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灰色の羊  作者: 御目越太陽
第三章『絶望の世界、希望の箱』
19/38

3-6

 根津の咆哮と八つ当たりで彼に蹴り上げられた机の跳ね回る音が廊下にも大きく響いている。


「急ぐぞ」


 そう言って先を走る少年の背中を高井はまじまじと見つめた。


「あの、ありがとうございます。助けてくれて」


 礼を言われてちらっと振り返った少年は、照れのためか質問で返事を返した。


「今どうなってるんだ? 状況が分からん」


 その少年、水野洋介は心なしかすっきりとした顔で廊下を走った。


 地震発生直後、水野は廊下を這いながら一人便所を目指していた。


 急激な状況の変化による緊張で彼の肛門はもう限界だったのだ。不思議なことに水野の頭の中では地震の恐怖より漏らす恐怖の方が勝っていたらしい。


 そのまま便所にこもること数十分、水野が戦いを終えた頃には全校生徒の避難はとっくに完了しており、彼も続いて運動場に向かおうと思っていた矢先、根津の襲撃を偶然目にして急遽高井たちを助ける作戦に出たのだった。


「あの地震が……能力」

「それだけじゃありません。多分今学校全体が、能力者の作り出した空間の中に閉じ込められていると思うんです。そうですよね?」


 尋ねられた茂野が無言でうなずく。


 一通りの状況を聞いて水野は息を呑んだ。いまだかつてこれほどまでに大規模な能力を彼は見たことがなったからだ。


 無論それは彼だけに限った話ではない。能力者の能力が一般の者に影響を与えることなど今までほとんど無かったことなのだ。


 能力者は皆少なからず自分たちの特異な才能を自負していた。しかし何故か、周りの者にその能力を喧伝したりはしなかった。使用目的の後ろめたさゆえに能力を隠匿した山際や、そもそも自慢する相手が周りに居なかった水野など理由は各人によって様々だが、その多くの者に共通しているのは一種の優越感に起因した感情だった。


 人にはない特別な力を持っている自分、周りのものは誰も知らない、そういった状況が彼ら能力者たちをその独特な優越感に浸らせていたのだ。


 それ故、能力を世間一般の目に触れさせないというのは能力者たちの中でいつの間にか暗黙のルールとなっていた。これだけの数能力者が実際存在しているにもかかわらずそれが世間に全く認知されていないのは、彼ら能力者たちが皆無意識のうちにこのルールを遵守している証拠なのだ。


 しかし、この箱の能力者はいとも簡単にこの取り決めを破ってしまった。能力者もそうでないものも無関係に展開される惨劇。状況はまさに異常な事態であると言えた。


「で、あいつは何だ?」


 水野は先ほど彼らが出てきた六組の教室を指して尋ねた。教室で行われている根津の一人暴動が今もむなしく廊下に響いている。


「分かりません。能力者らしいんですけど、いきなり襲ってきて――」


 そのとき、教室のドアを蹴り倒して根津が廊下へと出てきた。なぜかその両手にゴミ箱をぶら下げて。


 水野たちを見つけると根津は怪しい笑みを浮かべてゴミ箱に詰まったゴミを廊下にばら撒いた。


「逃がすかよ!」


 根津は握り締めた左手をジッポライターに近づけ、火をまとわせるとそれを周囲のゴミへと飛ばす。ゴミは彼の周りで小さな火種となって彼を囲んだ。自身を取り囲む炎の中、それを意に介さず涼しげな表情で根津が握り締めた左手を掲げると、火種はその勢いを増して彼の周囲に展開した。燃え盛る火の玉は彼を守るように、そして彼の敵である水野たちを威嚇するようにゆらゆらと不規則に揺らめき、なお燃え上がっていく。


 火種は充分と判断したのか、根津はライターを懐にしまうと右手をポケットに突っ込んでなにやらまさぐり始めた。


 その様子に少しだけ警戒を解いた高井が振り返って水野に囁く。


「逃げましょう。一旦退いて日村さんたちと合流した方がいいですよ」


 しかし、促す高井の声は水野の耳には届かなかった。彼の意識は目前で燃え盛る炎の一群に釘付けになっていたからだ。


「……炎」


 水野はつぶやいた。


 炎だ。日村以外の者が扱う火の能力だ。間違いない。俺はあれを見たことがある。


 目の前のそれが風間を襲ったものと同じ炎であると水野は確信した。


「水野さん」


 心配そうな高井を一瞥して、水野は静かに答えた。


「いや、必要ない」

「え?」

「あいつは俺が倒す。逃げるなら早くしろ。食い止めといてやる」


 そう言って水野は懐から三百ミリペットボトルを取り出した。先ほど二人を救うのにかなり使ってしまったため、これが彼にとって現状最後の手持ちの水だった。


「倒すって、勝算あるんですか?」

「水は炎には負けない。それに」


 俺は最強の能力者だ。そう続けようとして水野は言葉を止めた。


 冷静に考えれば水野の戦績は一勝一敗。最強を自称するにはまだ早すぎる。いくらその攻撃性と無差別さで悪名をとどろかせていた三田を倒したといっても、日村や風間、今目の前に立ちはだかっている根津など、水野の野望の障害となる能力者は他にもたくさん存在しているはずだ。


 何より、この箱を作り出した能力者を倒さぬうちに最強などと名乗るのはひどく滑稽なことのように水野には思えた。


「いや、とにかく逃げるなら早くしろ。そんなに余裕は無い」


 水は炎に対して相性がいい。それは決して間違いではないが手元の水だけでは根津の火の玉に抗しきれないことは水野にも分かっている。


 水野が周囲を見渡して水源を探すと、都合よく彼らの背後五メートルほどのところに水飲み場を見つけることができた。


 水野は根津の動きを警戒しつつゆっくりと後退した。充分な水さえ確保できれば負けることは無い。そう確信していたのだ。


 ――だが、


「……ち、違う」


 か細く静かだが、確かな言葉で水野の確信は唐突に否定された。


 同時に、水野と高井がその言葉の主、茂野に注目する。


「シゲさん?」


 茂野の目は炎の中でたたずむ根津をはっきりと捉えていた。


 そして、その能力〈悟り〉が根津の本当の能力とその狙いをはっきりと感じ取っていた。あの炎が根津の能力の全てではないのだと。


「……あ、あ、あいつは」


 水野と高井は後に続く言葉を待ったが、茂野の口は期待通りには動かなかった。口下手な茂野には自身の考えを適切に表現するいい言葉が見つからないのだ。


 緊張のためか、実際には数十秒程度の沈黙も彼らには一分にも一時間にも思えるほど長く感じられた。


「あいつは?」


 焦れた水野がその言葉の意味を問いただそうとほんのわずか注意をそらすと、炎を従わせた根津が突然握り締めた右拳で空を切った。


 直後、水野のこめかみを不可解な衝撃が襲う。殴られた感触ではない。それより弱いが不自然なまでにはっきりとした何かが水野の横っ面をたしかに叩いた。


 突然側頭を打った謎の感触に水野は思わず相手を見返した。


 根津との距離はずいぶん離れている。炎が飛んでくればさすがに気づくし、炎でなくとも何かしらの物体が当たればそれは証拠として残るはずだが彼の周りにはそれらしきものはない。


 判然としない敵の攻撃をただ一人理解していた茂野は考えた末にその力を表現した。


「……あ、あいつの、の、能力は、……泥棒だ」


 遠くの根津が再び右手を振り払った。


 茂野のヒントに答えを出せぬままとっさにガードした水野は腕を叩く衝撃に思わず目を細め、その攻撃の正体に気づいた。


(風?!)


 根津の右手から繰り出されていた攻撃は風だった。風は根津が右手を振り回すたびに異常なまでの圧力を持って水野を襲った。その極めて不自然で強力な風は水野にとって初めての感触ではなかった。


 水野の頭に一つの仮説が浮かんだ。


 左手で操る炎。それはまるで日村の〈無限烈火〉のようだ。右手から繰り出される風。それは何となく風間の能力に似ている気がする。そして極めつけは茂野の言葉。


「……泥棒……そうか」


 根津は両腕を交差させると勢いよくそれを振り払った。左手から繰り出された火球は右手から生み出された風のレールに乗って勢いよく飛び出す。炎の豪速球は先ほど教室で高井を襲ったのとは比べ物にならない速さで水野へと飛来した。


 〈窃盗(カリパク)〉、それが彼の持つ能力の名前だった。


 根津幹隆の〈窃盗〉は他人の能力を模倣する力である。発動のための条件は二つ。一つは対象の能力を根津自身がその目で直接見ること。そしてもう一つは対象の所有物を根津自身が身につけることだ。


 所有物の種類は基本的に何でも構わないのだが、携帯のしやすさから根津は制服のボタンを好んで収集していた。言わずもがな今の彼の左手には日村の、右手には風間の所有物である学生ボタンがそれぞれ握られている。


 身につけてさえいれば能力の併用は可能だが、あまり多く身につけすぎると個々の力を持て余してしまうため両手に一つずつが最も扱いやすい状態だと根津は分析していた。余談ではあるが、中でもこの火と風のコンボは根津の一番気に入っている組み合わせだった。


 根津はこの能力を存分に活かすため三田の陰に隠れて人知れず能力者を狩っていた。


 最初のうちこそ友好的に近づいて秘密裏にその力を盗んでいた根津だったが、三田を初めとした能力者狩りの蛮行が目立ち、各能力者たちが未知の相手に対して警戒するようになってからはその手段を過激にしていった。


 突然能力者に襲われれば自身も能力で対応せざるを得ない。根津に奇襲された能力者たちはその能力で奇襲に対応して皆ことごとくその力を盗まれていった。風間俊もそのうちの一人である。


 根津は時と場所と手段を選ばぬ卑劣な作戦で着々とその力を強めていった。


 他人の能力を勝手に使用することで彼の支配欲は大いに満たされ、そしてその欲求がこの非常時においてもなお彼を能力者狩りへと駆り立てていたのだった。


 飛来する火球に水野は持っていたペットボトルを投げつけた。


 火球はペットボトルを粉砕し蒸気を上げると勢いを弱めながらもなお止まらずに水野を襲う。


 咄嗟にガードした左手が頭部の代わりにその攻撃を請け負った。


「水野さん!」


 悲鳴にも似た高井の叫びが廊下に響く。


「――熱っつ!」


 直前に投げた水のおかげか、左手に絡みついた炎は水野が激しく手を振り回しただけであっさりとその姿を消した。しかし、


(……まずいな)


 と、水野は思った。


 先ほどの攻撃は幸いにして軽傷ですんだ。敵の能力についてもおおよそは予測することができる。だが、先立つものが無ければ対抗のしようが無い。


 大急ぎで後退しつつも、水野は慌てて背後に控えていた二人に指示を飛ばした。


「水だ! 早く!」

「は、はい」


 三人はすがりつくように水飲み場の蛇口へと飛びついた。


 一方、攻撃を防がれた根津はしかし微塵も焦る様子無く両手を握り締めていた。


「無駄無駄」


 逃げる三人の姿を見て根津が吐き捨てる。炎に水で対抗しようという三人の安直な行動が根津の嗜虐心を余計にくすぐった。


 根津は左手にまとった火の玉を目の前に掲げた。力強く握られた右拳はさしずめテニスのラケットと言ったところか。


 眼前に揺らめく炎を軽く上に放ると根津は風を操る右拳でその炎を思いっきり殴りつけた。


 弾丸のごとき速度で繰り出された炎のサーブが再び水野たちに飛来した。


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