紫苑と重なる人。
ねぇ・・。どうして、一度すれ違ったら、もう元には、戻れないの?僕の中で、誰かが問いをかけた。そうだよ。つまらない事だよ。いつも、そう思う。わかっているのに、かんなへの気持ちは、僕の中で、グシャグシャになっていた。解けない問題だよ。親に、悟られたくない。勿論、義弟にも・・。咲桜里にも。知られちゃマズイ。二度と逢えなくなるから。もしかしたら、僕は。この幼稚な感情が、恋愛だと、気づかないようにしているのかもしれない。認めたくないから・・。自分から、あの人に、好きだと、知られたくないから。幼稚な屈折した気持ちを押し殺してきた。だけど、いい争う度に、かんなと、向き合う度に、心の中で、何かが沸騰して、荒れ狂う。自分が、好きだと認めない感情が、爆発寸前に、僕の胸に逢った。かんなの事が、好きで好きでたまらない。そう気づいたのは、ずっと、後だった。この日、かんなから、珍しく、連絡があった。
「どうしたの?」
出来るだけ、僕は、ぶっきらぼうに、答えた。
「ごめんなさい。」
かんなは、何故か、謝った。
「忙しい?」
僕の、様子を気遣った。少し、嬉しい。
「いろいろ・・。ね。」
高まる感情を抑えるのが、やっとだ。
「なにか?」
僕は、聞いた。
「お願いがあるの。」
あの日の僕と同じだ。
「大翔君にしか、出来ない。」
「何?」
本当は、嬉しいんだ。
「絵を・・。どうしても、完成させたいの。来てほしいの。」
「絵を?」
あのアトリエの事だ。僕の頭に、あの部屋にいた女性の顔が浮かび上がった。
「どうして、俺なの?」
「話すと長いんだけど・・。絵を書けなくなってしまった人がいて・・。それで・・。」
それは、かんなではないの?
「あなたの事ではないの?」
「私ではないの。」
かんなは、否定した。
「でも・・。大切な人なの。彼女が、元気になってくれたら、私は嬉しい。大翔君。お願い。」
「俺は、どうすればいいの?」
自分が、どうのというより、あの人が気になった。
「あの人に、俺が必要な訳?」
僕は、鼻で笑った。
「十分、書ける人だと思うよ。あの人の絵に興味はあるけど、そこで、俺がどうのって、関係ないと思うけど。」
「そうかもしれないけど。」
かんなは、電話の向こうで、言葉に詰まっていた。
「そうなんだけど・・。彼女の支えであった人に似てるから・・。」
言ってしまってから、かんなは、後悔した。僕が息を呑んだからだ。
「似てるの?」
声が少し、震えた。その人が、時々、かんなの、みている人だと、直感で分かったから。かんなが、僕を通して誰かを観ている事に気づいていた。一番、最初の、家に来た時に、僕を見たかんなの表情が物語っていた。
「似てるんだ・・。」
かんなは、答えなかった。それが、僕には、答えに、思えた。
「ごめん。」
また、かんなは、謝った。
「・・・で。どうすればいいの?付き合えば、いいの?」
僕は笑っていた。いつでも、僕は二番目だ。
「そうじゃないの。」
付き合うの?そう聞いたら、かんなは、感情的になった。
「時々、アトリエに行ってほしいの。」
「それでいいの?」
「秀香が落ち着けばいいの。」
あの女性は、秀香といった。名前にぴったりの人だと思った。
「落ち着けば描ける・・・。そう信じているから。」
「それが、あなたの望みなら。」
「お願いできる?」
「変わりに、俺の願いも叶えてくれる?」
「何?」
「俺にも、絵を教えて?」
「絵を?意外だわ。」
「ま・・ね。俺も、そう思うけど。」
描いてみたいと思った。かんなや、あの秀香って、女性の世界を覗いてみたいと思った。
「そう・・ね。」
かんなの、中に紫苑が居た。
「描けるかもしれないわね・・。」
「描けるかも?失礼だな。」
僕は、言った。
「描けるよ。期待して。あのアトリエに行くよ。だけど、俺も描く。それで、いい?」
「いいわ。」
不思議な気持ちだった。紫苑が、そこに居るようだった。
「画材を用意して待ってる。いつでも。」
「わかった。行くよ。」
僕は、電話を切った。絵を描く。今まで、美術なんて、真面目にやった事がなかった。本当に描けるのだろうか?かんなの顔が浮かんでいた。あのかんなを描いてみよう。似てなくても、僕のイメージで。アトリエに行くというより、かんなの顔を描く事が、僕の目標になっていった。