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灰色の羊  作者: 御目越太陽
第三章『絶望の世界、希望の箱』
14/38

3-1

 その日、彼らの中学ではいつもと同様に何事も無い一日が始まっていた。


 その時、〈無限烈火〉の日村烈は風間襲撃の報せに憤りを感じていた。


 何故能力者同士のいさかいは絶えないのか。何故彼らは仲良く手を取り合うことができないのか。この力はそんなことのためにあるわけではないはずだ。せっかく目覚めた能力が争いの火種にしかならないなんてそんな馬鹿な話は無いはずだ。


 眉間にしわを寄せて葛藤する日村だったが、しかしでは何故能力はあるのかという問いに対する答えは、彼自身にも見つけ出すことはできなかった。


 その時、〈悟り〉の茂野悟はぼんやりと窓の外を眺めていた。


 誰とも目をあわさないですむように、誰の心も読まずにすむように、誰もいない窓の外を校舎四階の教室窓際の座席から、ただぼんやりと茂野は眺めていた。


 その時、〈千里眼〉の山際透は前に座る女子生徒の体をねぶるように見ていた。


 彼の視界で彼女は、年の割りに大人びた赤い下着をはじめ、まだ小さくてすべすべとした白く可愛らしい尻から、胃の中に詰まっているその日の朝食の成れの果てまで、余すところ無く全てをさらされていた。


 下着は全て脱がせるべきか。それともどちらか片方だけを身に着けさせた方がいいのか。全部脱がして靴下だけ履かせるというのはどうだ。ああ、できることなら前から拝みたい。


 溢れるリビドーが彼に部分透視という新たな能力を開眼させ、彼の毎日はより一層輝きを増した。


 組んだ両手で口元と鼻の下を隠して葛藤する山際だったが、しかし一体どうすることが最良の選択なのかという答えはどうしても出すことができなかった。


 その時、〈性別倒錯〉の高井梓はいかにして神野の能力を探るかを考えていた。


 話しかけたところで素直に答えてはくれないだろう。無理に聞き出そうとすれば得体の知れないあの能力で自分も窓から落とされてしまうかもしれない。


 しかし何とかして彼の能力を知りたいと梓は思っていた。情報収集以外に、自分が日村たちの役に立てることなど彼女にはどうしても思いつかなかったからだ。


 そしてその時、〈水の曲芸〉の水野洋介は腹部と肛門を襲う激烈なカオスの渦に悩まされていた。


 原因は何だ。今朝食べたポテトサラダか。それとも慌てて飲み込んだ牛乳か。失敗だった。ホームルームが始まる前に大事を取って便所に行っておけばよかった。学校でうんことか恥ずかしいなんて思ってる場合じゃなかった。学校だろうがボットンだろうが便所でうんこして何が悪いというのだ。クソッ。


 便意だけに、などと冗談を考える余裕は水野には無かった。


 一分が、一秒が、永久の様に長く水野には感じられた。


 体中の全神経を括約筋へとつないでいる水野には名前を読み上げて出欠を取る担任の声など全くもって耳に入らなかった。ただただ本能に抗い続けることだけが彼にできる唯一の、そしてささやかなる抵抗だった。


「上田……内山……」


 一方で、彼の苦しみなどには当然誰も気づかず、教室は活気付いていた。やかましい私語が出欠を取る担任教師とそれに対する返事の声をいとも容易くかき消している。そんな状況に眉をひそめながらも彼は事務的に仕事をこなした。


「川相……木下……」


 彼としてもこの状況はあまり望ましくない状態だった。しかし、頭ごなしに怒鳴りつけて朝っぱらから生徒たちのテンションを下げてしまうのはあまり適切な指導とは言えない気もする。


「今野……佐藤……」


 生徒の名前を読み上げながら彼は考えた。雰囲気を壊さず、反感も買わず、生徒たちに注意を促すには怒りよりも笑いの方がいい。一度笑いを取って意識をこちらに向けさせ、和やかな雰囲気の中、それとなくやんわりと指導してやろう。うん、これなら大丈夫なはずだ。


「鈴木孝也……鈴木勇人……」


 彼は表面上淡々と仕事をこなしながらも自信のネタを披露するための機会を探った。


「田代……田中……田辺……」


 いよいよだ。ごくりと鳴らしたのどに痰が絡む。


 軽く咳払いをして彼は名前を読み上げた。


「ナカータ、ナカムーラ……マキ」


 静寂が教室を包み、生徒たちの視線が教壇に立つ担任へと集まった。


 意味が分からないと顔をしかめるもの、笑いを堪え顔を背けるもの、一切リアクションをとらず冷めた目で担任を見つめるもの。


 ややあって、クラスのお調子者が盛大に吹き出し、それを皮切りに爆笑が起こった。


「もういい加減やめろよ。受けねぇんだからさー」

「腹抱えながら言っても説得力ねぇぞー孝也」


 ヒィヒィと苦しそうに息を継ぎながら突っ込みを入れるお調子者の鈴木に担任が冷静な突っ込みで返す。 すると、ばらばらだった教室の笑いはいつしかこの教師の話題へと集中していた。


「俺あの空気駄目だわ。耐えらんねぇ」

「先生ーマジいい加減飽きたんで新ネタやってくださーい」

「古いんだよなぁ。先生、時代はザックだよ、ザック」

「俺ノムさん見たいな。先生、ノムさんやってよ、ノムさん」

「おまっ、それ野球じゃねぇか。せめてサッカーでかぶせてこいよ、サッカーで」


 口々に上がる勝手な声に憤慨しつつも、彼の内心は想定どおりの展開に対してガッツポーズを上げていた。


 中田省吾、中村裕、新田真紀、この三人の名前を元サッカー日本代表監督ジーコの物まねで読み上げるネタは担任の鉄板ネタだった。四月初めの自己紹介で爆笑をかっさらったことに味を占め、以降二週間に一度くらいのペースで披露しては教室に一抹の笑いを届けているこのネタは、当初こそまともに受けていたものの次第に飽きられ、今やネタ後の冷めた空気を笑いに変える滑り芸としてすっかりクラスに定着していた。


「ったく。お前らがうるせぇから俺のネタが滑ったみたいになんじゃねぇか」

「うわひっでぇ。責任転嫁だよ」


 大仰なため息をついて不満を漏らす担任にすぐさま非難の声が上がる。だがこれも彼の狙いのうちだ。新ネタが見たければ静かにしろ、と続けてとりあえずこの場はしのげばいい。大事なのはネタという餌をちらつかせることで私語を控えるようにしつけることなのだ。


 しかし、クラス一空気の読める学級委員長、山田の一言が担任の計画を斜め上にずらした。


「よーし、皆今から先生が爆笑ネタ見せてくれるらしいから静かにしようぜ」

「え?」


 山田の言葉を受けて教室は一気に落ち着きを取り戻す。生徒たちの期待に輝く顔は担任に退くことを一切許していない。恥を忍んで滑りにいくか、もしかしたら起きるかもしれない奇跡に全てを賭けてみるか。残念ながらこの一介の中学教師に実力で笑いを取ると言う選択肢は用意されていなかった。


 抜き差しならない状況に彼は――、


「はい、じゃあ出欠とりまーす。……野中」


 と、普通に出席簿を開いた。


「何だよ。やれよ何か」

「逃げんな。ずりーぞ」


 当然のごとく非難の声が上がった。普段は落ち着きのある生徒たちまで担任への罵倒に賛同している。


「待て。出席、出席取ったらやるから」


 狼狽しつつも必死でとりなす担任はなんとか打開策を見つけ出そうと目まぐるしく頭を働かせたが一向に良案は浮かび上がらなかった。


 担任の企てた落ち着きのある教室計画は実にあっさり破綻したのだが、捨て身のネタのおかげもあって教室はすっかり笑顔と笑いにあふれていた。


 一部例外を除いて。




 何事も無い、いつもの一日。


 その何の変哲も無い日常は突如として崩壊した。


 初めに気づいたのは窓際に座る生徒達だった。


 かすかな陰りが朝日をさえぎり、彼らはふと窓外を見る。分け隔てなく無差別に校舎を照らしていた太陽は、突然何処からとも無くやってきた黒雲にその姿を隠されていた。


 雨雲か。彼らは何気なく空を見上げ、その目を疑った。


 たしかに空は黒く染まっていた。しかしそれは雨雲のせいではなかった。彼らの視界に映る空は想像していたものとは全く違う、異質な黒い塊によって埋め尽くされていたのだ。


 それは雲と形容するにふさわしくない存在だった。


 半円と半円をつなぎ合わせて作られたいびつな外郭。内部はねずみ色のクレヨンで殴り描いたようにムラのある灰褐色に染められている。


 その姿はまるで幼児が自由帳に描いた雲だった。写実性ではなく感性を頼りに描かれたいかにも記号的な雲、そのものだった。


 次の異変には最後部の席に座っていた生徒が真っ先に気づいた。


 こぞって空を見上げる生徒たちのざわめきに混じったほんのわずかな違和。教室の後ろ、ロッカーの上に置かれた水槽の水がわずかに震えている。


 中の亀が泳いだせいか。いや違う。


 揺れてね?


 その一言が窓の外に集まる意識を徐々に床へと導いた。


 揺れている。かすかだが確かに。


 教室中に伝播する不安とともに揺れは、はっきりと確実にその輪郭を現していく。


 教卓の上の花瓶が倒れ、ロッカーの上の水槽が落ちてくる。気づけばそれは、立っていることができないほど強烈な揺れへと変わっていた。


 地震だ。


 教室が、廊下が、学校が、悲鳴と喚声に包まれていった。


 落ち着け。机の下に隠れろ。担任が怒号を飛ばす。


 普段は何かと反抗的な少年少女たちも無意識にその指示に従った。格好いいとか悪いとかそんなことはどうでもいい。自分の頭で判断ができるほど余裕のあるものはその場には一人としていなかった。


 やがて永遠にも思える長い揺れが収まると、いち早く放送室へと駆けつけた教員たちは当惑した。停電のためか放送設備がうんともすんとも動かないのだ。


 比較的冷静な教員がすぐに非常用の予備電源を使うことを提案すると、ややあって混乱極まりない避難指示がスピーカーを通して学校中を揺らす。


 生徒たちは大慌てで避難した。避難場所は訓練通り学校の運動場。


 唯二つ訓練通りでないのは、これが彼らにとって本当の地震だったということと、彼らのうち誰一人として列を作って粛々と避難したりなどはしなかったということだ。


 訓練というものは毎日やらねば意味が無い。皮肉にもこの非常事態に陥って初めて彼らはそれに気づかされた。その経験が今後活かされることはないだろうが。


 そうして何人かのけが人を出しながらも彼らは何とか運動場へとたどり着いた。


 各クラスの点呼報告もそこそこに校外の様子を確認しようと数名の教員が校門に向かい、そこで彼らは新たな異変に気づいた。


 彼らが校門を出ると、そこには壁がそびえていた。彼らが外に出ようとするのを拒むかのように学校はその敷地のすべてを暗褐色の長大な壁に囲まれていたのだ。


 何だこれは。夢なのか。俺は疲れているのか。


 一人の教員が無力な拳を打ちつけた。そして微動だにしないその巨壁を見上げると、目に映った予想外の光景に彼は思わず息を呑んだ。


 そこに空は無かった。


 天に広がっているはずの無限の蒼穹は目の前にそびえる暗褐色の壁によってふたをされていたのだ。


 いや、その表現は適切ではない。


 彼の目の前のそれは壁ではないし頭上のあれはふたではないのだ。


 それは箱だった。


 彼らの学校は巨大な箱によって閉じ込められていたのだ。


 冷たく悲しい無慈悲な箱に。


 それは少年の作り出した希望と絶望の箱だった。存在と生存の許しを得るための、臆病さと羞恥の心をひた隠しにするための、それは、はかない幻想世界だった。


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