を遮るとあっという間に廊下を炎で埋め尽くす。


「うっ!?」


 近衛に服を引っ張られ、神野は背中から廊下に倒れこんだ。主を守れという命令を近衛は忠実に実行したのだ。


「逃げるぞ!」

「お、おう」


 壁の向こうから聞こえる声に神野が痛みも忘れて立ち上がるが、燃え盛る炎に阻まれて向こう側の様子はほとんど確認できない。


「くっ」


 手で熱風から目をかばいながら神野は歯噛みした。追え、と命令したいところだがたやすく捨てられるほど今の彼には手駒に余裕が無い。運動場に残す殿軍に戦力の三割近くを割いてしまったのは失敗だったか、と神野は己の指し手に若干の後悔を感じた。


 校舎に人が、それも彼が狙う玉将以外の能力者がいることは彼にとっても予想外の出来事だった。降せば戦力を増強することができるが下手に手を出して思わぬ損耗をこうむるのは避けたい。彼らのことは見なかったことにして本来の目的を片付けるのは神野にとって十分有効な戦略である。


 だが――、


 あまりの熱気に全体を数歩下がらせると日村が能力の射程外へと逃れたのか、炎は先ほどまでの勢いを忘れ急速に小さくなっていく。


 と、まだくすぶっている炎の向こう側に揺らめく人影を見て神野は目を細めた。


 その少年は笑っていた。いつの間にか近衛から掠め取っていた金属バットを肩に乗せ、首の骨をほぐすように頭をゆっくり左右に振ると、やんちゃな笑みで対岸の神野を見据える。


 神野の口元が思わずほころんだ。


「驚いたなぁ。逃げなかったんですね。チャンスだったのに」


 少年はバットを肩から下ろすと余裕の笑みでなおも神野を見据えた。


「雑魚前にして、逃げる馬鹿がいるかよ」


 無名の王者を前に、三田龍平は逃げも隠れもしなかった。それは強者としての余裕か、三田の表情からは焦りも不安も危機も、ネガティブな感情は何一つとして感じ取ることができない。


 しかし、余裕は対峙する神野にとっても同じであった。三田の安い挑発が神野の心理に何ら不利な作用をもたらしたりすることは無い。


 むしろ状況は好転している、と神野は思っていた。神野にすれば自分を共通敵にして徒党を組まれたほうがはるかに厄介だったからだ。分散している相手を個々に片付けていくなら自分の戦力的な優位は揺るがない。逃げた二人も手負いならばそう遠くへは行けないはず。そうして戦力を補強した後ゆっくりと玉を詰めていけばいい。それだけのことなのだ。


 ――神野の頭に撤退の二文字は無かった。攻める将棋こそ、退かぬ将棋こそ、彼の好む、彼の望む、彼の考える、最も理想的な将棋なのだから。


「なるほど。道理ですね」


 神野が軽く片手を上げると、脇に控えていた兵たちが一斉に彼の前へと進み出た。前列四、中列三、後列は神野を含めた四人で万全に構える。


 対する三田は水平にしたバットを眼前に持ってくると電気を帯びた左手で柄の部分から先端にかけてをそっと撫でていった。バットは見る見るうちに電気をまとい、あっという間に三田の一部へと同化していく。


電光刃(サンダーブレード)


 つぶやいて金属バットを車に構える三田。気づけば神野の兵隊がその虚ろな眼を全て三田へと向けている。


 十一対一の戦力差はまさに多勢に無勢。しかし圧倒的に不利な状況の中、対する三田の口元から余裕の笑みが消えることは無かった。


 しばしのにらみ合いの後、両者は同時に激突した。




 階段を這い上がりながら日村と山際は階下に甲高い金属音を聞いた。


「始まったか」


 息を弾ませながら日村がつぶやく。胸を押さえての荒い呼吸が山際の表情をさらに不安にしていった。


「だ、大丈夫か?」


 足を止めて振り返る山際に日村が苦笑する。


「ああ、なんとかな」


 日村は撤退時のことを思い返した。


 懐に忍ばせていた予備のライターでとっさに炎の壁を作った日村は、すぐさま山際を伴って戦線からの離脱をはかろうとした。


 不意打ちで神野の足止めには成功したもののそこから逃げるには立ちはだかる三田を突破しなければならない。炎の壁を展開し続けるには相応の集中力が必要だ。体調が万全なら壁を維持しつつ三田を振り切ることも不可能ではなかったかもしれないが、このときの日村には出せて一、二発の火球がまともに飛ばせるかどうかも微妙なところ。撤退はおろか己の足で立って歩くことさえままならない状態だった。ひとたびその気になれば刹那の間に命すらも奪ってしまうことが三田にはできるだろう。


 日村は山際に肩を貸されながらすがるような思いで三田を注視した。わずかな所作も見逃してはならない。万が一のときは自分を囮にして山際だけでも逃がさなくては。


 予備のライターを収めた右手に力を込めて日村は三田の一挙手一投足に注目した。


 しかし、当の三田は今まさに戦場を去ろうとしている日村たちを軽く一瞥すると彼らの挙動には一切興味を示さず、黙って糸の絡んだバットを拾い上げ、そのまま炎の壁に向き直った。


 彼の瞳に日村たちは映っていなかった。三田にとって日村たちはもはや路傍の石に等しい存在へとその価値を変えていた。


 おかげで日村と山際は何とか無事撤退することができたのだが、戦場を離れた今もなお日村はなんとも名状しがたい不快な感覚に絶えず胸をえぐられていた。


「おい、ホントに大丈夫なのかよ」


 山際の心配そうな声で日村は我に帰った。


 全身の痺れはかなり前から治っている。それなのに激しく打ち付ける鼓動には一向に治まる気配が無い。荒い呼吸の原因は全力で離脱してきたせいだけだろうか。


 階下からとどろく咆哮に思わず日村が振り返った。彼らの位置からは確認できないが今も三田と神野は激しい戦いを繰り広げているのだろう。それを思うと日村の胸の不快感がより一層強く激しく暴れまわり、日村は無意識に胸に添えた手を握り締めていた。


「日村?」


 不安に駆られた山際の手が肩に触れた。


 日村の胸を蝕んでいた不快な感情はその時理性の壁に生じた小さな亀裂からわずかに漏れ出し始め、気づくと日村の視界は涙でぼやけていた。


「……悔しいけど完敗だ。あんなに強くなってるとは、思わなかった」


 顔を伏せて、日村は声を絞り出した。表情など見えずともその震えた声を聞けば彼の心中を推し量ることは容易だ。


 それでも日村は顔を上げることなく黙って屈辱に震える体を抑えた。戦いに敗れ仲間の前で無様に泣きじゃくるなど日村にとってこれ以上の屈辱も恥辱も無い。泣き出してしまいたかった。あたりかまわず焼き払ってしまいたかった。しかし日村はそれらの衝動を無理矢理に抑えつけ、ただ黙って拳を握り締めた。


 一人衝動と戦うその姿を見て山際はそっと日村の肩から手を離した。どう声をかけていいのか分からない山際にとって何もいわず黙って立ち直るのを待つのが彼なりの精一杯の優しさなのかもしれない。


 ややあって、大きく息を吐き出した日村は袖口でごしごしと目元を拭うと山際に向き直った。


「よし、行くぞ」


 もう良いのか、と野暮なことは聞かず、何事も無かったかのようにきわめて自然な風を装って山際が階下を指差す。


「あいつらどうするんだ?」

「もちろんほっとく訳にはいかねえ、けど、どっちが勝つにしろまずはシゲ達と合流して対策立てねえと……って言うかシゲ達はどうなった? 無事なのか?」


 今の今まで自分たちが急いでいた理由をすっかり忘れていた日村は、突然声を大きくして山際に詰め寄った。


 高井と別れてからかなりの時間が経つが、先ほどまで自分たちがいた一階の廊下に彼らが下りてくることは無かった。階段を上っている今も上から人が降りてくる気配は無い。この校舎には上階へとつながる階段が二箇所あるが、もし高井達がもう一方の階段から降りているのだとすれば最悪一階で神野たちと鉢合わせになる可能性がある。何としてもその前に合流しなくては。


「ちょ、ちょっと待ってろ」


 日村に言われて状況を思い出した山際は慌てて上階を見上げた。


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