第79話 トール、「公衆浴場」に入る
「ここだよ」
ジュエレーが建物を指さして言った。
なるほど、入口の暖簾に「湯」と書いてある。なんとも分かりやすい表記だ。
夜中もすでにとうに回っているにもかかわらず、煌々と明かりが灯っている。
一階建ての建物の屋上部分から黒い筒が天に向かって生えているのが、ぼんやりと宵闇の中に透けて見えていた。
「こんなのがあったのですね。この街にも――」
ラムが少し驚いて誰にともなくそう呟いた。
「ラムは知らなかったんだな?」
と、トールが問う。
「ええ。私がこの街に来たのは随分と昔のことだったので、その時にはこんな建物はなかったと思うんですが――」
と、ラム。
「そりゃそうさ。この『公衆浴場』は、つい一年ほど前に開店したところなんだぜ。私も、仕事の合間にこの街に寄った時に知ったのさ。ほら、いくよ?」
と、ジュエレーが率先して暖簾をくぐる。
「男一人と、女二人ね」
ジュエレーが受付の女性にそう声を掛ける。
ラムが、いいんですか? というような表情をこちらに向けるが、さすがに案内されておいて、お前の分は自分で払えよとジュエレーに言うのも気が引けるというものだ。
トールは、構わないという意思を伝えるために、ラムに向かってこくりと頷く。
受付嬢に3人分の料金を支払い男と女の二手に分かれて「脱衣場」に入ると、かなりの広さにトールは目を見張った。
この「脱衣場」だけでも、トールの木こり小屋の4倍ほどの広さがある。
部屋の中には戸棚が積まれたようなものが整然と並んでおり、まわりの人の様子を見るに、その箱の中に脱いだ服を入れておくようだと理解したトールは、それに倣って装備や服を棚に入れ、鍵を掛ける。
鍵には輪っか状のひもが付けられていて、どうやらそれを手首に巻いておくらしいと周囲の人の様子から察して倣う。
そうして、その脱衣場の入り口と正反対に位置する扉へと向かった。
引き戸を開けて中に入ったとたんに、トールはさらに驚く。
脱衣場のさらに4倍ほどの空間がそこには広がっており、天井が無い。
ただ、その広場の中にはあちらこちらに「池」のようなものがあり、その中に人が浸かっている。
広場の周囲にはかなり高い壁がそびえていて、壁の向こうに建物の影を見ることができなかった。
(なるほど。外から中も見えないようになっているってわけか――。それにしても広いな――。これが全部、風呂だというのか)
初めて見る「公衆浴場」の様相に、驚かされてばかりのトールだった。
(それにしても、この「腕」、消えないだろうな――?)
トールは自身の右腕に視線を落とす。
ラムとは分断された空間にいるはずだが、「腕」は相変わらず存在している。
『ああ、実は随分と魔力量も回復してきまして、遠隔操作ができるようになったんですよ。さすがに数百メートルは無理ですが、このぐらいの距離なら、大丈夫です』
と、ラムが頭の中に囁きかけてきた。
ラム、有能すぎるだろ――。
ということなので、トールは心置きなく「公衆浴場」を堪能することにした。




