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灰色の羊  作者: 御目越太陽
第二章『暗躍』
11/38

2-2

 その頃、高井梓は自分の教室で昼休みを過ごしていた。


 すがすがしい晴天のせいか、室内には全体の半分ほどしか生徒はいない。その半分の生徒たちが三、四のグループを形成してそれぞれ話に花を咲かせている。


 その中の一つ、女子のグループに梓はいた。小振りだが確かにその存在を主張する胸に、スカートの裾からチラリとはみ出る滑らかな膝小僧。


 もし日村たちがその光景を見ても梓の存在には気づかないだろう。それぐらい彼女はかしましい少女たちの集団の中に馴染んでいた。


 馴染む、という表現はこの場合あまり適切ではないかもしれない。なぜなら彼女にとってはその空間こそが自然なのだから。彼女、高井梓にとっては日村たちと過ごす時間こそが常ならぬ時間なのだから。


 〈性別倒錯トランスジェンダー〉。それが彼女の中に目覚めた能力だった。


 彼女、高井梓には二人の兄がいた。六つ年上の長兄と四つ年上の次兄である。


 二人の兄は幼少の頃、梓の面倒をよくみてくれた。寝るときは一緒の布団で寝たし、風呂にだって三人で入った。その頃の彼女にとって兄達の後について遊ぶことは何よりの楽しみだった。


 だが、年を経るにしたがって兄妹の間には少しずつ距離が生じ始めた。思春期に入り、それぞれの部屋を持つようになった兄達は、自分たちの時間を大切にするようになっていった。勉強のできる長兄は医者を志し、毎日勉学に励むようになった。運動の得意な次兄はサッカー部に所属し、陽が暮れるまで毎日練習に励んだ。別段関係が悪化したわけではないが、彼女が九歳になる頃には三人が以前のように同じ時間を過ごすことはほとんどなくなっていた。


 離れてしまった距離を埋めるために彼女は手を尽くした。話すきっかけを得るためにサッカーにも詳しくなったし、本当は一人でできる宿題もわざわざ兄達に手伝ってもらった。


 しかし、そうしてささやかな団欒を得ることができたのも、彼女が中学に入るまでの間だけだった。


 彼女が中学生になった年、長兄は大学に進学して独り暮らしを始め、次兄は強豪校のサッカー部でレギュラーを獲得し、今まで以上に部活動に力を入れ始めた。


 ある日、彼女の中学校入学と長兄の大学合格、次兄のレギュラー獲得を一家は同時に祝った。


 父も母も、長兄の門出を祝福し、次兄の躍進を喜んでいた。


「梓は中学に入ったら何をしたい?」


 父は彼女に尋ねた。


「分かんない」


 と彼女は答えた。


「ゆっくり考えればいいよ」


 長兄は彼女の頭をそっと撫でたが、彼女にはその手のぬくもりは分からなかった。彼女は自分だけが遠い親戚の家にでも来ているかの様な気分になった。


 家を出るときの長兄の顔も、夜遅く部活から帰ってくるときの次兄の顔も、彼女には正視できないほど輝いて見えた。


 物理的にも精神的にも離れてしまった兄達との距離。彼女の心は次第に寂しさで埋め尽くされていった。


 兄達のほかに遊ぶ相手がいなかったわけではなかった。それでも、彼女にとって兄達と過ごした時間には、同性の友達からは得ることができない特別な刺激と高揚があった。


 もし、自分が男なら、と彼女は空想した。


 もし自分が男なら、兄達と過ごしたあの時間と同じ高揚を、再び得ることができるのかもしれない。もし自分が男なら、あのまぶしい団欒の中にいても、目を閉じないでいられるかもしれない。もし、自分が男なら、兄達のような充実した毎日が送れるかもしれない。


 そんな彼女の空想が、ほんの一月ほど前、〈性別倒錯〉という能力となって現実のものとなったのだった。




「ちょっと、聞いてる? 梓」


 友人の呼びかけで梓は我に帰った。


「えっと……何だっけ?」


 笑顔でごまかす梓に友人が不満顔で抗議する。


「もぉ~やっぱ聞いてないじゃ~ん」

「あはは、ごめんごめん。ちょっと寝不足でさ」


 言い訳をしつつ、彼女の視線はある一人の生徒に向けられていた。


 梓のいる女子グループとは反対方向に陣取っている活発な男子のグループ。その一団に捕まり彼らにプロレス技をかけられているひ弱な少年、神野司にである。


 柔和な笑顔で黙って技をかけられている神野。


 一見すれば何処にでもいる普通の少年なのだが、梓の目にはそうは見えなかった。


 彼、神野司は能力者である。彼女の勘がそう告げていた。


 しかし、直感を信じて神野を見張るようになった梓だったが、二週間近い調査にもかかわらず未だに彼が能力者であるという確証を得られずにいた。


 他の能力者と接触しているわけでもなければ何か怪しい挙動をとっていると言うわけでもない。私生活については梓一人で調べるには限界があるので深く追求できてはいないが、能力者であるというフィルターを取っ払って彼を見た場合、彼はどう考えても何処にでもいる気の弱い至って普通の中学生にしか見えなかったのだ。


 手っ取り早く自分から声をかけてみようかとも考えたのだが、すぐさまその案は却下した。


 自分の能力はなるべく人に知られたくない。特に日村たちには。


 梓はもし自分の本当の性別を知られてしまったら日村たちとの間にいらぬ距離が生まれてしまうのではないかと恐れていた。日村たちと一緒にいられるのは、日村たちの仲間なのは、能力者の少年高井梓なのだ。きっとあの集団には女である自分は必要ではないのだと。


 ため息をついて梓は神野から視線を逸らした。


 やはり自分の勘違いかと梓が諦めかけたとき、不意に教室を満たしていた男子グループの笑い声が止んだ。


 梓が視線を移すと、神野を除いた彼ら四人は突然真顔で直立し、背筋を伸ばしてきびきびと窓際まで歩くと、勢いよく窓を開け放ってそのまま外へと飛び出していった。


「――なっ」


 一部始終を見ていた梓が思わず立ち上がった。


 同じくたまたま様子を見ていた生徒が数名、窓の外に身を乗り出して彼らの安否を確認する。


「何? どうしたの?」


 何も知らない友人たちがのんきに梓を見上げた。


「あれ? 弘樹たちさっきまでいなかったっけ?」


 梓の視線の先にいた男子グループの不在に、他の生徒たちも気づき始めた。


「おい、マジ落ちてるぞ」


 目撃していた生徒の一声が教室中の生徒たちを窓際へと集める。


 教室はにわかに騒然となった。


 気の利いたものが職員室への伝令に立ち、隣のクラスからは早くも野次馬がやってきては花壇の上に墜落してもがいている四人を見物していった。


 皆口々に先生を、救急車を、と不安な声を漏らしている中、ただ二人、梓と神野だけが窓に食らいついている野次馬たちの背中を黙って眺めていた。


 ふいに踵を返すと神野はそのまま興奮冷めやらぬ教室を出て行く。


 口元に笑みを浮かべて沸き立つ事件現場を後にする神野の横顔を、梓ははっきりとその目に捉えていた。


 恐怖か、はたまた緊張か、梓のうなじを冷たい汗が一筋、落ちていった。


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