第89話 アドルフィーネの決断
(結局アイツは来なかったな――)
トール・レイズの「鑑定」からもうそろそろ1月半ほどが経過する。
アドルフィーネ・マインツァは自分の執務室のソファに背を預けながら、いつものように報告書に目を通している。
先程入れた紅茶がそろそろ冷めてしまうころか。
あのあとすぐ、サンザーレのギルドマスター、カイン・ジュダートから報告が上がってきていた。
トール・レイズは、東のレドラトーへ向かったらしい。
冒険者として世を渡っていくのであれば、悪い選択ではない。
レドラトー周辺にはさまざまなクエスト案件が転がっている。人口も多く、街も大きいこともあるが、なによりも、ダンジョンの数が多い。それも、中級から上級まで種々様々だ。
トール・レイズが一介の冒険者にしか興味が無いのならそれでいい。仮に『勇者』や『英雄』に興味を持ち、野心に満ちていた場合、トール・レイズは今後、なにかと『面倒な存在』になり得た。
その時は、私の仕事も面倒なことが増えるというものだ。
――これで一つ、『希望』が消えたか。
そう思いながら、次の報告書に手を付ける。
報告書は、カイン・ジュダートからのものだった。
『アドルフィーネ・マインツァ殿
トール・レイズがレドラトーへ向かったという報告は前に上げた。
こちらは、お前の指示通り監視を続けている。
その監視員レイラ・バトンからの報告が返ってきたので、伝えておく。
トール・レイズは、付添人のラムディエル・ロウともう一人、ジュエレー・ノルという女と3人でパーティ登録をしたらしい。因みにトール以外の二人は新規の冒険者登録ということだ。
しかしながら、この二人、かなりの強者のようで、すでにトールと同時に『銀級冒険者』へと昇格を果たしたという。
判断は任せるが、一応報告をしておく。
なお、3人は今もレドラトーで活動していることに変更はない。
また何かあったら、連絡する。
サンザーレ冒険者ギルド長 カイン・ジュダート』
アドルフィーネは報告書をもう一度見返した。
あの女の名前があったからだ。読み違えではないかと再確認をしたのだ。
――ジュエレー・ノル!!
トールの『鑑定』からの帰りにアドルフィーネを襲ってきた軽剣士、あの女の名だ。
「どういうことだ……?」
たしかにあの女の実力は、黄金級冒険者かそれ以上だろう。それは、黄金級冒険者であるアドルフィーネ自身が良く分かっている。
アドルフィーネは怪我の状態から判断し、離脱する決意をしたのだが、あれが戦場なら、そういう判断は下さなかったろう。
自分自身の不覚に対する言い訳にしかならないが、戦場であれば、結果は違っていたという「思い」はある。
そのジュエレー・ノルがトール・レイズと共にいるというのだ。
そもそも仲間だったのか?
そうして、トールのもとへ鑑定をしに行ったことを連絡し、自身の素質を見抜かれたトールが私を殺そうとした?
いや、まて。
そう深読みするのはあまりに情報が足らなさすぎる。
偶然出会って意気投合した、という推察の可能性とほとんど変わらない。
トールについては、レイラ女史に監視を続けてもらい報告を受けるだけで充分だと思っていたのだが、ジュエレー・ノルが絡んでいるとなると、話が変わってくる。
(これはやっぱり、自分で確かめるしかない、か――)
そう決断をすると、アドルフィーネは飲みかけの紅茶を飲み干す。やはり、もう冷めている。
カップを持ったまま執務机の方に移動したアドルフィーネは、机の引き出しを開き一枚の書類を引っ張り出した。
『休暇届』だ。
『鑑定決定書』を取り出さなかったのは、自分のプライドによるものかもしれない。
アドルフィーネは『休暇届』にサインをすると、それをもって部屋を出た。




