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7/19

第7話 月夜の出来事は予想外

 夜八時半。

その日の撮影はすべて終了していた。

メインキャストは、最終確認の打ち合わせがあるらしく、

リカとカイトがスタッフに館内放送で呼び出されていた。


 その直後だった。

ペットボトルを開けたまま、こちらへ駆けてくるリカと、

部屋から出たばかりの私が、真正面からぶつかった。

――バシャッ。

冷たい水が、腰から下に一気にかかる。

「……あ」

私はスカートもレギンスも、完全に水浸しになっていた。

「ごめんね!でも、どうしよう。

 打ち合わせで水なくなると困るぅ」

そう言って、リカはそのまま立ち去ろうとした。

「ちょっと待って!うちにあるやつ持ってって」

反射的に、私は部屋に支給されていた

未開封のミネラルウォーターを全部差し出していた。

「助かる!」

それだけ言って、彼女は行ってしまった。


……あ。

隣のマネージャーの部屋へ行くと、

パソコンや手帳を机いっぱいに広げ、電話会議中だった。

彼女は口パクで聞いてきた。

--どうしたの?

「ごめん、大丈夫!!」

そっと扉を閉め、コンビニへ行くことだけ、メッセージで報告した。

(水は一人で買いに行かなきゃ)

そして、水浸しの服を着替えようとバッグを開けて、

私はそこで初めて異変に気づいた。

下着を入れていたポーチだけが、

どこを探しても見当たらない。

(絶対ここに入れたはずなのに……)

幸い、ブラジャーやキャミソールなど上半分は

衣装と一緒に別にしまっていた。


でも、ショーツがない。

ホテル内の売店は、すでに閉店。

フロントに聞くと、歩いて五分ほどの場所に

一軒だけコンビニがあるという。

――行くしかない。防犯のため、特大スウェットセットアップを着た。

さらに八センチの厚底スニーカーを履く。

キャップの上からパーカーも被ってメガネとマスクもする。

完全に少し怪しげな男性の出来上がりだった。

そのままホテルを出て、海岸沿いの道を歩き始めた。


そこへ一台の車が、私の前を通り過ぎ――

数メートル先で、止まった。

「ユキさーん!」

窓から顔を出したのは、シン君だった。

「……シンさん!?」

「コンビニですか?

 危ないから、乗ってください」

「い、いいんですか? ありがとうございます!」

車に乗り込むと、

ほっとしたのと同時に、胸が少し高鳴った。


シン君の運転席のすぐ隣。最高の眺めだった。

(推し仲間のみんな、ごめんね)

思わず心の中で手を合わせる。

「こんな時間に、田舎町を一人で歩くのは危ないですよ」

「この格好だと、いつもは男の人に間違われるので大丈夫かと……」

「俺はすぐユキさんだって分かりましたけど」

「……ほんとですか?」

それだけで、心臓が跳ねた。

車に乗ると

--すぐに、コンビニの看板が見えてきた。


(あ……やばい!シン君がいたら、下着、買えない!!)

店内に入ると、

私はさりげなく彼と別方向へ動いた。

カゴに、水やお菓子を次々と放り込み、

その隙間に、こっそりショーツを二枚忍ばせる。

セルフレジを探すが、見当たらない。

仕方なく、レジへ向かったそのとき。


背後に、気配。

シン君が温かいノンカフェインコーヒーを二つ持ち、

カードを差し出していた。

「よかったら、一息入れない?

 全部、僕が払うよ」

「い、いいです!

 私、買いすぎてて……!」

必死に視界を遮ろうとした、その時。

店員のお婆さんの手に――

ショーツ。

「あら、お客さん。

 パンツは別の紙袋に入れようかねぇ?」

「わ、わわわ!

 大丈夫です……!」

横で、まんまるに目を見開くシン君。


さらに、お婆さんは追い打ちをかけた。

「こんな地味なシマシマパンツじゃ彼女に怒られないかねー?

 若いんだから、次はもっと可愛いのにしてあげなさいねぇ」

「……そ、そうですね……」

必死に目を逸らす私の横で、

シン君が、肩を震わせている。

「……プッ、ふふ……

 シマシマって……」

(どうして、こういう時だけーー!?)

悔しさに唇を噛んでいると、

ふと彼と目が合ってしまった。

シン君はついに堪えきれず、大笑いした。


二人で車に戻る時、

彼は何も言わず、私の荷物を持ってくれた。

その優しさが逆に恥ずかしくて、

私は最後まで顔を上げられなかった。

助手席に座っても、俯いたままの私に、

彼が柔らかく声をかけてくる。

「そんな、大丈夫だから。

 恥ずかしがらなくても」

「……いつも、変なところばっかり見られちゃって……」

「プハハハハ!!」

突然、彼が声を上げて笑い出した。

(……ひどい)

本気で落ち込んでいるのに、

シン君にはいつも“面白い出来事”にしか見えていないのだろう。


「ごめん、笑いすぎて……」

ハンドルを握ったまま、

彼は少し照れたように続けた。

「でもさ……俺、ユキさんといる時が、

 人生で一番楽しいんだよね」

「……え?」

「フハハハ!ほんとおかしくって!

 こんなこと、俺の日常にはないもん」

――確かに。

MUSEの配信やライブでも、

彼がこんなふうに声を上げて笑う姿は、ほとんど見たことがない。

「俺の周りって、全部きれいに整いすぎてるから。

 でもユキさんは、色んなことが起こるでしょ?

 一緒にいると、自分の悩みとかどうでもよくなる」

思わず、彼の横顔を見つめてしまった。

「だってさ、ふふふ。下着忘れてきたの?

 こっそり買ってるところまで見つかっちゃって……」

まだ笑っている彼を、じっと見つめていると、

その視線に気づいたのか、


シン君はふっと静かになった。

「……ごめん。また笑って」

「いえ……実は、下着を入れたはずのポーチごとが見つからなくて」

「え?!」

さっきまでとは打って変わって、彼の声が真剣になる。

「まさか、盗まれたとかじゃないよね?

 それだったら、かなり心配だけど」

「明後日、家に帰ったらちゃんと探してみます」

「うん。何かあったら、すぐ言ってね」

一瞬だけ、こちらを見る彼の表情が、

はっきりと“心配”の色を帯びていた。


すぐにホテルへ車が到着した。

「ありがとうございました!」

シートベルトに手をかけると、彼はこちらに首を傾けた。

「俺の部屋、

 海がすごく綺麗に見えて広いんだけど……

 ちょっとお茶していかない?」

言い終わるより先に、彼は慌てて付け足した。

「――あ、ごめん。

 不謹慎だと思ったら、全然断っていいから」

ホルダーのノンカフェインコーヒーが目に入る。

さっき一息入れない?て聞かれてたんだった。

私は笑顔で頷いた。

「はい!」


少し親しい友人のように誘ってくれたことが

実はすごく嬉しかった。

普段なら、男の人の部屋には絶対ついていかない。

(でも、シン君が、危ないことする人じゃないのは分かってる。

 むしろ、シン君と私の場合、私の方が襲う側だろうし――)

最上階のスイートルームに着くと、

シン君はドアを閉めず、開けたままにしてくれた。

さらに、ホテルの夜勤スタッフを呼び、

扉付近で警護をお願いした。

シンの紳士的な配慮に安心し、私は彼の部屋へ招かれた。


-------


全面ガラス張りの窓の向こうには、

宝石を散りばめたような夜の海が広がっている。

「……わあ。綺麗……!」

思わず声が漏れる。

「よかった」

そう言って微笑むシン君の横顔も、

どこか現実離れして見えた。


私はソファに、彼はサイドの椅子に腰掛けた。

カップをゆっくり口に運ぶ。

「……この景色、毎日見たいくらいですね」

「こういうの、好きそうだもんね。明日も来る?」

「はい!私の部屋、階が低くて……

 ここまで全部は見えなかったので嬉しいです」

「そっか」

夢の中みたいだった。

美しい夜景とすぐ隣にいるシン君。

すべてが、光をまとっている。

言葉はいらなかった。


二人でただ、夜空を眺める。

「……さそり座も見えますね」

「おお、よく知ってるね!」

(危ない……シン君の作った曲、

 『アンタレス』が好きだから、なんて言いそうになった)

あの歌に出会ってから、

夜空を見上げるのが好きになった。

(ありがとう)

心の中でそう呟きながら、

そっとシン君を見上げる。

飲み物を飲み終え、

「では……」と立ち上がると、

「そうだ」

シン君が奥から紙袋を三つ持ってきた。


「お友達の分、ちょうどいい名刺入れがあって」

(MUSEがアンバサダーしてるブランド……!)

「……こんなにすごいものを?」

「君の分も。三人の友情の記念品に」

「えっ……!私はそのお返しをどうすれば……?」

私の言葉に、

彼は少し意地悪そうに笑った。

「……じゃあ、考えとく」

「ええっ!?」

「ふふ。五円玉にしようかな」

「それはさすがに申し訳ないです!」

(……ちゃんと、覚えててくれてるんだ)

「お土産もあるし。荷物、重くなるね」

「大丈夫です」

「部屋まで送るよ」

そう言って、

彼はホテルスタッフを帰し、

荷物を持って三階まで一緒に来てくれた。


申し訳ない気持ちと、

この特別な時間を大切にしたい気持ち。

その曖昧な境界線を、

私はどこか楽しんでしまっていた。

部屋に入って、荷物を下ろした。

「それはここにお願いします」

シン君の方を振り向こうとした瞬間――


「わあああ!!」

背後で、シン君の大きな声が響いた。

振り向いた先にあったのは、

(……私のばか!!最悪だ!!)

ホテルの部屋に、堂々と干された水浸しの服と――

パンツ。

大慌てで手で隠す。

でも、それを目撃してしまったシン君も大慌てだった。

「えっ……!?

 もしかして……ずっとノーパンだった?!」

驚いた表情でこちらに振り返る。


「ちょっ、見ないでください!!」

首まで真っ赤になったシン君は、顔を手で隠した。

「ごめん!!

 ほんとに、ほんっとにごめん!!」

そう叫ぶと、彼は逃げるように部屋を飛び出していった。

ドアが閉まった瞬間、私はその場にへたり込んだ。

(……いい感じだったのに、どうして。

 シン君の前だとあり得ないことやらかしちゃう……)

恥ずかしさに耐えきれず、

ベッドの枕にわーんと泣きついた。



Side Episode――スイートルームの夜明け


「……おい、シン!

 なんだ?眠れたのか? もう七時だけど……」

マネージャーの大きな声に、シンはゆっくりと目を開けた。

「……ん……え……」

「布団はどうしたんだよ!風邪引くだろ!」

「なんでソファの変なとこで寝てんだ。

 足、すごいはみ出してるぞ」

メイクさんにまで呆れられ、無理やり起こされる。


ぼんやりした頭で、昨夜のことを思い出した。

部屋に戻って鏡を見たとき、

自分の顔が、今まで見たことのないほど

真っ赤だった。

「……ずっと、だったのかな」

彼女が必死に隠していたもの。

そして、シマシマの入った袋。

思い出すたびに、

おかしくて、笑いが止まらなかった。


結局ベッドに入る気になれず、

彼女が座っていたソファの位置で、

大笑いしたまま横になった。

楽しい気持ちと多幸感で

思わずソファに頬ずりをして抱きしめる。

そのまま、

彼女の温もりに包まれたような気持ちになって

深い眠りに落ちていた。


「……幸せな夢、見てたのに」

シンはまだうつ伏せで微笑んだまま、

大きく伸びをして、その余韻を噛み締めた。


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