表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/51

ニアミス。

嫌な気分だった。かんなを頼りにして、勝手に呼び出し、傷つけて返してしまった。お礼をいう事はあっても、傷つける理由はない。つい、おばさんと言ってしまったのは、母親に疑われるのが嫌だったせいと言っても、傷付けた事にかわりはなかった。

「はぁ・・。」

授業に、身が入らなかった。かんなの事が気になってしまって、仕方がない。今日は、かんながくる日ではない。家庭教師として、入る日まで、まだ、日があった。

「はぁ・・。」

どんどん。気が重くなる。気遣って、咲桜里が、何回か、顔を出しにきたが、気持ちは飛んでいた。今の自分に、咲桜里は、疎ましいだけだった。かんなの大学へは、電車で、駅3つの所にある。今から言って、逢えるだろうか?そういえば、かんなは、絵を書くと言っていた。かんなに逢えないとしても、かんなのアトリエに顔をだし、こっそり、かんなの絵を見るのも、いいのではないか・・。頭は、目まぐるしく回っていた。

「何、悩んでんだよ・・。」

隣が、話しかけてきた。

「いや・・。もう、悩んでない。」

大翔は、答えた。ふっきれた。

「ちょっと、俺。帰るわ。」

「何で?」

「急用。」

かんなに逢いたい。逢って、謝りたい。本当は、そんな事思っていないって。かんなに逢えなくても、一度でいい。かんなの絵をみてみたい。そう思ったら、体が動いていた。教室を飛び出し、靴を履きかえるのも、もどかしく、外へ飛び出していた。今なら、すぐの電車がある。大翔の心は、跳んでいた。

         *         *         *

キャンパスの隅っこに、そのアトリエはあった。古い杉の木立がうっそうと茂り、怪しげな雰囲気を醸し出していた。校舎自体は、陽に光を浴びて、明るいのに、アトリエは、木立の陰にあるせいか、じめっとして、そこだけ、別世界のようだった。空気までもが、油絵の具の染み込んだ思い香りがしていた。

「なかなか・・。上手くいかない。」

そこに、居たのは、かんなではなく、秀香の姿だった。思うように、筆が運ばない。もともと、勝気の秀香は、妥協を許さず、時として、自分自身を苦しめる結果となる事が多かった。

「全然・・。ダメ。」

かんなにああ言った手前、自分は、完成させなければならない。なのに、納得した色が出せない。イメージが湧かないのであった。秀香の絵は、南国を思わせる花々と、働く女たちの絵であった。黄色とオレンジがあふれんばかりの色彩を華っていた。が、その色使いは、華やかであるのに、透明感がなかった。ただ、色を重ねているだけで、秀香の持つ、生命力に溢れた画風とは、離れていた。

「どうしたら、いいの。」

働く女たちの顔も、ただの、無表情にしか、見えない。かんなの絵が、完成できない事を言ったげ、かんなの絵は、ある意味、完成している。書きかけではあるが、表現力は十分あった。秀香の絵が夏なら、かんなの絵は、春の日差しのようだった。

「これ以上、かさねても・・。」

かんなが、うらやましい。透明感のある画風。自分は、かんなに負けている。自分は、かんなになれない。あの繊細さは、自分には、ない。

「もう、あきらめよう。」

あきらめるって?絵の事?それと・・。

書いてしまった絵を、破いてしまおうか。そう、手をかけようとした時、正面のドアが開いた。

「かんな?」

やっと、続ける気になったんだ。顔をあげても、ちょうど、逆光になっていて、よく、見えなかった。でも、背格好が、かんなのものではない事を物語っていた。

「誰?」

「あの・・。」

おずおずと、室内に入ってきた。ドアが閉まって、そのシルエットが、秀香の知っている誰でもない事がわかった。

「ここの人ではないようね・・。」

「すみません。」

静かにお辞儀し、あげた顔を見て、秀香は、筆をとめた。

「あなたは?」

何処かで、見たような気がした。顔だろうか?いや・・。この雰囲気。空気だ。入ってきた彼の顔は、今まで、見た事はなかった。だが・・。この、彼の周りの空気が、遠い記憶を呼び覚ました。

「紫苑?」

まさか・・。全然違う。紫苑の洗練されたラインとは、まだ、違う。まだ、粗雑で、未熟な若い男。それでも、何故か、ゆっくりと、あたりを見渡す彼の横顔と紫苑の横顔が重なった。

「ここの人では、ないみたいだけど・・。」

「ちょっと、知り合いを探して・・。迷ってしまったようです。」

男は、ふっと、笑みを浮かべた。少しだけ、前歯が、大きく目立って見える。

「絵を書いているんですか?」

興味深そうに、秀香を覗き込んだ。

「見せてもらっていいですか?」

「どうぞ。」

無関心を装い、秀香は、少し離れた。

「わぁ・・。」

男は、秀香の絵に感嘆の声をあげた。

「綺麗だ。」

何度も、何度も、秀香の絵を、覗き込む。

「どのくらい・・。書くのに、かかるんですか。」

「気分によるみたい。」

「気分に?」

初対面なのに、秀香は、会話をしてしまった事を恥じた。

「まだ・・。子供みたいだけど。何処から、きたの?」

子供と言われて、男は、むっとした。

「そんなに、変わらないですよ。俺。」

「まだ、高校生でしょ。」

秀香は、自分の絵を、傍に引き寄せた。

「これ・・。本当にお姉さんが書いたの?」

「そうだけど。」

むっとしながら、答えた。

「初対面なのに、失礼ね。」

「すみません。あんまり、絵が綺麗だったから。」

「お世辞はよして。」

初めて会った男に、いろいろ言われて気分は、悪くなりつつあったが、綺麗との一言で、少し、機嫌がよくなった。しかし、秀香は、素直になれない。

「上手く、いかなくて、悩んでいたの。もう、やめるわ。だから、あなたも、帰って。」

「この絵は・・。あなたみたいだ。」

「何言ってるのか、わからないわ。」

「何ていうか・・。華やかなのに、寂しそうだ。」

男は、秀香の顔を見た。灰色の大きな瞳が、秀香の真近にあった。

「寂しい?私が?」

笑い飛ばしてやる。秀香は、思った。

「そう・・。言われませんか?」

男にそう言われて、秀香は、反論できなくなった。

「そう・・。」

前にも、言われた事がある。忘れもしない人。強がって、忘れたと言っても、心に染みついた人。

「あるかもね・・。」

秀香は、自分の絵を棚に押し込んだ。

「もう、書かないんですか?」

終おうとする秀香に、男は言った。

「後、少しなのに。」

「書けないの。どうしたら、いいか。わからないの。」

ため息が出た。

「なんか、もう限界なんだと思う。」

「限界?」

「もう少ししたら、書いてみるわ。あなたも、帰ったら?」

男は、じっと、秀香を見ていた。

「また・・。来ても、いいですか?」

「え?」

「この絵の続き・・。みてみたいから。」

「いつ書くか、わからないわよ。」

「だったら、時々・・。」

男は、秀香の書く絵の続きが見たいと思った。

「誰かが、見たいと言ったら書く気がおこるかもしれないでしょ。」

「・・・」

秀香は、はっとして、男の顔をみた。

「あなたは?」

その時、部屋に入ってきた姿があった。かんなだった。

「かんな?」

男は、ふりかえった。

「大翔君・・。」

どうしてといった顔だった。

「あなた達、知り合いなの?」

秀香の胸に、チリっと、焦げたものがあった。

「いいえ・・。」

そういって、大翔と呼ばれた男は、部屋を出て行こうとした。

「どうして・・。そうなの?」

かんなは、声をあげた。

「用があったから、来たのよね?どうして、肝心な事から、逃げるの?」

大翔は、振り返らなかった。

「かんな。彼は?」

見ていた秀香が、声をかけた。

「ただの・・。知り合い。」

「知り合い?」

「そう。」

かんなの答えに、秀香の心は、揺れていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ