第11話 策略と秘密裏の差し入れ
ドラマの撮影は、五人家族の母の物語から一度離れ、
三十歳の青年実業家が難病を宣告される展開へと移っていた。
緊急手術。
そこから一か月――青年は、
身体を動かせない状態を余儀なくされる。
仕事も、立場も、一度すべてを手放し、
精神的にも追い詰められていく。
主人公と外科医、そしてカウンセラーの凛子。
三人はそれぞれの立場から、彼を支え続ける。
リカ演じる主人公も、凛子も、
丁寧で献身的なケアを重ねていく中。
外科医と音楽家の二人は、
もどかしい立場に追い込まれていった。
その青年実業家を演じるのは、
顔面国宝として名高い、白石シュウセイだった。
白石の登場に現場が沸いた。
シュウセイはスタッフの方へ視線を向け、にっこりと微笑んだ。
全員との挨拶を終え、
リカと私、白石さんの三人で撮影が始まった。
段取り通り、撮影は驚くほどスムーズに進み、
休憩に入ったタイミングで、私はそっとその場を離れた。
――リカが、白石さんとかなりいい雰囲気に見えたから。
次のシーンで、嫉妬する外科医を演じるカイトは、
現実でも完全にジェラシーを感じている様子だった。
あらぬ誤解や余計な波に巻き込まれないように。
私は距離を取って、車で待機していた。
すると――
駐車場から、
大量の華やかなお菓子袋を抱えたノア君が颯爽と現れた。
パーカーと帽子を脱ぎ、メガネを外した彼は、
太陽を浴びて少し眩しそうな表情を浮かべる。
まるで、背後に花と星が舞っているみたいだった。
(さすが、MUSEのビジュアル四銃士……映画スターみたい)
「きゃあああ!!」
ドラマ現場に慣れているはずのスタッフからも、
再び歓声が上がる。
ノア君は彼特有の軽やかなステップで現場に入り、
「差し入れです」
とADさんにお菓子を渡すと、
そのままテーブルセッティングまで手伝い始めた。
(MUSEって、やっぱりみんな人がいい)
遠目から、ついファン心で彼を目で追ってしまう。
そこへ、リカと白石さんも挨拶にやってきた。
この世のものとは思えないほど美しい二人の男性に囲まれ、
リカは、華やかな笑顔を浮かべている。
――近づかない。
何があっても、車の中で身を潜めると決めていた。
その時――
『ノアの差し入れのババロア、おいしいよ』
シン君からメッセージが届いた。
わあ……羨ましい。
そう思いながら、返事を考えていると――
コンコン。
車のガラスを叩く音がした。
顔を上げると、外にシン君が立っている。
「お届け物でーす」
「シンさん!ありがとうございます……!
いいんですか?」
「一緒に食べよう」
辺りを確認してから、
私はシン君を隣の席へ招いた。
「小さな車ですみません……!」
「全然」
ニコッと笑って、ババロアを手渡してくれる。
「これね、ここの土地で採れた果物が入ってるらしいよ」
「わあ……!ありがとうございます」
撮影の合間でも食べやすい、軽くて優しい甘さ。
気遣いが、そのまま形になったようなスイーツだった。
「本当に美味しいですね。最高です」
「ね。現場でこういうお菓子の時間、俺すごく大事にしてるんだ」
ラジオで何度も聞いていた言葉を、
今ここで直接聞けるなんて。
「お菓子との出会いも、一期一会ですもんね」「ほんと、それ」
この撮影合宿での、シン君との時間も――
きっと、すべてが一度きり。
もう、今日で最後かもしれない。
そう思いながら、そっと彼の横顔を見る。
車内を漂う小さな埃が、
彼の周りで魔法の粉みたいに揺れている。
かすかに、ブラックベリーの温かな香りがする。
淡いピンクの唇、長い指、整えられた短い爪。
時間が、スローモーションになったみたいだった。
(シン君……美しい時間を、ありがとう)
マネージャーから電話がかかってきた。
『ユキー、あと五分で撮影入るから。急いでおいで〜』
「はい!」
「俺もだね」
もう、昨日までのような時間は訪れないだろう。
今の時間も、忘れないようにしよう。
そう心に刻んで、撮影へ気持ちを切り替えた。
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午前中から、撮影は驚くほど順調に進んでいた。
午後にはノアがマネージャーと一緒に、
地元のスイーツを大量に買い込み、
即席の差し入れテーブルを作ってくれた。
それを受け取ったシンは、
撮影の合間にユキにババロアを渡し、
ほんの数分でも一緒に食べられたことで、
胸の奥が少しだけ緩んだ。
スタッフたちが笑顔で「ありがとうございます」と
声をかけながら通り過ぎていく。
海沿いの診療所での撮影は、今日で一旦撤収だ。
中盤以降は一か月後に再び泊まりがけ、
その他は東京のスタジオが中心になる。
明日は朝の撮影後、そのまま自分は解散する。
その後しばらくは、MUSEの広告やPRが立て込み、
また慌ただしい日々が始まる。
第四話のシーンをいくつか撮り終え、
シンはノアとマネージャーのもとへ戻った。
しばらくはリカとカイトの夕暮れ時の撮影に移るらしい。
シンの今日の出番は夜八時までなかった。
「シン、お疲れー!」
「……お前、まだいたのか」
控室の鏡の前に腰を下ろすと、ノアが悪びれもなく笑う。
「このまま泊まっちゃダメ?」
「帰れよー」
軽くあしらった、その時だった。
「あ、そういえばさ」
ノアが、ふと思い出したように声のトーンを落とす。
「さっきスタッフさんたちが、ちょっと不気味だねって話してて」
「何が」
メイクさんがアイシャドウのリムーバーを構えたのを見て、
シンは目を閉じた。
「診療所の近くの浜で、ポーチの落とし物が見つかったらしいんだよ」
その一言に、シンは思わずノアの方を見た。
「人もあんまり通らない場所だし、
海水で濡れて砂まみれで。
中身も……その、下着だったらしくてさ」
ノアは眉をひそめる。
「持ち主に返ってきても嫌だろうし、
さすがに処分かなって話になってた」
「……海水浴客の忘れ物じゃないのか」
「まだ五月だよ?」
シンは、密かに確信していた。
(ユキさんのポーチだ)
三年前。
彼女は、誰の目にも明らかないじめを受けていた。
そして――その時の声を、シンは今でもはっきり覚えている。
(耳の記憶には、自信がある)
テレビで初めて西村リカを見たとき、
あの頃の“あの声”と重なって、背中に冷たいものが走った。
監督から主題歌の依頼を受け、
キャスト表を見て感じた嫌な予感がした。
(倉庫の中で、ユキさんは気づいていなかったけど……
あの時、身体が震えていた)
二人の間に、よほどの過去があるのだろう。
直接聞くことはできない。
だが、今回のことも――ただの偶然とは思えない。
(これ以上、危険な芽を育てるわけにはいかない)
シンは静かに息を整える。
(どうすれば、ユキさんに危害が及ばず、
なおかつ波風を立てずに済む?)
答えは、すでに一つ浮かんでいた。
――意識を、逸らす。
彼女の視線を、
ユキではない“もっと目立つ場所”へ。
策士な王子は、
その瞬間、静かに盤面を動かし始めていた。
撮影中も、休憩中も、
シンはユキとリカの動きを注意深く追っていた。
ドラマの中で、サブカップルの展開が盛り上がり始めた頃。
完全に――リカの意識が、ユキへロックオンされた瞬間があった。
(アドリブを極力減らして、メインカップルに花を持たせなければ)
演技の流れを装いながら、内心で静かに修正をかける。
そして今日。
メイクの席から、少し離れた撮影現場脇の大テーブルが見える。
白石やカイトと話しながら、ひときわ弾けた笑顔を見せるリカ。
おのずとシンの中で算段が固まった。
(とりあえず、全イケメンをリカの元へ配置して、
ユキさんに気が回らないようにしよう)
メイクが終わる前、鏡の前でさりげなくノアに声をかける。
「そういえば、主演の西村さんだけど」
「うん?」
「MUSEの中では、ノアが一番かわいいって言ってたぞ」
「マジか?話してくる!」
単純なノアは、すぐに立ち上がる。
そして、なぜかこちらにウインクして、
勢いよくリカの元へ駆けていった。
その背中を見送りながら、
シンは小さく、満足そうにうなずく。
ノア、白石、カイト。
三人に囲まれてお菓子を手にするリカの姿は、
まるで王女のようだった。
そこへ、スタッフや他のキャスト達も引き寄せられていった。
(いいぞ、ノア。もっと調子に乗らせてあげてくれ)
そして、その華やかな輪の中に――
ユキの姿がないことも、しっかりと確認する。
また車で待機しているようだ。
撮影中、アドリブは目に見えて減った。
どうやら彼女も、自分と同じ方針で動いているらしい。
(きっと、ユキさんも危機管理できてる)
この現場を、波風立てず、
「いいドラマだった」で終わらせたい。
その気持ちは、彼女も同じはずだ。
そんなことを考えながら
テーブルの上のスマホを何度も見つめていると、
ふいに画面が震えた。
『さっきはババロアをありがとうございました!
ぺこぺこのお腹に、フルーツの味が染みました!』
文字を読んだ瞬間、思わず吹き出してしまう。
――三年前も、お腹をすかせていたっけ。
(たくさん、食べさせてあげたいな)
少しすると、メインカップルと監督、数人のスタッフは
一度撮影で、浜辺の方へ歩いて行った。
「終わったらまたここに戻りますので!」
リカが白井に大きな声で手を振る様子が見えた。
すると、ノアからラインが来た。
『キャストさんやスタッフ達と盛り上がってるから行けないけど
今、夕暮れのグラデーションがすごく綺麗かも』
そのラインを見て、ふと目を上げる。
向こう側でMUSEのマネージャーがまた大量の袋をノアに渡した。
「サンドイッチとスープもどうぞー!」
ノアは他の全員を巻き込んでパーティーのようだった。
他の者たちも大テーブルに、椅子を持って集まっていた。(ノア、気を遣ってくれてるのかな)
いつもおどけて見せながら、周りを優しく気遣うノア。
知らないそぶりで、こっそり、
時間をくれたに違いないと確信した。
メイクや着替えを終わって、メイクさんもそちらを向いていた。
「食べに行ってきて大丈夫だよ。
俺まだ2時間あるし、少し部屋で休んできていい?」
「うん。マネージャーに連絡しとくわ」
メイクさんがそちらへ歩き出すと同時に、駆け足でその場を発つ。
そして急いでスマホの操作をした後、さっきの車をノックした。
「シンさん!」
ユキは驚いた様子だった。
「俺たち、あと2時間、待ち時間あるけど、
部屋に夕日見に行かない?」
「いいんですか?もしかして昨日、私の声、漏れてました?」
笑いながら、ユキは帽子をかぶって車を降りてくれた。
人目を避け、再び訪れた最上階。
扉を開けた先に広がるトワイライトの絶景に、
ユキは感嘆の息を漏らした。
「さいっこうに綺麗ですね!」
シンも胸の奥があったかくなる。
ピンポーン。突然チャイムが鳴って、驚いてユキがこちらを見る。
「大丈夫、待ってて」
そう告げると、シンは玄関から紙袋と
温かいスープのパックを二つ持ってきた。
「デリバリーで頼んじゃった」
「ええ?!」
「全然、いらなかったら大丈夫だけど、もしよかったらどうぞ」
「いただきます!!」
ユキは前のめりに即答してくれた。
「パプリカのポタージュと、
キノコの豆乳スープ、どっちがいいかな?
全粒粉のパンもついてるよ」
黄色いスープと小さめのトーストは見た目も可愛かった。
海を眺めながら、テーブルにパックを並べる。
「パプリカお願いします。香りもたまらないですね!!」
一口飲んで、二人で顔を見合わせる。
「わあ!おいしいし温まります!」
「ほんと」
「体型管理しながらちゃんと美味しいもの食べられるなんて、
やっぱりさすがトップアイドルですね」
「女優さんにそう言ってもらえてホッとした」
シンは本当に安心したように笑った。
「シンさんのスレンダーな美しさは、
こう言うものから作られてるんですね。
勉強になります」
「また、そんなこと言って」
(俺がアイドルグループの中でも、
個性担当だってわかってないのかな?)
真正面からそう言うことを言われたことがなくて、不思議な気分になる。「でも、ユキさんも元々細いよね?」
「ふふふ。私は想像を絶する貧乏だったんですよ」
「また、極端な言い方して」
思わず二人で笑ってしまう。
シンには、ユキの大胆で軽い言い回しがおかしくてしょうがなかった。
「本当ですって」
ユキは、ボウル手に抱えながら、もう一度海と空をゆっくり眺めた。
「あったかいスープをいただきながら、
こんな最高に素敵な景色見れるなんて!!
とても自分の世界とは思えないです。夢見てるみたいです」
「慌ただしいし、発泡スチロールの容器で申し訳ないけど」
「いえ、正直本当に最高です。
この3日間、夢のように幸せな時間をありがとうございました!!」
ユキは改まって、シンを見て深々と頭を下げた。
(まるでこの先がないような言い方だな)
「そんな、、、」
程なくして、マネージャーから確認の連絡が入る。
十五分後にはメイクルームに戻って、八時からのシーンに備える。
あっという間の時間だった。
今日はいつものようなおかしな出来事が起こることもなく、
そのままあっさりと時間が過ぎて行って、
また駐車場でさっと二手に分かれた。
メイク室に戻って現場付近を覗くと、
まだまだみんな盛り上がっていた。
メインキャストも監督も入って、騒いでいた。
そこにお酒が入ってないとは思えないほどいい空気だった。
このまま、リカの目に見える場所やドラマの現場では
何事もなかったように過ごしたい。
(さっきのが最後とは思いたくない
……どこか、別の場所でユキさんに連絡を取れないかな)
今しがた、二人きりで話した時のことがよみがえる。
嬉しそうに笑う顔。
少し高くなる、明るい声。
(俺と彼女は……割と親しくなったと思っていいのかな)
自分の感覚を信じてみたい。
でも、急に誘ったら――怖がられるだろうか。
そんなことを考えながら、
『今度、うちの事務所の展示場に
お友達と一緒に来ませんか?
東京タワーと海が見えるよ』
と、スマホで打ち終える。
一瞬だけ迷い、
それでも――勇気を振り絞って、送信ボタンを押した。




