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第12話 貧窮の過去と天空のひととき

 元々、学校では目立たない存在だった。

母が病気で亡くなってから、

私はさらに、誰とも交わらない生活になった。

温かいご飯を囲んで笑い合う――

そんな時間は、きれいに消えた。


六畳の台所と四畳半の部屋だけの、古いアパート。

父はどうやら別の居場所を見つけたらしかった。

帰ってこなくなり、生活費が置かれることはなかった。

頼れるのは、母が残してくれたわずかな貯金だけ。

粉末スープと食パン一袋で一週間。

それが当たり前だった。


母が使っていた小さなノートパソコン。

それが、私の最後の砦だった。

連絡も、申請も、情報も、全部そこから。

抱えるようにして、

無料Wi-Fiの使える区民センターに通った。

給付金、奨学金――

調べ尽くして、どうにか高校には進学できた。

でも、生活はもっと苦しくなった。


給食がない。

食事が、遠い。

アルバイトもした。

飲食店、コンビニ。

でもスマホを持っていない私は

「連絡が取れない」という理由で続かなかった。

そんな中、同級生の代打で入った撮影所の日雇いバイトだけが

唯一、続けられた。

毎回、ケータリングも出る。

――それだけで、生き延びられた。


高三の頃。

撮影所の片隅から流れてきた一曲。

それが、MUSEだった。

♪ 

 帰ってスニーカー脱いで

 靴下の穴に気づく

 今日も一日色々あったね

 でも、帰ってこれた自分に乾杯しよう

その歌詞に、足が止まった。

どうしてこんなに、

私の生活を知っているんだろうと思った。


区民センターに行って、PCで調べた。

作詞作曲をすべてしている青年――

シン。

当時、まだ二十歳。

オーディションに落ち続け、

自分の曲を送り続け、ダンス練習生で通いつめ、

四年目でやっと見つけてもらえたと語っていた。

自分とほとんど変わらない年齢の誰かが、

こんなふうに人生を切り拓いている。


私は、何をしてきたんだろう。

そう思った。


それから毎日、

彼の曲を聴きながら働いた。

夜中まで続く撮影。

真冬の屋外現場。

体力が続く限り働いた。


――生きるために。


大道具のバイト先で、初めて友達ができた。

ミナコとサキ。

MUSE推し。

たったそれだけの共通点で、

二人とは本当に仲良くなれた。

作業中、三人でセットを組みながら、同じ曲を口ずさむ。

ケータリングのお弁当を囲む時間は、

一番楽しみだった。


「新曲聴いた?」

「前と全然違うのに、かっこよかったよね!」

「『雷と水が出逢うところで会おう』って歌詞が好きで……」

二人は目を丸くした。

「そっち!?」

「うちらサビとダンス見てた!」

笑い声が響いた。

「ほんとユキはシンくん大好きだよね」

「歌詞がちゃんと届いてるんだね」

胸がいっぱいになった。

ずっと孤独だった世界に、

温度が戻ってきた瞬間だった。


その後、スカウトされた時。

「ユキ、絶対いいと思う!MUSEに会える機会もあるかもよ?」

「すごく似合うよ!お願いだから、頑張ってやってみて!」

二人が女優業を応援してくれた。


事務所に入ってからも、

二人が就職した後も。


この関係だけは――

何より大切なままだった。


-------

(その私が!!

 サキとミナコと一緒に、ここに立っているなんて)

高く聳え立つビルを見上げ、

私たちは三人そろって震え上がった。

「ねえ、嘘でしょ?」

顔を見合わせた次の瞬間。

「どうしよう、安いジーパンで来ちゃったよ!」

「わーん、私も四千円のバッグなんだけどー!!」

私とミナコは、そろって顔面蒼白だった。

「この格好で入るの……?」

「場違いにも程があるよー!!」

完全に正気を失っていた、そのとき。


サキが、私の背中をぱんっと叩いた。

「大丈夫。ユキはもう立派な女優さんなんだから

 堂々としてなさい」

「……ほんと?」

「確かに、別格になったなって思うよ!」

ミナコもこちらを見つめてくれた。

――初めて、二人からそんなふうに言われた。

胸の奥が、じんわり熱くなる。

「……ありがとう!!」


「ミナコも、ワンピース似合ってて、ちゃんと綺麗!」

「サキこそ!ネイルまで完璧に仕上がってる!」

三人で顔を見合わせて、うん、と頷く。

――きっと、大丈夫。

そう思えた。

私たちは並んで、芸能事務所のエントランスへ足を踏み入れた。


受付で電話をかけると、

シン君がわざわざ一階まで降りてきてくれた。

「ようこそ。ユキさんからお話、聞いてます」

彼の登場に、二人は深々と頭を下げた。

「今日はありがとうございます!町田ミナコです」

「畑野サキです。よろしくお願いします」

「名刺入れいただけて、感動しました!」

「神棚に飾ってます!」

「また何かお渡しできると思うので、思い切り使ってください」

「そんな……!」

「では、こちらへ」笑顔のシン君が案内してくれる。

「わあああ……!」

ミナコとサキは、両手で口を押さえた。


――三人で何度も聴いて、歌ってきた曲。

それを、作り上げてきた人。

(すごい……もう死にそう)

(夢見てるみたい)

目を合わせて小さく頷き合いながら、

裏側のエレベーターへ乗り込んだ。


一気に上昇し、扉が開く。

目の前に広がる、無数のビル群。

その隙間と、タワーの向こうに、ちらりと見える海。

――圧巻の、“大東京”。


展示エリアには、観葉植物と、空間を仕切るおしゃれな衝立。

ライブグッズやDVD、コピーライト商品が整然と並んでいる。

(ここ、ライブ配信で使われる場所だ)

思わず、三人で目を合わせた。

「……ここで、よく撮影されてますよね?」

ミナコの言葉に、シン君が笑う。

「よく知ってるね!」

シン君が手際よく頼んでくれたコーヒーとスイーツが運ばれてくると、

会話はさらに弾んだ。


「シン君の歌、いつも三人で歌いまくってます!」

「バイト時代は、大道具セッティングしながら!」

「お話、ユキさんから聞かせてもらいました。

 本当にありがとうございます」

シン君からの言葉に、ミナコもサキも大興奮していた。


「『HIT and RUN』とか!『WAKE UP MUSE』とか!」

「『教室時代』も!!他にもたくさんありますよ!!」

次々に飛び出す曲名に、シン君が少し不思議そうな目で私を見る。

「……そっか。ユキさん、俺の曲、結構知ってたんですね」

私は慌てて、ミナコとサキの袖を引いた。

(お願い……!!

 二人とも、この辺で止めて……!!)

事前に、

――女優だし、大ファンだったことは内緒で。

そうお願いしていたはずなのに。


ミナコは“任せて”とでも言うように目配せして続ける。

「私たちがずーっと流してたので、自然に覚えたんです」

「ユキは普段、他には音楽とか全然聴かないですけど」

「……本当〜?」

からかうように笑って、シン君がまっすぐ私を見る。

どくん――

心臓の音が、やけに大きく響いた。

青空と流れる雲を背に、シン君の笑顔が眩しかった。


「ライブとか、来てくれたことある?」

「はい!二年前の横浜アリーナの演出、すごく感動しました!

 他は抽選で漏れてしまいましたが……」

そのサキの言葉にミナコは小さめの声で続けた。

「私は初期からほぼ全て行ってます!!」

「わあ、ありがとう。

 次、ライブがある時は……ぜひご招待しないとね」

「いいんですかると!!!」

三人で歓声を上げる。


 周囲では、他のグループやスタッフさん達。

部外者は誰もいないようで、少し不安だった。

私は思わず、シン君を見る。

「休日に、ここまでファンサービスしていただいて……

 本当に申し訳ないです」

「むしろ、こんな素敵なみなさんなら、大歓迎だよ」

シン君の笑顔を見て、

胸の奥がふっと緩んだ。


彼は終始、クールどころか、

見たことがないくらい、楽しそうだった。

「正直な気持ちを言うと」

ミナコが、少しだけ緊張した顔で口を開く。

「うん。教えて」

「シン君って、もっとクールなイメージだったので、

 びっくりしました」

ははは、とシン君が笑う。

「普段は、割とそうかも。

 今日は……楽しいからかな」

「ありがたいですー!!」


--その瞬間。


「シンのこと、よくわかってるねー!」

背後から声がした。

「ノア君!!!」

ついたての上から、ひょこっと顔が覗く。

ミナコの目が見開かれ、完全に固まった。

「シンがこんなに楽しそうにしてるの、

 俺も初めて見た」

ニヤニヤしながら、彼はテーブルへ座った。


「呼んでないから。

 邪魔者は、あっち行ってなさい」

シン君がわかりやすく睨む。

「一人楽しそうでずるいやん!

 俺も混ぜてよー!」

テレビのままの、人懐っこい仕草。

「あの……ミナコが、ノア君推しで……」

サキがすかさず、シン君にお願いする。

「じゃあ、写真撮る?サインいる?握手もする?」

シン君は先回りして、

「どうぞどうぞ」とノア君を差し出した。


「なんでもいいよ」

と、ノア君まで笑顔で答えてくれた。

ミナコは喜びすぎて固まっていた。

「……実は、デビュー当初のファンミも毎回行ってました」

「だよね。覚えてるよ」

「え?」

「すごく久しぶりに会えて嬉しい!!」

ノア君の笑顔に、ちょっと不思議そうな顔のミナコ。


彼はミナコを覗き込んだ。

「アニメの五歳児のグッズ、

 毎回俺に持たせて写真撮ってたよね」

ミナコの顔がハッとする。

「覚えてくださってるなんて……」

「今日も綺麗だね。

 毎回言ってると思うけど、

 俺、他の人には絶対言わないんだよ」

「そ、そうなんですか……?」

今にも倒れそうなミナコ。


ノア君はふいに隣へ寄り、

さっと自撮りをする。

「急でごめん。

 この写真、送っていい?」

「もちろんです!!!!」

ミナコは耳から首まで真っ赤になっている。


ノア君とLINEを交換したミナコが、

届いたメッセージを見て、ぱっと顔を上げる。

ノア君の目配せに、

ミナコもそっと返信していた。

「ノア君と写真撮れてよかったね」

そう言って、私がミナコを見ると

本当にとろけるような表情だった。


すぐ横で、またブラッドベリーの香りがした。

シン君が隣に座って、声を落とした。

「……ユキさん、ノアのことは“君”付けなんですね」

ふいに、シン君がそう言った。

「え?」

胸が、ひくりと跳ねる。

ファンの癖で、無意識に君付けしてしまっていた。

――まずい。


シン君の顔が、ほんの少しだけ近づいた。

「俺も……シン君がいい」

「え……でも、シンさんも

 私のこと、ユキさんって呼びますよね?」

「じゃあさ」

軽く笑いながら、彼が言う。

「監督たちみたいに、ユキちゃんって呼びたいな」

「……え」


「ユキのほうが、いい?」


その瞬間、

世界が、スローモーションになった気がした。


――ユキ。シン君にそう呼ばれただけで、


自分の名前が、特別なものみたいに感じる。

身体中が熱くなってきて、

言葉が、何も出てこない。

「……」

「はは。そんなに考え込まないでよ」

くすっと笑ってから、彼は言う。


「じゃあ……ユキちゃん、でお願いします」

私の言葉に、シン君はいたずらっ子のような笑みを浮かべた。

「……俺のことも、君付けにしてね。ユキ」

「結局呼び捨てですか?」

思わず、そう返してしまう。

「うん。なんか……しっくり来ちゃって。

 だめ?」

ニヤニヤしているシン君。

早い鼓動がバレそうなくらい近い距離。


刺激が、強すぎる。

「……ちゃん付けからで、お願いします」

「わかったよ。ユキちゃん。ははは」

彼は楽しそうに笑った。

「お仕事のときは、

 ちゃんと“さん”付けにするね」

「……はい」

コーヒーを一口飲んで、

高鳴る鼓動を、そっと落ち着かせる。


大きなビルに、空の雲が映り込んでいた。

現実とは思えない、天空のカフェ。

夢のような時間が、

静かに、静かに、流れていた。


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