紫苑の呪縛。
紫苑が笑っていた。
「かんなは、食べてる時がいい顔するよね。」
そう言っていた。アトリエの傍のベンチで、売店から、買ってきたパンをかじる。
「今月も苦しいな。」
紫苑がため息をついた。
「いじはらないで、親にたよればいいのに。」
「無理だよ。」
「そうだね。」
紫苑は、親の反対を押し切って、絵を選んだ。あまり、体の丈夫でない紫苑を心配して、自分の会社を継ぐ事を勧めていたが、どうしてもと、絵を描く道を選んでいた。
「無理言ったからな・・。かんなは?」
「あたしは・・。紫苑と違って、実家が、貧乏だからぁ・・。」
いつも、苦しくて、それを笑い話にしていた。それでも、絵への情熱は、誰よりもあり、二人で、納得する絵を仕上げるのが夢だった。
「な・・。かんな」
「先輩。なんですか?」
「ふざけるな。」
「いぇ・・。先輩ですから。」
「俺さ・・。親に、心配かけてるじゃん。」
「知ってる。体の事?」
「そう・・。生まれるまえからさ。」
「うん。何度も、聞いた。」
「親の会社継げば、楽かもしんないけど。考えるんだ。」
「何を?」
「俺が生きたって、証残したいなって。」
「それが・・。絵なのね。」
「人によって、違うと思うんだけど。俺の場合はさ。絵なんだ。」
「あたしも・・。かな。」
「だから・・。もしさ。」
「わかった。何かあったらって、言うんでしょ!ないない。」
あの時は、本気にしてなかった。もう、紫苑の残された時間が、もう、残り僅かだって、事も・・。
絵を描いていた。何枚も。紫苑は、イラつくように、絵を描いては、破棄していた。あたしは、何も、出来ない。紫苑に、絵の腕を認められたとしても、あたしには、紫苑と同じ表現が出来ない。人と同じ、凡才でしかない。何か一つとして、惹きつけるものが、なかった。それに、絵には、ストーリーが、必要だ。ただ・・。貧しいだけの、あたしには、人に語りかえる絵を生む力などない。紫苑には、産まれる前から、ストーリーがあった。自分には、紫苑や秀香のような才能がないのは、一番、自分が知っていた。だから、大翔に逢った時、羨ましかった。何の、絵に対する欲もなく、自分の感性に素直に、表現する腕。そして、生への、あくなき執着心。それは、美しいと思った。かなわい。自分の絵は、はかなく、地震の無さが伝わってくる。誰にも、気づいてもらえず、部屋の隅で泣いているような、そんな寂しい絵。秀香のそれとは、全く反対の絵。大翔が羨ましく、その腕が欲しかった。
「何を描いているの?」
無心に、大翔は、かんなに声をかけてきた。最初は、何も、考えてなかった。でも、次第に、紫苑と似た才を持つ、大翔に関心を持って行った。利用できるかもと思っていた。否、利用した。迷いながら、利用し・・。そして、どこか、紫苑と同じ匂いの大翔に魅かれていた。紫苑の積年の夢がかなったその日、大翔は、自ら、去って行った。しばらく、待っていた。帰ってくるのを、待っていた。だが、自分の最初の真意を思い出し、恥じて、諦めた。全て、忘れる事にした。紫苑の名が出た日に、大翔との、思い出も死んだ。
「かんな・・。」
紫苑が呼んでる。なつかしい声だった。