紫苑の絵。
思うままに、描いていたと思う。自分が、感じるまま。透明になりたい。自分という存在がなくなるほど・・・。自然に。自然のままにありたい。かんなは、いつも、そう思っていた。あの絵を描いた時も、そう・・。紫苑には、笑われた。
「中途半端だな・・。」
「どうして?」
「母子像だろう?どうして、この色使いなんだ?」
「違うよ。母子像だから・・。お母さんだからなの。」
「わかんないな。母親のイメージって、温かいものだろう?」
「それは、先入観。あたしは・・。守りたいとおもうの。自然に・・。誰にも気づかれず、大切な人を、そっと。」
透明になりたい。
「だから・・。背景が、消しこんであるのか。」
「どこにでも、誰にでも、ある存在なのよ。」
親指で、そっと、白い背景を、塗りこんだ。
「あたしは・・。なんてか、自分の思いを、重ねてく。そんな感じなのかな。」
「秀香とは、全く、違うな。」
紫苑は、自分のキャンバスを、片付け始めた。
「あいつは、キャンバスにぶつける。思いをね。」
秀香をあいつと言った。かんなの胸が、チクッとした。
「ぶつけて、ぶつけて・・。キャンバスが、憎いのかってくらいな、色使いだよ。激しく誰の手にも、負えない・・。あいつ、そのものだよ。」
「それが、羨ましくも、思えるわ・・。」
かんなは、ポツリと言った。
「かんな・・。誰にも、救えない彼女を羨ましく思えるのかい?」
「そうじゃなくて・・。紫苑に、心配してもらえる秀香が、羨ましい。」
紫苑は、笑った。
「俺も、秀香が、羨ましいんだけどな。あの激しさは、裏返すと、生命力にあふれている。絵から、溢れているのは、生きて行くことの、激しさ・・。妬み嫉みを食べて生きて行くんだよ。」
強い光は、濃い影を生む・・。
「かんなも、俺も、静寂しか求めていない。」
紫苑の画風も、かんなの画風も、どこか似ていた。
「透明になりたいと思った事はないけどな・・。」
終いかけたキャンバスを、かんなに向けた。
「綺麗だろう?」
たくさんの蝶が、花々の中に群れていた。
「花なのに・・・。色がないのね。これから、染めるのかと思っていたけど。」
「かんなと同じ。透明になりたい花なんだ。」
それでも、蝶達は、群れていた。
「本人の意思と周りは、関係ないんだ。」
蝶は、美しく紫苑の繊細さを色使いが、物語っていた。
「透明になりたい?というより、俺は、終わりにしたいんだけどな。」
寂しそうに紫苑は、笑った。
「そろそろ・・。静かになりたいんだ。」
「紫苑?」
「かんな。わかってくれるよね。」
紫苑の、瞳の奥が、光なく揺れていた。
「待って!紫苑。」
思いのほか、大きな声が出た。
「紫苑!」
情けない声だ。泣きたかった。思いっきり。
「紫苑!」
声にならない叫びをあげた所で、目が覚めた。夢だった。あの日からの。思い出したくない日の一つ。
生きることを諦めた人。
「ばか。」
解けない問題。残されたかんなと秀香。描く事を辞めたかんなと描けなくなった秀香が、そこに居た。