紫苑の残した物。
自分の心が不安定になるのを、恐れていた。この時期は、特にそうなる。雨上がりの路地の影に、ふと、手を止め、顔をあげたそこに、紫苑の顔を求めてしまう。
・・・・もう、一人の自分を亡くしたみたい・・・・
喪失感の強くなる季節。強い日差しに自分の心も体も溶けてしまいそうになる。
「似すぎてるんだよ。」
紫苑がそう言った。
「だから、一緒には、いられない。」
「どうして?」
紫苑は、答えてくれなかった。その理由が、今なら、わかる。
・・・似ているから・・・
似ているから、喪失感も倍になる。二人でいれば、居るほど、孤独感の蟻地獄に落ちてしまう。かんなだけを、残し、紫苑の時間は、永久に止まってしまった。
「これ以上、闇が進む前にね。」
紫苑は最後にそう言った。
「ずるいよ。」
かんなは、つぶやいた。今にも、そこから、紫苑が顔を覗かせてきそうだ。
「一人だけ、楽になるなんて。」
紫苑は、楽な道を選んだ。この世界を生きて行くには、紫苑は、優しすぎた。
「紫苑。」
何度、呟いても、その名前は、誰の耳にも届かない。乾いた風だけが、吹いていく。何も、かも、紫苑に、置いて行かれた気分だった。アルバイトの帰り、かんなは、街の繁華街を歩いていた。ほんの、近道のつもりだった。湿った腐臭が漂う。陽の当たらない路地裏には、奇妙な色の苔が、生えていた。夜にあいか、栄えない街。それでも、この通りには、気のきいた花屋があった。結構安い値段で、珍しい花束が買える。
「今日は。」
月命日。
「この間とお同じくらいで。」
店と顔馴染みになっていた。月により選ぶ華は、変わるが、色使いは、いつもと同じだった。
「こんな感じですかね?」
慣れた感じで、花束にリボンをかけた。リボンも、いつもの色。あの日から、全てとまったまま。自分の心も、いつまでも。体だけ、時を刻んでいく。成長は、かんなは、望んでいなかった。
「いつも、ありがとう。」
かんなは、礼を言うと、店を後にした。
「聞きたい事は、たくさんあるのに・・。」
いつになったら、答えは、聞けるんだろう。一時、本気で、答えを聞きに行こうかと、思った事があった。自分も、この世界に未練がなかった。だが、
「かんなの、色使いは、俺もマネできないよ。」
紫苑の言葉を思い出した。
「綺麗だ・・。力を感じるよ。生きている色だよ。」
かんなにしかできない。書きかけの絵。それを、仕上げたい。ただ、それだけで、かんなは、思いとどまった。自ら、生きて行く事を止めた紫苑。生きている絵を描きたい。
「コンクールだけには、出せよ」
書きかけた絵を仕上げたい。その欲望が、かんなを思いとどませた。
「紫苑。出来たよ。」
コンクールで、かんなの絵は、あまり評価されなかった。紫苑の喪失感が、かんなの色使いを、変わらせてしまった。思わぬ結果だった。
「もう一度、挑戦したい。」
かんなは、筆を握る決心をしていた。小さな花束を、墓標に立てかけた。