秀香の絵。
どうしてなんだろう・・・。
気が重くなる。週末の大翔の義弟の家庭教師も、行きたくなかった。
もう、辞めてしまおうか。
大翔と、顔を合わせたくない。何があった訳でもない。何かがあったというより、何かが起きそうな気がしていた。
このまま、大翔の傍に居たら、何かが起こる。それは、かんなが、ようやく手にいれた平和は日々を壊してしまうもの。紫苑に縛られた日々から、ようやく立ち直れそうなのに。
今日は、休もう。そして、もう、別な人にしてもらおう。かんなは、そう考えていた。だから、かんなは、大翔の家には、向かわずに、アトリエに向かった。
「かんな・・。」
アトリエには、秀香がいた。
「どうしたの?」
入ってくるかんなを見て、顔をあげた。
「しばらく、来ないと思っていた。」
「いい加減、しあげないとね。」
かんなは、着ていたカーディガンを脱いて、着替え始めた。
「何となく、書けそうな気がしてるの」
悩んでいる時、よく筆を握った。今は、余計な事を考えないで、集中できそうな気がする。
「書けるの?あたしは、ダメだわ・・。」
思うように書けない。かんなが、書けそうだという言葉に嫉妬を感じた。
「ねぇ・・。かんな」
秀香は、かんなの絵もそうだが、昨日の事も気になった。
「あの子は?」
大翔の事が気になって、仕方がない。
「昨日の?」
大翔の事だ。秀香が、気に入ってしまうのは、直観的にわかった。
「家庭教師で、行ってる家の子の兄よ。」
答えたくなかったが、嘘をつくのも嫌だった。
「似てるね・・。」
ポツンと言った。
「誰に?」
はっとした。秀香に言われて、気づいた。
「それは?」
秀香が言うとしたら、一人しかいない。
「紫苑に。」
「まさか。」
かんなは、否定した。
「全然。似てなんかいやしない。」
ムキになった。
「顔も、身のこなしも・・。全然、子供よ。」
「かんな・・。」
秀香は、哀れな目で見た。
「ムキになればなるほど、似てるって、言ってるのと同じよ。」
「違う。」
かんなの、両目が、赤く滲んできた。
「あの人は、苦しめたりしないもの。」
「苦しめなかった?そんな事ないと思う」
「紫苑は、苦しめない。」
「違う。かんな。あなたは、今も、紫苑の影に苦しまされているでしょ・・。私だって、どんなに・・。」
言いかけて、はっとした。秀香は、自分の気持ちをかんなに、知られたくないのだ。
「秀香。秀香も、縛られているの?」
「・・・・そう・・。」
言いたくなかった。が、抑えていた感情が、溢れてきていた。
「勝手に、死んでいった人に、縛られてたまるものですか・・。私の気持ちなんか・・。考えもしないで。」
かんなだけに、紫苑は、本当の、自分を見せていた紫苑。それが、原因で、かんなに、嫉妬し憎んでいた。
「秀香・・。」
本当だったら、紫苑の件がなければ、一番の友達でいられたのに。紫苑は、二人の女の気持ちを置き去りにして、去って行ってしまった。自ら、生きる事を諦めた人。自分に蒔けた人・・。そして、残された自分と恋敵・・。秀香は、苦しんでいる。
「似てると思うの?」
かんなは、聞いた。
「最初、見た時から・・。感じが似ている・・。」
「そう・・。」
かんなは、着替えるのを辞めた。
「ねぇ・・。秀香。」
「何?」
「彼が居たら・・。また、書けるの?」
秀香の、行き詰ってしまった絵を見て、聞いた。自分は、筆を持てないかもしれないと思っていた。でも、秀香の方が、重症だった。絵が死んでいた。
「わからない・・。」
何度も、重ねた色は、黒々と汚泥のようだった。
「秀香の絵がまた、見たい。」
昨日の大翔もそう言っていた。
「仕上げて・・。」
「かんな?」
かんなは、携帯をつかむと、アトリエから、出ようとしていた。
「あたしは、大丈夫だから。」
かんなは、決めていた。自分は、紫苑のお蔭で、書く事がまだ、出来る。胸に焼き付いている紫苑がささやいてくれる。秀香は、もう、昔のような鮮やかさを失いつつあった。紫苑の愛した秀香の絵。数々の賞をとり、秀香は輝いていた。その絵を、また見る事ができるなら・・。
「また・・。書いてくれる?」
そう、かんなは、言って携帯をかけに行った。