魂の封印。その一。
いつの間にか、雪が降り始めていた。仰ぐと、次から次へと舞い落ちる雪に釘づけになった。
「綺麗だ・・。」
思わず、声が出た。何も変わらない。あの時と。この景色も、静かに路面に落ちて行く雪も、何もかも、変わらない。変わってしまったのは、人だけだ。自分も、そう変わった意識もないが、知らず知らずのうちに、変わっているのだろう。マンションの下に行くと、先程、逢った青年が、バタバタと降りてきていた。
「あ・・。先ほどは。」
俺を見ると、ピョコンと頭を下げた。
「どうも。」
つられて、俺も頭を下げた。
「ここだったんですか?」
「えぇ・・。」
ニコリと笑った。
「何とか、無事に終わりました。」
青年は、急ぐ様子で、伝票を振ると、走り去っていった。
「気を付けて。」
「はい。」
いい青年だ。そう思いながら、可笑しくなった。自分と対して、変わらないではないか。
「ふ・・。」
笑いながら、振り返った。
「大翔・・。」
そこに、驚いた顔のかんなが、立っていた。
「遅いから・・。もう、来ないものかと・・。」
降り始めた雪と、同じ白いワンピースを着ていた。
「どうも・・。」
さっきの、青年の時とは、違う低い声のトーンだった。
「さっきの・・。絵。」
何から、話したらいいか、判らず、あの青年の配送していた絵を聞いた。
「あぁ・・。見てたのね。」
かんなは、通りに目を泳がせた。
「また、絵は続けているの?」
「辞めたよ。知ってるだろう?」
あなたのせいで、辞めた。口には、しないが、そう言った。
「あたしのせい?」
小さな声だ。
「だとしても・・。謝らないわ。」
昔とは、違う冷たい声だ。
「いいよ。求めてない。あなたにとって、あの絵が、全てだったから。」
「知ってるの?」
「知ってるさ。全て、一人の人の為だった。あなたにとって、彼の絵を仕上げ、彼の絵を世に出すのが、あなたの務めだった。」
「ふ・・。」
寂しいかんな笑いだった。
「なーんだ。知っていたのか。」
大きな目だ。
「俺が、何も知らないとでも?」
「寂しくて、寂しくて、居場所のない、お坊ちゃま。何も、出来ない癖に、野心家。その癖、繊細で、絵の才能がある。初めて、逢って、確信したの。絵を仕上げる事が出来るかもしれないって。紫苑の残した絵を完成するのに、秀香や、あたしの力だけではだめだった。」
今まで、見たことのない、かんなの顔だった。
「利用したの。」
かんなは、続けた。
「居場所のない、あなたに、絵という居場所を作ってあげたの。感謝して。」
「かんな!」
「どうして、今頃、現われたの?私が、有名になったから、それとも、結婚するから?あなたとの繋がりは、絵1枚だけだったのよ。」
「どうして。」
そんな事を言うんだ?と言いたかった。かんなは、足元に、置いてあった包みを持ち上げた。
「持って、返って!」
突き出されたのは、1枚の絵だった。あの青年の、持っていた何枚かの、一つだった。
「お金も入れといた。あなたの腕では、十分だと思う。そして・・。それは、返すわ」
それは、俺が、かんなを描いたものだった。
「持っていたの?」
「違うわ。預かっていたの。あの日、あなたは、すぐ居なくなったでしょう?」
あの火事の日から、俺は、アトリエから、消えていた。
「あなたが来るって、言うから・・。もう、来ないで。逢わないほうがいいわ。」
「かんな。」
そんな事を聞く為に、来たんじゃない。かんなは、俺を、無視し、駐車場へと、歩き出した。
「あたしから、話はないの。帰って。」
「来たくて来たわけじゃない。」
俺は言った。
「逢わない方がいいのは、わかっていた。でも、本当の気持ちが知りたい。」
かんなは、立ち止り、俺を見つめた。
「本当の気持ち?今、話したわよね?それ以上はないわ。あなたを利用し、紫苑の名を、この世に出したの、あたしは、そうしたかったの。そのおかげで、紫苑との合作という名のお蔭で、少しは、名も売れた。お金も入ったわ。」
着ていた綺麗なワンピースをつまんだ。
「こうして、高級ブランドの服も着れるように、なったの。結婚もする。ここで、あたしの何を知りたいの?」
「こんなの・・。」
包みから、封筒に入った札束が、落ちて行った。一緒に、入っていた絵が、路面に落ちて行った。
「俺は、返してほしいわけじゃない。」
「大翔・・。」
かんなが、悲しい目で、俺を見ていた。路面に落ちた、絵が、走り去る、車に、押しつぶされていった。かんなは、声にならない悲鳴をあげ、折れていくキャンバスを、みつめていた。
「何てことを・・。」
声が、震えていた。散らばる札よりも、避けていく絵のほうが、かんなには、辛いのだ。
「いらない・・。こんなの」
俺の描いた絵なんか、どうでも良かった。絵と一緒に、あの日、アトリエに置いてきた絵具や、道具一式が、入っていたのか、路面に落ちていた。
「どうでもいい?そう言いながら、俺の道具も、丁寧にとっておいたんだ・・。」
降り積もった雪の中に、ナイフがあった。絵の具を、均等に塗りつけたり、硬くなったキャップを開けるのに、よく使っていた。最後に、使った赤い色が、雪に滲んでいた。
「本当に、どうでもよかったのか?」
プライドとか、かんなの、紫苑への、思いとか、そんなのなかった。俺は、かんなの、おびえる顔を見た。
「大翔・・。」
両手で、口を覆い、叫び声を、押し殺す顔は、昔のままだった。
「ごめんなさい・・。」
かんなは、雪の中のナイフを拾い上げていた。
「大翔・・。どうして、来たの?」
「来たい訳でなかった。」
「そうよね。」
何を思ったのか、ナイフを持つ、かんなの手が、自分に向けられていた。
「もう、責めないで。辛いの」
「かんな。何をするんだ。」
「どちらが、本当なのか、わからないの。絵の中でしか生きられないの。」
「かんな。」
俺は、かんなをとめるつもりだった。かんなから、ナイフを、取り上げるつもりだった。雪は、かなり、降り注いでいた。もみ合う、俺たちに、容赦なく、降り注ぐ。
「放せ・・。」
かんあを、ねじ伏せたつもりだった。だが・・。そこに、あったのは、降り積もった雪ではなく、白いワンピースを着た彼女の体だった。
「大翔・・。」
ぐったりと、彼女は、横たわっていた。
「あぁ・・。」
俺は、自分の手を見た。そこにあったのは、絵具ではなく、かんなの、血に染まった俺の手だった。
「かんな・・。何て事を・・。」
ゆっくりと、かんなの、胸から、赤い花が咲き始めたいた。
「大翔・・。」
刺さったままの、ナイフ。あわてて、ハンカチを押し当てる俺の手の上から、かんなは、手を重ねてきた。
「早く、救急車を・・。」
携帯を手に取る俺をかんなは、制した。
「いいから・・。」
片手で、ナイフを握った。
「早く、行って。」
「ダメだ。」
「いいから。面倒な事になる。」
端に、人影が見えた。
「助けを、呼んでくる。そこに居て。」
かんなを、端に置き、俺は、人影に向かった。
「すみません!」
そう言ったつもりだった。相手が、驚く表情をしたのが、わかった。次の瞬間だった。眩しい車の、ライトが、目に突き刺さっていた。音が、聞こえた。ガシャガシャという音と、ブレーキの音。そこから、俺は、かんなのいう絵の世界に、魂毎、引き込まれていった。