呪縛・・・。その三。
かんなに逢う為に、車を走らせた俺は、ふと、あの絵を思い出していた。あれは、その後、街の図書館に寄贈されていたと聞いた。あの日以来、目にした事がなかった。自分の記憶と気持ちを確認する思いで、車を向かわせていた。
「あぁ・・。」
目にして、ため息をついていた。そのため息さえも、大きな雑音となりかねない、静寂だったが、その中に、あの日見た、絵はあった。
「紫苑・・。」
絵の下には、確かにサインがあった。赤と茶の混じった絵具の、端に、黄色く殴りつけたサイン。そう、紫苑が生前に描いたものをマネたものだ。
「これはさ・・。」
俺なんだ。上手く、気持ちを伝えられなかった。あの時、息が出来なかった。家の中にいて、自分の居場所がなかった。それでも、ここに、自分は居ると叫びたくて、気づいてほしくて、混沌とした俺の姿なんだ。ピュアな絵を描くかんなに魅かれていた。ピュアで、居たいと思っていた俺は、まだ、不完全で、人に慣れないでいる獣のようだった。孤独で、それでいて、誰かを求め、飢えていた。
「紫苑もそうだったのか?」
だから、かんなに魅かれた?秀香のように、艶やかな情熱は、紫苑と同じ濃い光に満ちている。その対極にあるものに、魅かれていた。俺も。紫苑も。そして、秀香さえも、かんなのピュアに、魅かれていたのだ・・・。だが。今は、どうなんだろう?あの雑誌の中が、かんなの真実なのだろうか?かんなは、かわってしまったのか?
「久しぶりね。」
声をかけたのは、秀香だった。時々、街で、見かける事があったが、近くで、逢うのは、初めてであった。
「大翔。少し、大人になったのね。」
「ども・・。」
恰好がつかなかった。この絵に縛られているのを気づかれたくなかった。
「どうして、ここに?」
「仕事だからね。」
秀香は、笑った。
「意外と、地味で、驚いたでしょ?こう見えても、また、下っ端。資料集めなの。」
デザインの資料集めで、よく来るらしい。
「ちゃんと、大学行ってるらしいわね。何って言ったっけ?あの女の子から、聞いていたわ。」
咲桜里の事だ。よく、くっついてきた女の子。家庭環境が似ていた。それ以上の関係を彼女は、望んでいたが、俺のは、それ以上には、なれなかった。誰とも、本気で、という事がなかった。洋服を替えるのと同じだった。一番の心の中心が無くなっていた。
「咲桜里の事。逢ってるの?」
秀香は笑った。
「可愛い子じゃない?付き合ったらいいのに。」
俺が、表情を変えないのを見ると。
「まだ、かんなの事、引きずっているの?」
答えなかった。あの日から、俺が避けているのを、秀香は知っていた。
「変な二人ね。どうして、互いに避け合うのかしら?」
「避けてるわけじゃ・・・。」
「避けてるっていうの。」
俺も、かんなを避けていた。そして、かんなも、やっぱり、避けていた。
「許せないの?」
紫苑の事。と、秀香は、言おうとして、口を閉じた。
「最初から、何も、ないんだよ。」
そうだ。かんなも、紫苑の影も、何もない。最初から、出会ってないんだ。かんなという人はいない。この世界に。かんなは、俺を通して、紫苑と逢っていた。同じ世界にいるようで、違う世界なんだ。俺の世界は、ガラス1枚向こうなんだ。
「逢わない方がいいわよ。」
秀香が、意味深に言った。
「絵を見に来たって言う事は、何かあったんでしょう?かんなに、逢うつもりなら、止めてね。」
きっぱりとしていた。
「どうして?」
「やっぱり、逢うつもりなの?」
「聞きたい事があって。」
でも。もうその答えは出てる。
「言った方がいいかしら?」
秀香は、舌を鳴らした。
「諦めるために言ったげる。」
静寂が嫌だった。
「かんな・・。ね。」
俺の気持ちを確認する?その答えになるのか・・。
「結婚するの。結婚して、海外に行くの。だから、そっとしておいて、」
「は・・。」
笑った。
「それは、良かった。」
秀香の顔が、引きつっていた。
「本当に、そう思っているの?顔が怖いけど。」
「思っているさ。」
思っていない。かなりショックだ。手が震えている。
「それなら。逢っちゃダメ。」
「ふ・・。」
判った。
「わかったよ。最初から、逢うつもりなんかないから。」
どう、出て行ったか覚えていない。でも、秀香の言った事が、ショックだった。互いに、多くの時間が、流れてしまった事を感じた。あの日から・・。紫苑の絵の呪縛に縛られ、多くの時間が流れていってしまった。俺の気持ちもいったい、どこへ消えてしまったのだろう。あの火事の日に、全て変わってしまった。もう、かんなに、逢わないほうが、いいのだろう。そう思いながら、約束の時間が、過ぎていくのが、気になって仕方がなかった。