例えばそれはよくある話で
まぁ、よくある話だ。
毎年3万人以上が自殺するとかいう、この国で俺もその一人になるだけだったんだ。
切欠も世相を反映したありがちなもんだ。
元々業績の良くなかったところに不況の煽り。
あっというまに倒産、無職。
親もツテも無く、別に何か特別な資格も資質もない俺は結局、今ここに至るまで働き口を見つけられないままだった。
学生時代の友達も、元の会社の同僚も自分の事で精一杯で俺を助ける余裕があるわけでもなし。
貯金も希望も尽き果てたとこで、自殺という発想に行き着くのは、まぁ、特別な事でも何でもないと思う。
誰が読むかもわからない、世の中や自分への恨みと愚痴を書き連ねた遺書を手に、目に付いた高層マンションの屋上を目指したのは、暑さがようやくやわらいだある秋の日の事だった。
◇
まぁ、よくある話よ。
テレビか何かでは、毎年3万人ぐらい自殺するとか言ってたし。
わたしもその中の一人になるだけ。
理由は、まぁよくあること、かな。
クラスメイトとのちょっとしたケンカ。ほんの些細な事が原因だったけど、それがイジメにつながったのはその子がクラスの中心にいたから、だと思う。
わたしは、クラスの中心でがんばってる子に難癖付けるイヤな奴、と一方的にみなされて、皆からシカトされ、嫌がらせを受けた。
親はイジメを受けた事もした事も無い人たちで、わたしが何故そんな状況に陥ってるのかをまったく理解してくれなかった。
意地になって登校して耐えてきたけど、誰も助けてくれない、誰も理解してくれないのに疲れて、わたしは自殺を決意した。
親やクラスメイトが読むかもわからない遺書を手に、目に付いた高層マンションの屋上を目指したのは、暑さがようやくやわらいだある秋の日の事だった。
◇
「「あっ・・・」」
屋上への扉を開いた時の第一声がこれだ。
まさか先客がいるとは思ってもみなかった。まぁ、扉に鍵がかかっていない時点で誰かがいるかもってのは予想できそうなもんだが、それは今になって思える事であって、階段をゆっくり登っていた俺はただ飛び降りる事しか考えていなかったのだ。
先客はセーラー服姿の女子高生だった。もしかしたら女子中学生かもしれないが、よくわからない。同じように驚いた顔をしてるのは俺と同じで誰かが来るなんて想像もしてなかったんだろう。
手に持った、封筒には遺書の文字。
どーやら、俺と同じ目的のようだった。
◇
ニブイ音を立てて背後の扉が開く。
びっくりして振り向いたわたしの目の前には、ちょっとよれよれになったスーツを着た男の人が立っていた。わたしの口からは自然と驚きの声が出ていた。それは向こうも同じようだった。
たぶん、先客がいるとは思わなくてびっくりしたんだろう。目を丸くして口をぽかんと開けたままだ。
扉に鍵はかけていなかったから、後から誰かが来るかもしれないっていうのは今になって思いついた事で、エレベーターに乗っている時はただ飛び降りる事以外の事は思い浮かばなかった。
手にした紙には遺書の二文字。
どーやら、わたしと同じ目的のようだった。
◇
気まずい沈黙だ。
さっきから、俺は扉のそばに立ち尽くしたままだ。
目の前にいる女子高生もまったく動かずにいる。顔を俯けてはいるが、こちらの動きを気にしてるのはわかる。
俺も相手の動きを気にしている。
別に何の気兼ねもせずに飛び降りればいいのだろうが、同じように死のうとしている人間がいる、と意識すると正直やりにくい。
なら、相手が先に飛び降りてくれればいいかというと、それも問題がある気がする。
同じように自殺に至った人間同士だ。たぶん事情があるはずだ。今更止めようとは思わないけど、先にやられてしまうと、その後で飛び込むというのは躊躇するだろう。もしかしたら挫けてしまうかもしれない。
元々、自殺するような弱い性格なのだ。血まみれの飛び降り死体なんか見たら、振り絞った勇気が粉々に砕けてしまいかねない。
どうしたものか?
◇
耳鳴りがするくらいの静けさ。
男の人はこちらを見たまま、じっと動かないでいる。
わたしは目を合わせるのがイヤで顔を伏せているけど、相手の足元の方にちらちらと視線をやっては様子を確認していた。
ここまで来た以上は、無視して飛び降りてしまえばいいのだけど、それが出来るくらいなら最初から躊躇なんてしてない。
でも、男の人の方が先に飛び降りてしまうのもイヤだった。
自殺するにしてもようやく決意したのに、先に飛び降りられて、血まみれの死体なんか見てしまったら、たぶん、わたしはその場に座り込んで動けなくなってしまう。
生き続けるのにはもう疲れてしまった。でも、この状況では自殺しづらい。
どうしよう?
◇
どれくらい時間がたっただろう?
1分かもしれないし、10分かもしれない。一時間も突っ立っているとは思わないが、時間の感覚が麻痺してよくわからない。
俺も女子高生もその場から一歩も動かないままだった。
立ち去るべきだろうか?
でも、立ち去ったらせっかく自殺しようとした決意が鈍ってしまいそうだ。もう、疲れたのに、希望なんてないのに。
◇
ここに来て、何分ぐらい過ぎただろう?
10秒もたってないのかもしれないし、1分ぐらいかもしれない。もっと短い一瞬の間なんて事はありえないだろうけど、時間の感覚が麻痺してよくわからない。
わたしも男の人もその場から一歩も動けずにいた。
立ち去るべきなのかな・・・
でも、自殺を諦めて、同じように死のうと決意したであろう男の人の横を通り抜けてここを立ち去るのは、なんだか怖くて、申し訳なくて、わたしは何も出来ないままだった。
◇
カァー
◇
沈黙の中に割り込んできた鳴き声。
滑稽なくらいにびくりとしながら、鳴き声の方を向くと一匹のカラスがいた。
正体がわかった瞬間にホッとする。我ながら臆病者だと思う。自殺を決意した人間がカラスの鳴き声なんぞにびくついているとは。
緊張が解けた体は生理的欲求に従って、シグナルを出す。
つまりは腹が鳴ったのだ。空腹を示すサインとして。
◇
音の無い世界に飛び込んできた、異様な鳴き声。
わたしは突然の音にパニックになりかけながらも、恐る恐る顔を上げて正体を確認する。カラスだった。
ただのカラスだ。緊張と恐怖でガチガチになっていた体から思わず力が抜ける。情けないなぁ、自殺しようって思った時は何も感じなかったのに。
座り込んだわたしのお腹から場違いな音が響く。
空腹を示すサインは、お世辞にも女の子らしい可愛さとは無縁だった。
◆
二つの腹の虫が奇妙なコーラスを奏でる。
沈黙は一瞬。
やがて、二人の口からは笑い声が流れ始める。
何がおかしいのかというくらいに大笑いし続ける二人。
いつの間にか二人のいる屋上は夕日に照らされてオレンジに染まっていた。
◇
大笑いしたら、自殺する意欲は消えうせていた。
もちろんこれが一時的なものなのはわかっている。何故なら職も貯金も無い現実は何も変わっていないからだ。
でも、今日はとりあえず死ぬのをやめてみた。明日になればどーなるかわからないけど。今はそーいう気分じゃ無くなったのだ。
腹減ったな、ラーメンでも食うかな?
この女子高生は、ラーメン食うだろうか?
◇
呆れるくらい単純だけど、大笑いしたら気分がスッキリした。
イジメがあるのは変わらないし、仮に明日も学校へ行けば陰険な嫌がらせが始まるのは確実だろう。
でも、今日はとりあえず死ぬのをやめてみた。明日になればどーなるかわからないけど。今はそーいう気分じゃ無くなったのだ。
お腹空いたなぁ、なんか食べようかな?
この男の人は、これからどーするんだろう?
◆
新装開店のラーメン屋「宿縁亭」の最初の客は奇妙な組み合わせの男女だった。
男性の方は30前後のスーツ姿のサラリーマン風で女性の方はセーラー服を着た女子高生っぽい感じだった。
主人は無愛想に注文を聞くと、早速調理に取り掛かる。
その間、二人の客の間には会話は無く沈黙だけが満ちていた。
ドンブリをスープで満たし、茹で立ての麺を入れ、ねぎ、チャーシュー、メンマ、焼き海苔、半分に切ったゆで卵を添える。
二つのドンブリが客の前に行き渡ると、二人は声を揃えていただきます、と言った。そして何がおかしいのか噴出すように笑い始める。
主人はそれを聞き流しながら、ふと気まぐれを起こしてみる。
最初の客なのだ、サービスぐらいしてもいいだろう。
冷蔵庫から予め作っておいた餃子を取り出し、焼き始める。
二人の客は何かぽつぽつと話し始めたようだが、鉄板から放たれる音がそれをかき消してしまい、主人の耳には届かない。
焼きあがった餃子を二人の前に置くと、主人は無愛想にサービスだと伝えた。
◇
人生万事塞翁が馬、ということわざがある。
まぁ、人生何があるかわからないって事の例えだ。
自殺を決意した日から半年がたった。
俺はあの日にたまたま入ったラーメン屋で働かせてもらっている。
給料は安いし、こき使われるし、毎日遅くまで働かなきゃいけないし、だが。やり甲斐は感じている。
あの女子高生とは、ラーメンを食べた後、そのまま別れた。名前も聞いていない。連絡先を聞こうにも、その時は携帯は止められていたし。
今でもたまに思い出す。また、どっかで会えるのだろうか?
◇
人生はチョコレートの箱みたいなものだ。
昔、何かの映画の中で出てきたセリフだった気がする。要は何が起きてもおかしくないって意味だったと思う。
自殺を決意した日から半年が過ぎていた。
わたしは結局、今の学校を辞めて別の学校に通う事にした。逃げなのかもしれないけど、耐え切れないなら環境を変えてしまおうという逆転の発想だ。
転入試験の勉強とか新しい学校に慣れるまでは大変だったけど、あの日の事は忘れた事が無かった、と思う。
結局、連絡先も名前も聞けないままにお別れしてしまった。
あの人は、今はどこで何をしているのだろう?
◇
そこに行ってみようと思ったのは、ほんの気まぐれだった。
仕事が忙しくてまったく気にしていなかったが、あの時に飛び降りようとした高層マンションは今の職場からそう遠くない所にある。
久々の休みをもらった時に何をしようかと考えていて、あのマンションが目に入ったのだ。
今の俺が屋上に立ったら、何を思うのか、そんな事を考えながらエレベーターに乗り込み、最上階のボタンを押した。
◇
偶然見かけたから登ってみようと思った、ただそれだけ。
たまたま見た雑誌で紹介されていた小物屋さんの近くに、あの時に飛び降りようとした高層マンションがあったのだ。
時間はたっぷりあったし、目的のものも買った後だったから、階段を使って登ってみる事にした。ダイエットにもなるだろうしね。
今のわたしがそこに立ったら、どんな事を感じるのだろう?
ゆっくりゆっくりと階段を登っていく。
◇
当たり前の事だが、屋上には転落防止用のフェンスが張り巡らされている。
当時の俺はそんな事にも気づかなかったくらいにテンパってたらしい。
思わず苦笑いしながら、辺りを見回す。
悪くない風景だと思う。
そう思った時、背後からニブイ音が響くのがわかった。
とっさに振り向く。
◇
階段登るの、って、大変、だ・・・
高層マンションの階段をわたしは甘く見ていた。体力無いなぁ、と思い知らされた。ダイエットの目的は達成できるかもしれない。
やっとの思いでたどり着いた、最上階。
疲れた体全体で押すようにして扉を開く。
晴れた空とまぶしい光が目に飛び込んできて・・・
◆
「「あっ・・・」」
◆
しばしの沈黙。
半年前と似たような光景が二人の目の前にあった。
違いは立ち位置が逆である事、二人とも私服である事ぐらいか。
男が目線を泳がせる。そして、まっすぐに少女を見つめる。
少女が一瞬目線を伏せた後、まっすぐに男を見つめる。
「ひ、ひしゃしぶり」
「ご、ごぶしゃた、しています」
互いの挨拶は噛み噛みの途切れ途切れ。
そして奇妙な沈黙。
やがて、どちらからともなく噴出すように笑い始め・・・
「改めて自己紹介します。わたしの名前は・・・」
「名乗り忘れてたけど、俺の名前は・・・」
二時間弱で書き上げましたが、予想より長くなりました。
たいしたお話ではございませんが、読んでいただけたら幸いです。