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灰色の羊  作者: 御目越太陽
第三章『絶望の世界、希望の箱』
21/38

3-8

 無人の廊下を全力で駆け抜けながら、日村と山際はその背中にひしひしと追跡者の気配を感じていた。


 緊張のためか疲労のためか、あるいはその両方か、徐々に重くなり悲鳴を上げる足腰に耐えかねて日村が先に足を止めた。


「ひ、日村?」


 不安に怯える山際が日村を見る。


 日村は内ポケットからジッポライターを取り出すと空いた方の手で山際の動きを制した。


「下がってろ。迎え撃つ」

「だ、大丈夫なのかよ」


 先ほどの敗戦を思ってか、山際の表情は硬いままだ。次第に大きくなる追跡者の足音が彼の不安をよりいっそう大きくさせる。


 日村は手にしたライターに火をつけると呼吸を整えながら敵の気配を探った。


「ただ逃げてたって、俺らの足じゃすぐ追いつかれる」


 ならばここで止めるしかない。日村の静かな闘志を反映してか、ライターの炎は細長く形を変えると空いた方の手にぐるぐると巻きついた。


 二十メートル、十五メートル、十メートル。


 徐々に近づく敵の気配背中で感じながら、日村は時機を計った。


 振り返るわけにはいかない。敵の油断を誘うため、背中は向けたままが望ましい。そして、射程内に入った敵を確実な一撃で必殺するのだ。間合いが遠すぎれば容易にかわされるし、近すぎればこちらの身が危ない。絶妙にして絶好のタイミングを計り、長引かぬよう一瞬で勝負を決めなくては――。


「日村!」


 とうとう肉眼で追跡者――三田の姿を捉えた山際が唐突に叫ぶ。無人の廊下に響く山際の声が二回戦の火蓋を切って落とした。


 獲物に追いついた三田は背中を丸めてたたずむ日村を見て無意識に笑みを漏らした。


 三田の位置からは右手に収められたライターも臨戦態勢を整えた左手の炎も確認することはできない。三田は日村の丸まった背中を急な運動で負荷のかかった胸を押さえているため、と判断したのだ。これなら新技を使うまでも無い。


 三田が電気をまとった右手を直接日村に叩き込もうと勢いそのままに距離を詰めると、背を向けたままの日村が突然しゃがみ込みその左手を床に叩きつけた。


「獄炎龍!」


 左手から放たれた炎の龍は日村の股の間を抜けると廊下をすべるように蛇行しながら背後に迫る三田に襲い掛かった。


 予期せぬ攻撃に思わず足を止めた三田はとっさに、戸の開いている手近な教室の中へ転がり込むように飛び込む。


 避けられたと感じるやすぐさま振り返って龍を室内へと突撃させる日村だったが、すんでのところで閉められた戸を焦がしただけで炎の龍は空しくその姿を消した。


 必殺の一撃を避けられ思わず舌打つ日村だったが、すぐに冷静さを取り戻し三田の逃げ込んだ教室を見やる。


 初撃を避けられたからといって焦ることは無い。敵は今逃げ場の無い教室に閉じ込められている状態なのだ。ここは慌てず冷静にいぶり出して今度こそ確実な一撃を見舞えば――。


 日村の思考は突如廊下に響いた金属音に阻害された。三田の逃げた教室、その別の戸から勢いよく椅子やら机やらが飛び出してきたのだ。


 反射的に宙を舞う机たちへと炎を飛ばす日村。校舎内に彼ら以外の生徒が居るとは思えない。室内に潜む三田の仕業であることは明白だった。


 次いで日村は開け放たれている戸に向けて炎を飛ばした。


 炎は室内に侵入するとその勢いを増してますます盛んに燃え上がる。日村はその炎にはっきりと手応えを感じた。たしかに攻撃は当たったのだと。


 だが、それと同時に彼の頭には拭い去れない違和感も生まれていた。


 攻撃は当たったはずだ。にもかかわらずこの静けさは何だ。攻撃が当たったのなら当然あってしかるべき反応が、敵には無いではないか。


 先ほどの一戦でこうむった痛手が、わずかながら日村に冷静な判断力を与えていた。


「山際!」


 怒鳴るように日村は山際の名を呼んだ。


「お、おう」


 日村の意図をくみ取ってすぐさま山際が室内を透視する。


 燃え盛る炎の近くに三田の姿は無い。日村の炎が燃やしているのは乱雑に積み上げられた椅子と机だった。


 無秩序に配された机と椅子。床に散らばる生徒たちの私物群。開け放たれた暗褐色の掃除ロッカーとひびの入った窓。教室は完全にもぬけの殻だ。


 三田は何処に消えたのか。と、凝らした視界の隅に動く人影を見た山際が隣の教室を指差して叫んだ。


「あ、あそこだ!」


 敵の姿を確認もせず仲間の言葉を信じて日村は山際の示す方向へ炎を飛ばした。


 炎は隣の教室から飛来してきた三田の釣り糸を燃やしながら勢いを弱めず突撃し、そのまま三田の右手を包んだ。


「――うぉっ!」


 たまらず三田が室内へ引っ込むと、追い討ちをかけるように日村が再び炎の龍を室内へと飛ばす。


「今度は逃がさん!」


 龍が何かにぶつかりそれを燃やす手ごたえを日村は再び感じた。そして今度はいささかも迷わずすぐさま山際に確認を取る。


「やったか?」


 期待もむなしく山際が首を横に振った。


「駄目だ。避けられた」


 山際の視界には机の下に飛び込んで辛くも難を逃れた三田と空しくカーテンを焼く炎の龍の姿がはっきりと映し出されていた。


「オーケー。目を離すなよ。何してくるか分からんぞ」


 薄々感づいていたのか、その報告に驚きも示さず日村は左手に炎をまとって抜かりなく教室に意識を集中させる。


 今まで幾度か三田と対峙したことのある日村だったが、今日の三田にはいつもとは違う底の知れない強さを感じていた。


 すんでのところで攻撃をかわす反応速度、一瞬で状況を読み、地の利を活かした奇襲を仕掛ける回転の速さ、そして中距離戦にも対応できるようになった新技の存在。今までの、自分の能力と体力に頼った近距離一辺倒の単純な三田が相手ならば日村がこうも苦戦することは無かっただろう。わずか数日の山篭りで三田龍平は見違えるほどの進化を遂げていた。


「…………」


 日村の額を汗が伝った。緊張のためか、山際もごくりとのどを鳴らす。


 先ほどまでの激しい攻防から一転、廊下は妙な静寂に包まれていた。


「おい、三田は?」


 焦れた日村が山際に尋ねる。


「いや、動かねぇ」


 休憩でもしているのか、山際の視界には手を組んで机の下に座り込む三田の姿が先ほどからずっと確認できている。


「ッ、何なんだよあいつ」


 額の汗を袖口で拭いて日村が舌打った。日村としては三田の相手にあまり時間をかけたくないのだ。


 時は一刻を争う。こうしている間にも茂野と高井が自分に助けを求めているかもしれない。こんな能力を有していても誰も助けることができないのでは意味が無いのだ。今すぐ三田を片付けなければ。いや、このまま放っておいて茂野達のもとへ向かった方がいいかもしれない。しかし放っておいてもそれはそれで厄介だ。危険を承知で一気に突入しケリをつけるか。三田相手にそれは無謀か。早くしないと茂野達が――。


 状況が日村の決断を鈍らせていた。そしてその逡巡が両者の間に思わぬ膠着を生んでしまった。時間にしてわずか一、二分。この膠着は三田にとって非常に有利に働いた。


 不意に山際の視界に動きが見られた。うずくまる三田の両手がにわかに輝きだしたのだ。やがて、室内から発せられるバチバチという異音が静寂の廊下にも響き渡る。


「う、動いた」


 山際の一声で日村の全身に緊張が走った。左手の炎がその勢いを増す。


 三田の両手から発せられる電光を見て、山際は先ほどの不自然な沈黙の意味に気づいた。あれは休憩ではなく充電のための時間だったのだ。


 焦げ臭い教室の中おもむろに立ち上がると、三田は電気をまとった両手で適当な椅子と机を引っ掴んで教室の戸をけり倒した。


 戸に張られたガラスが無残にも砕け飛び、それを悠然と踏みつけて三田は廊下へとその姿を現す。


 両者の距離は十メートル。放電する両手にそれぞれ椅子と机をぶら下げて三田龍平は真正面から日村たちと対峙した。


 三戦目はすでに始まっているのだ。


 日村は拳を握り締めた。距離から考えれば日村の有利に間違いはない。三田の攻撃は基本的に近距離でしか使えないし、その例外となる必殺〈電光蛇〉もこれだけ離れていれば見てからかわすことができる。今までの三田ならば射程外から弾幕を張れば勝利を諦めて逃げていっただろう。そう、今までの三田ならば。


 先手をためらう日村を見て、三田は手にした椅子を眼前の廊下にそっと置くと、身構える日村たちに向けて渾身の力で前蹴りをぶち込んだ。


 廊下をすべる椅子を反射的に焼き払おうと構える日村だったが、蹴り飛ばした椅子と共に接近する三田に気づくと慌てて炎を御す。椅子に注意を払っていれば接近した三田に手痛い一撃を見舞われていたかもしれない。足を上げて椅子を蹴り返すと日村は目の前に迫る三田に向けて三度目になる炎の龍を飛ばした。


 炎の嵐が三田を飲み込む。


「やった!」


 この距離ならば避けられまい。日村が勝利を確信すると、突如嵐の中から炎の塊が日村のもとへと投げ出された。


「うっ!?」


 飛来する炎をとっさに防ぐ日村だったが、ガードした手に鈍い痛みと予期せぬ重みを感じ思わずよろめいた。


 炎に質量などあるはずが無い。そもそも炎なら彼に反旗を翻すことなどあり得ないのだ。


 鈍い音を立てて廊下に落下するその反逆者の正体に日村は目を見開いた。


(机?!)


 それは三田が教室から引っ張り出してきた机だった。日村を攻撃したのは炎ではなく炎に包まれた教室の机。日村が焼いたのは三田ではなく三田が持っていたこの机だった。これが炎の中から投げつけられたということは――。


 顔を上げた日村の目に不規則な光を放つ拳が映った。脇を締め、腰の辺りに溜められた右拳の親指は外側を向くように強くねじられ、左手にかばわれた眼孔は、はっきりと日村の姿を捉えていた。


電光サンダー


 炎の中から躍り出た三田がつぶやいた。


 避けられない。日村の頭が何とか状況を理解した。


 同時に、点火しっぱなしのジッポライターの炎がほぼ無意識に日村の右手を包む。


回転拳コーク!」


 直後、両者の拳が交叉した。


「ぐ、あああっ!」


 咆哮が静寂を割る。


 組み合う二人のうち先に動いたのは三田だった。額を押さえて飛び退く三田。日村の右拳は頭部を固める三田の左手に阻まれてわずかにそのこめかみを焼く程度にとどまった。


 一方で三田の放ったコークスクリューは日村の心臓を見事に捉えていた。日村が胸を押さえて崩れ落ちると、同時に廊下を満たしていた炎がその姿を消していく。


「日村ぁ!」


 山際の悲痛な声が廊下に響いた。


 それはあり得ない光景だった。今までその力で数多くの能力者と渡り合ってきた日村が完敗する姿など山際にとって現実であるはずが無いのだ。


 しかし再び電気を帯び始めた三田の両手が無常にもその現実を山際に突きつけた。


 うずくまる日村を見下ろして三田が口角を吊り上げる。帯電した右手でとどめの一撃を食らわそうというのだ。


 避けたくとも身動きの取れない日村は痙攣する腕で激しく動悸する胸を押さえ、ただ三田を見上げた。取り落としたジッポライターの火もいつの間にか消えている。敗北者になすすべなど無かった。


「俺の……勝ちだな!」


 まさに万事休す、そう思われたその時、日村よりも山際よりもはるか後方から突如飛んできた無数の石つぶてにより、すんでのところで三田の一撃は日村に届かず阻まれた。


 突然あらぬ所から飛んできた攻撃。期せずして三人は同時につぶての飛んできた方を見た。


「いやぁ、間一髪ってやつでしたねぇ」


 廊下に耳慣れない声が響いた。同時に規則的なリズムの足音が徐々に日村たちの下へと近づいてくる。


 初めに彼らの目に映ったのは虚ろな眼をした集団だった。金属バットや掃除用具で物々しく武装したその一団は軍隊よろしく各々得物を捧げながら生気のない表情で日村たちの前にきびきびと整列した。


 前列を固めるのは柄の短い箒やちりとりで武装した何とも頼りない少年たち四名。背格好からしておそらく一年生だろう。その後ろにはモップを得物にしたおそらく二、三年生と思われる生徒が三名。前列との年齢差はわずか一、二年しかないというのにそのがっしりとした体躯が見るだけで両者の力の差を際立たせている。


 不意の乱入者に三人が身構えていると、前後二列の横隊が突如真ん中から二つに割れた。横隊は壁を背にして互いに向き合うと再び武器を捧げて直立不動の姿勢をとる。


 気づけば彼らの間には道ができていた。賤民ではなく貴き人が通るための特別な道。彼らはできうる限り最高の敬意でもって彼らの主を迎えているのだ。


 そして列の最後尾から、金属バットを携えた二名の近衛と石の詰まったバケツを抱えた一名の従者を従え、敵意など微塵も感じさせない明るい表情で、一団の長は対峙する日村たちの前へとその姿を現した。


「この状況でまだ補強ができるなんて、僕としては思わぬ僥倖でしたけど」


 語りかけるその少年の顔は日村と山際にとって見覚えのあるものだった。数日前から高井が調査している二年生の能力者。名前は――、


「……神野……司」


 しびれた喉で日村は何とか少年の名を搾り出した。

 武装した集団の中、手ぶらで悠然と構える彼の姿は、まるで臣下の騎士団に守られる王侯貴族のようだ。


「何だテメェら?」


 突然湧いてきた介入者に三田が不機嫌さをあらわにして吐き捨てる。ちょうどいいところを邪魔されたのだ。彼の苛立ちも無理からぬこと。


 対する神野はそれを意に介さぬ余裕の態度で三田の質問を無視した。


「あまり痛めつけられると困るんですよ。せっかく手駒にしても、使えなかったら意味ないでしょ?」

「答えんなってねぇぞ」


 凄んだ三田の両手が音を立てて放電する。両の拳は今にも神野に飛び掛りそうな勢いで力強く握り締められていた。


「うわ、凄いな。電気ですか。先輩なら試すまでも無く即戦力決定ですね」


 突如、微笑む神野の眼前に近衛の金属バットが突き出された。三田が出し抜けに右手の釣り糸を投げつけたのだ。


 糸がバットに絡みつくとたちまち襲い来る電流に腕を焼かれ、近衛はバットを取り落とした。


 廊下に響き渡る金属音。


 状況を好機と捉え、すぐさま追撃に踏み込む三田だったが直後飛来する無数の石つぶてにガードが間に合わず慌てて後退する。悪くない反応速度だったが避けきれなかった弾丸が彼の頭部をわずかにかすめた。


「無駄ですよ。この数相手に抵抗なんて」


 神野が微笑を崩さず語りかける。狙われていたのは自分だというのに彼の顔には焦りも危機感も見られない。


 距離をとった三田が血のにじむ額を拭って石を飛ばした相手を睨んだ。急な攻撃とはいえ三田にとって避けられないような距離ではなかったはずである。最初の攻撃とは違い今度は相手が目の前にいる分三田も敵の出方には注意を払っていたのだ。


 だが、今しがたの攻撃を三田は避けることができなかった。何故か?


 バケツを抱える従者の顔を見て三田はその理由に気づいた。


「……テメェ」


 苦々しく吐き捨てる三田に続いて日村と山際もその従者の存在に気づく。


「……い、伊藤?」


 名前を呼ばれた従者はそれに反応も示さずただ黙って虚ろな瞳を三田に向けていた。従者は三田と同じ二組に在籍する能力者、〈念動力〉の伊藤力だった。神野に気を取られて気づかなかったが、その一団の中には伊藤以外にも日村たちと面識のある能力者がちらほらと混じっている。


「お、おい、どうした?」


 何の反応も返ってこない不安からか、山際が無防備に伊藤へと手を伸ばすと、突然伊藤のバケツから無数の石がひとりでに飛び出し山際に襲い掛かってきた。


 伊藤の〈念動力〉は念じることで物体を動かす力だ。伊藤はその能力で掴む、構える、投げるという一連の動作を省略して攻撃を行っていた。それ故、いかな三田といえども突然飛んできたつぶてを完全に回避することができなかったのだ。


「うわっ!」


 日村に袖を引っ張られ無様に転倒したものの山際は寸での所で難を逃れた。急な展開に軽く腰を抜かした山際は尻餅をついたまま何とか後ずさる。


「な、何だよいきなり。どうしたんだよお前ら!」


 山際の叫びが廊下に響いた。しかしその声は彼らの耳には届いていなかった。彼らの虚ろな瞳は一様に三田の方を向いていたが、そこに敵の姿は映っていない。


「……無駄だ」

「え?」


 幾分か回復した日村の言葉に山際が動きを止めた。


 日村は調子を整えるためしばし間を空けた後、絡みつく痰を吐き出すように声を絞り出した。


「……おそらくこいつらは、操られてる」


 日村の発言に今までずっと表情を変えなかった神野がわずかにその目を細めた。


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