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第4話 奇跡の化学反応

 顔合わせの台本読み初日。

大女優達がセットに踏み入れる時の

わずかな背筋の伸ばし方を思い出す。

私もその真似をして、大会議室へ踏み入れた。

すると、背後から聞き覚えのある声。


「お久しぶり!飯島ユキさん」

振り向いた瞬間、時間が止まった。

ふわりと香る、ブラックベリー。

黒いジャケットの袖を無造作にまくり上げ、

シン君が少し照れたように笑って立っていた。

細い瞳、真っ白な肌。

漆黒に戻っていた髪は、少し長めで、

S字のカーブを描く前髪が色気を添えている。


——本物だ。

「シンさん……覚えて、いてくれたんですか?」

声が、かすれる。

「もちろん。あの時、助けてくれたから」

倉庫で出会った、あの夜。

たった一瞬の出来事だったはずなのに、

その記憶が、ふたりの間に静かに蘇った。

「その後ね。

 おかっぱの女優さんが出てきて。

 君だったから」

アドバイスのことまで、覚えていてくれた。

「はい……!

 あの時の助言、本当にありがとうございました。

 おかげで、少しずつ役をいただけるようになりました」

二年間分の感謝を、全部込めて頭を下げる。


「君の実力だよ」

そう言って、彼はにっこり笑った。

「それに、すごく綺麗で似合ってる」

「ありがとうございます!

 シンさんはいつも女神様のようにお美しいです!」

一瞬、私が変なことを言ったかのように、時が止まる。シン君は驚いたように目を丸くしていた。

「えー?……あははは!普段そんなこと言われないよ。

 俺はビジュアル担当じゃないし……でも、ありがとう」

シン君は大笑いしながら、こちらへ首を傾けた。


画面の中では、いつもクールで近寄りがたい存在なのに。

前に会った時と同じ笑顔だった。

——夢じゃない。

現実だ。

そのまま、しばらく見惚れてしまった。


 ほどなくして、主演の西村リカと川北カイトが入ってくる。

さすがに、今日は大人しくしてくれるだろう。

そう思っていた私が、甘かった。

「今回、ご一緒できて光栄です」

そう切り出した、その直後。

「あなたが選ばれるなんて、びっくりしましたぁ」

リカが、甘ったるい声で笑う。

「この役って、すっごく清純派の癒し系カウンセラーだと思ってたんで。

 おかっぱの飯島さんだと……なんだかホラー映画みたいで、怖いですぅ」

——初顔合わせで、これ。

会議室の空気が一瞬、凍る。

監督やスタッフの視線が、気まずそうに泳いだ。


言葉が、出なかった。

そのとき。

「——あなた、主演女優の方ですよね?」

後ろから、低く澄んだ声が響いた。

シン君だった。

「脚本、すべてお読みになりましたか?」

「……え?」

「この物語が、重くなりすぎず、

 心がふっと軽くなる仕上がりになっている理由、知らないんですか?」

彼はこちらを一瞬見て、続けた。

「このおかっぱカウンセラーが、

 完全なお笑い担当だからですよ」

「……?」


一瞬、沈黙。


けれど、私に向けられた彼の瞳は、

今にも笑い出しそうなほど、優しく細められていた。

「主演お二人の辛い恋も、

 変わったツンデレキャラの彼女が

 道化師のように賑やかしになることで、観る人の心が癒される。

 そういう構造の物語でしょう?」

「シン君!!

 さすが、分かってくれてる!」

監督の声が弾み、

緊張していた空気が、一気にほどけた。

「すみません……勉強不足でした。

 でも……道化師って……」

戸惑うリカに、シン君が静かに問いかける。

「この人に、似合わないと思います?」

全員の視線が、同時に私に集まる。

「こんなおかしい人、いないですよ」

彼は、笑いをこらえるように言った。


「……」


一瞬、全員がぽかんとしたあと、

国民的アイドルの一言に逆らえず、

会議室は笑いに包まれた。

(お笑い担当か……)

最近まで、謎めいた役、不思議ちゃん、悪女。

そんな役ばかりだったのに。

でも、不思議と嫌じゃなかった。


「さあ、はじめよう!」

監督の掛け声で、全員が席につく。

台本をめくる音が、一斉に重なる。

隣に座ったシン君の横顔。

少し目にかかる、黒い髪。

——この人が、私の相手役?

そう思った瞬間、

足の震えが、止まらなくなった。

夢が、

今まさに——現実になろうとしていた。


――――――


 一週間後。

他のキャストによる一話目の撮影が、ほぼ終わった頃。

最後に現場入りしたのは、多忙なシン君だった。

彼が足を踏み入れた瞬間、

スタジオの空気が、ふっと変わった。

光が差した、という表現が一番近い。

(……来た)

それだけで胸が高鳴る。

舞台は、古い診療所の子供用待合室。

事故で右手を負傷し、包帯を巻いた天才ピアニストの陸。

入院中に、もう二度と以前のように弾けないと宣告され、

絶望の底に沈んでいた。

だが、待合室にあったピアノを見て、思わず手を伸ばすシーン。

そんな彼を見かける、カウンセラー凛子。

——今日の撮影は、ここからだった。


撮影開始前。

リカが取り巻きと、小声で話しているのが聞こえた。

「サブカップル自体、いるのか不思議」

「どうせみんな、私とカイト君の恋が見たいんだから」

私は聞こえないふりをして、台本をぎゅっと握る。

深く、息を吸った。

シン君は古いピアノの前に座り、

静かに、左手だけで鍵盤の感触を確かめている。

「——本番。ハイ、スタート!」

包帯を巻いた右手が、小さく震える。

陸は、人差し指一本で、

鍵盤を——ひとつだけ、叩いた。

ぽつん、と鳴る音。

「……終わった」


彼は、痛む右手を無理やり鍵盤に打ちつける。

あまりに、悲痛な横顔。

スタッフが息を呑んだ、その瞬間。

凛子は、思いきり真剣な顔で、彼に詰め寄った。

「……つらいですね。

 本当に今、すごく苦しいと思います」

「君に、何がわかる。ほっといてくれ」

吐き捨てるような声。

「でも、ある日、その苦しい気持ちが

 普通になったらどうしますか?」

「は?」

「片手しか使えないことに、ある時、

 急に慣れる日が来るんです」

「なんだと?」

凛子は一息ついて、陸の目をまっすぐ見た。

「私は今、右目がほぼ見えてないんです」

「え?」

「初めはきつくて歩くのもやっとでしたが、慣れました」

「でも、君の目と俺の手じゃ価値が違うんだよ」

ピアノの奥から凛子はタンバリンを取り出した。

「これ、どう思いますか?」

「……は?」

彼の眉が、わずかに動く。

「ピアノが弾けないなら、世界一のタンバリン奏者を目指せばいいかと」

「……馬鹿にしてる?いや、馬鹿なの?」

「真剣です」

「……いや。タンバリンは打楽器だ。メロディ楽器じゃない」

低い声が、空気を震わせる。

「ならハーモニカもありますよ。

 あ、ピアニカもいけるんじゃ……」

私が楽器を袋から出そうとした、その時。

「……君、本気で言ってる?この状況で」

「本気です。

 生きてさえいれば——音は奏でられます」

至近距離。

台本通りに私は彼の顔に近づく。

まっすぐ見上げると、彼の視線が、揺れた。


次の瞬間。


「あははは!」

陸は、吹き出した。

「なんだよ、それ」

——ここまでが、脚本。

なのに。

彼は間髪入れずに、続けた。

「俺の絶望を、タンバリンで救おうとするなんて」

笑いながら、彼は私を、じっと見つめる。

恥ずかしくなって目を逸らし、私は袋を見ながら続けた。

「鈴とカスタネットもありますよ」

彼の指が、手の甲を、すうーっとなぞる。

——ドクン。

身体中が、一気に熱くなる。

けれど彼は、何事もなかったかのように、

するりと私の手からタンバリンを取った。

「……悪くないかも」

台本にない、甘くて、低い声。

「どんなものでも、音は出せる。

 音楽の原点に、戻れってことか」

目を細めてにっこりと、微笑む。

そしてさらに陸は凛子に顔を近づけてきた。

「変な奴め」

——近い。

近すぎる、と思った瞬間。

おでこを、軽く指でトンッと弾かれた。

「……ハイ!カットーー!!」


その一声で、現実に引き戻される。

私はきっと、顔中真っ赤だった。

暑くて、息が詰まって、

でも——なぜか、笑ってしまった。


監督が、頭を抱える。

「悲しいだけじゃなくて、

 少し笑えるシーンにする程度の予定だったが……

 君らの色気は、なんだ!!」

一瞬の沈黙。

「アドリブで、

 二人の化学反応、見せてもらったよ!」

プロデューサーも続けた。

「……笑えるのに

 さらに、ドキッとしたぞ。

 採用だ!!」

監督の声に、拍手が起きる。


一方、

“正しい感動シーン”を用意していたリカは、

口を開けたまま、固まっていた。

「……なによ、今の」

けれど、スタッフたちが小声でささやく。

「サブカップルの方が……印象的でしたね」

「ユキさん下積み長いんですかね。

 空気作り、かなりすごいですね」

撮影が終わり、

ふと彼を見ると、シン君も、こちらを見ていた。


目が合って、思わず、笑ってしまう。

「お疲れ様ー!」

「初日から、すごかったです……! 本当に、よろしくお願いします」

「はは。こちらこそ」

スタジオの光の影で。

たくさんの人に囲まれながら、

彼と同じ時空を過ごせる喜びを噛み締めたいた。


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