第10話 突然の訪問者の祈り
朝、目が覚めてすぐ、カーテンを開けた。
五月の光とは思えないほど、真っ青な海が広がっている。
白いホテルのシーツも、
小さなテーブルも、
きらきらと光を返していた。
――ブーン。
振動と同時に、新しいメッセージが届く。
『昨日もおかげさまで、よく眠れたよ。ありがとう』
(シン君から……!!)
メンバーキャラの黒猫がにっこりしているスタンプも
一緒に送られてきた。
思わずベッドに突っ伏して、枕を叩きまくる。
わあああ!!と、声にならない叫び。
落ち着け、落ち着け、と自分に言い聞かせながら、
ゆっくり返信を打つ。
『よかったです! 今日も撮影、よろしくお願いします』
すると、すぐに返事が返ってきた。
『こちらこそ』
胸がどきどきして、天にも昇る気分だった。
どうせすぐ役のメイクをしなければならないことはわかっている。
それでも、朝食のためだけに、
今日は念入りに、下地やハイライトを重ねてしまう。
――――
マネージャーと一緒に朝食会場へ向かうと、
ちょうどリカやカイトたちが、食事を終えて出ていくところだった。
席を確保して、ビュッフェを回りながら、無意識にシン君の姿を探してしまう。
その時――
目を疑う光景が、視界に飛び込んできた。
黒いパーカーのスウェットセットアップ。
黒いスニーカー。
パーカーの下にはキャップ、そしてメガネ。
その人物が、シン君の隣に立っている。
(……昨日の私と、まったく同じ格好)
驚いて、反射的に視線を逸らした。
(もしかして……ノア君、本当に来たの?!)
観葉植物の影に身を潜めて、そっと様子をうかがう。
マネージャーさんが受付で支払いを済ませ、
二人はそのまま会場へ入ってきた。
ノア君は、シン君と話しながら、ビュッフェを回っている。
メガネ越しでもわかる大きな目。
人形のように整った骨格。
(本物だ……!!
どうしよう……ノア君推しのミナコのために、写真撮ってあげたい……!)
しかも、ノア君はきょろきょろと、周囲を見回していた。
――ブーン。
またスマホが震える。
『結局ノアが来ちゃって。
マネージャーに泊まったのかって聞かれてたよwww』
黒猫が大笑いしているスタンプが並んでいて、
思わず吹き出しそうになる。
私は慌てて、
冷や汗をかいているウサギのスタンプを送った。
胸の高鳴りと、
少しだけざわつく予感を抱えたまま。
――この朝は、まだ、始まったばかりだった。
-------
その前の夜――
ノアは飛び起き、思わず手で口を押さえた。
深夜だったが、一気に目が覚める。
『昨日、マネージャーが俺の部屋で人を見間違えて、
ノアが来たことになってるから、口裏合わせてもらいたい』
一瞬、意味が分からなかった。
そもそも、普段シンから
個人的なメッセージが来ること自体、ほぼない。
それなのに、こんな前代未聞の頼み事とは。
『どういうこと?
俺がそっちに遊びに行ったってことにしたらいい?』
すぐに返事が来た。
『そう』
……それだけ?
誰かがシンのロケ合宿の部屋にいて、
それをノアと“見間違えた”なんて。
おかしい。
普通、来客は必ずマネージャーに紹介する。
(これは……何かある)
そもそも作詞作曲に没頭しているシンが、
ドラマ出演をすると聞いた時点で、
メンバー全員でひっくり返るほど驚いた。
(怪しい匂いしかしない!!!)
幸い、今日から完全オフ。
明日もレッスンや仕事は入っていない。
――行くしかない。
メンバーを出し抜いて、
シンの部屋の“ノアになりすました誰か”を突き止める。
(シンの恋愛かも!!
どうしても俺が一番に知りたい!!)
まだ空が暗い明け方。
勢いそのままに車へ乗り込み、
ノアはシンたちが滞在するホテルへと向かった。
暗い高速道路を走りながら、
ノアの脳裏には、先日のライブ前の光景が浮かぶ。
もともと、シンは繊細なタイプだった。
アンチの書き込みや、過剰な中傷は見ないようにしても
耳に入ってきた。
未だに、アイドルだからという理由だけで
楽曲そのものを否定されることは、日常茶飯事だ。
シンは、メンバーの想像以上に精神的なダメージを受けていた。
デビューして数年で不眠症を患い、安定剤を飲み続け、
過労で身体まで限界にきている。
前回、ステージの直前。
シンが点滴や痛み止めを打っているのを
ノアは初めて目の当たりにした。
あの時の衝撃は、今も胸に残っている。
(シンの心を、少しでも明るく照らしてくれるものがあるなら……)
--それが人なら。
女の子ならすごくいいな!!
(俺は全力で味方する)
シンが、少しでも元気になってくれたらいい。
夜明け前の空の下、
ノアはまだ見ぬ“彼女”の存在を思いながら、
静かに祈っていた。
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午前六時。
シンの部屋の扉を叩くと、すでに起きていた彼が、
目を丸くして立っていた。
一瞬、驚いたように廊下を見回し、
すぐにノアの腕を掴んで部屋へ引きずり込む。
「……なんで来たんだよ!!」
「え? だって、口裏合わせてって言うから」
「来いとは言ってないだろ!?」
「ちょうど休みだったし、いいじゃん!!」
シンは頭を抱え、深くため息をついた。
そのあと、ノアを上から下まで舐めるように見て
――無言で手を伸ばす。
パーカーの中に被っていた白いキャップを外し、
自分の持っていた黒い帽子を、ぐいっと被せた。
その瞬間。
ドンドンドン!!
「シンー、入るぞー!」
大きなノックと共に、マネージャーとメイクさんが入ってくる。
「なんだ、ノア。昨日、帰れって言っただろ?」
「そのまま泊まったんだ」
ノアが平然と答えると、
シンはさらに目を細め、意味ありげに睨みつけた。
「……しばらく休みで、暇だったのか?」
マネージャーも呆れた顔でノアを見る。
「うん。俺もシンの撮影、見学していい?」
「それなら……差し入れ買ってこないとな。
近所で良さそうな店、探さないと」
「ほんとだ!」
「朝食取りながら検索しよう」
その一言に、シンは露骨に嫌そうな顔をする。
「え……こいつも?」
「わーい!俺もご飯食べたーい!」
「……金は出してやる」
ため息をつくシンを横目に、
全員でそのまま二階へ向かった。
(さて……どの子だ?)
ノアは胸を高鳴らせながら、会場を見渡す。
主演女優か。
サブカップルの相手役か。
脇役にも、アイドル出身の新人女優がいると聞いている。
ビュッフェ会場に、まだ他のキャストは少なかったが、
すぐに監督や助監督がぞろぞろと入ってきた。
シンがノアのパーカーとキャップをぐいっと深く引き下げる。
「やめてよー」
「お前は静かにしてろよ」
マネージャーが立ち上がり、丁寧に頭を下げる。
「すみません。本日、メンバーのノアが来てしまいまして。
見学させていただいてもよろしいでしょうか?」
「おはようございます!突然申し訳ありません」
ノアも一緒に、深々とお辞儀をした。
「トップアイドルが見学に来てくれるなんて、嬉しい限りですよ」
「久しぶりだなあ、ノア君。楽しんでいってくれ」
監督たちは、笑顔で許可をくれた。
「それとも友情出演するか?」
「え、いいんですか?」
「わはははは!」
そのやり取りを、少し離れた席から
二人の女優が見ていた。
(新人女優さんと……相手役の子だ!!)
二人とも、こちらに気づいて軽く会釈をする。
その横で――
シンが、こっそりスマホを操作している。
しかも。
柔らかく、垂れ目になった、
今まで見たことのない笑顔で。
(……お?)
ノアは思わず顔を上げ、
シンの視線の先を追った。
相手役の女優が、スマホを見て、
ふっと口元を緩める。
(キターーーーー!!!)
ノアは心の中で叫んだ。
(ついにこの日が来た!!
絶対あの子だ!!
シンの初スキャンダルーーー!!!)
心の中で大地にひざまずき、
両手を天に掲げる。
(神様!!!
どうか、あの子がシンの気持ちを明るくしてくれますように!!
ああ、誰かに言いたい……ユウマ呼ぼうかな……)
そわそわとスマホを取り出そうとした、その瞬間。
隣に座るシンが、
また、鋭く目を細めていた。
「お前、ほんと……余計なことは何もするなよ」
「う、うん……もちろん」
冷や汗が背中を伝う。
けれど――ノアの胸は、驚くほど晴れやかだった。
(大丈夫だ、シン。
俺が来たからには――
何がなんでも、お前の恋を守ってやる)




