殿下、私は王の影にございます
「皆のもの、聞いてくれ!このエドワードが、今ここに、学園を荒らした犯人を明らかにし、この騒動に終止符を打つ!」
ぱん、と大きく手を叩き、注目を集めた男子生徒が両手を広げて朗々と演説を始める。
この国の王太子のお言葉だ。
思い思いに卒業パーティーを楽しんでいた生徒が皆、紳士淑女の礼をとって、広間の中心に立つ王太子を囲む。
壁にピッタリと背中をつけて壁の花に徹していた私もその場でそっとドレスの裾を広げた。
広間の端まで自分の声が届いたことを確認した王太子は一息置いてからまた話し始めた。
この間の取り方は王太子の天性のものだ。自然と、人に聞かせる力がある。
「ことの起こりは半年前。この学園にとある生徒が転入してきたことだ。エリワナ=ヴォルテ男爵令嬢。前へ」
「はぁい!」
王太子の声に応えて広場の端の方から元気な声が上がり、ややあってピンク色のドレスを着た令嬢が広間の中央へ駆け寄った。
淑女が、人前で走るなどあり得ない。
たとえそれが王太子の呼びかけであってもだ。
それも、ドレスの前を掴んであげて走るせいで、白い足首がちらちらと覗く。その様子に数名の女生徒が扇で口元を隠した。
「エリィ、よく勇気を出してきてくれたね。さあ、私の隣へ。……知っての通り、エリィ……ヴォルテ男爵令嬢は、半年前まで、平民として暮らしていた。そして、その類まれなる魔法の才を見出されて数年前にヴォルテ男爵家の養子となり、貴族となった」
王太子の腕にしがみつき、キャピキャピと周りを見回すヴォルテ男爵令嬢。貴族としてはあり得ない醜態だ。
「これは、この国の貴族法上、認められた行為だ。手続きに瑕疵はなく、滞りなくエリィは貴族であると認められている」
王太子は懐から取り出した紙束を見せつけるように掲げ、ぐるりとあたりを見回した。
私は少しばかり驚いた。あれは確かに貴族院の判の押された、正式な書類。エリワナが、ヴォルテ男爵家と養子縁組を結ぶための。まさか、王太子があの書類を手にしているとは思わなかったのだ。
「……で、あるにも関わらず、この半年、彼女を平民と見下し、嫌がらせが絶えず行われていたと聞く。これは、この国の法を無視した、重大な悪行に相違ない。……このことから、私は、これを父へ報告し、国の力を持って捜査するべき事柄だと考えた」
その言葉に、広場が大きくざわめく。
当然だ。王太子の父とは、この国の王に他ならない。その王の力を借りる、と王太子は口にしたのだ。
「父は、私に自身に仕える影を自由に使って良いから私の手で答えを出してみよ、と仰せになった。父から、私へ与えられた期限は卒業まで。そして、この卒業パーティーですべてを明らかにせよ、と。……そのため、私は独自に調査を続けてきたのだ」
王太子が目に力を込めて睨むたび、嫌がらせに心当たりのあるものたちが目を逸らす。気の弱い令嬢は今にも倒れそうだ。
それにしてもおかしな話。
貴族であるヴォルテ男爵令嬢を平民として嫌がらせを行ったことが罪だとは。……それでは、平民に嫌がらせをすることは認められるとでもいうのだろうか。
横目でちらりと特待生として認められた平民たちの姿を探すと、皆が皆、どこか不満そうな、めんどくさそうな顔をしている。
彼らは皆優秀な成績を収め、この国の各地できっと成功を収めるだろう。
その時、あの王太子に彼らは忠誠を誓うだろうか。
「――そして、私はひとつの結論を出した」
王太子の声が響き、意識を戻す。
ヴォルテ男爵令嬢を引き寄せ、堂々と背筋を伸ばした王太子は、いつのまにか、人混みを通すようにしてこちらを真っ直ぐに見つめていた。
「ジゼル・アイギスタン伯爵令嬢!さあ、前へ出ろ!!」
聞き間違いようがないほどはっきりと呼ばれた名前。
私と王太子の間にいたものが素早く避け、真っ直ぐに道が開かれる。私は淑女の礼を解き、王太子の前へ進み出る。
「……アイギスタン家のジゼル、今御前へ参りました」
二人の前へ進んで、改めて、腰を深く折った。
「よく来た、アイギスタン伯爵令嬢。……お前は、伯爵令嬢という立場でもあり……そして、王家の影でもある」
どよめきが最高潮に達した。
当たり前だ。王の影の存在を、この場で明かして良いはずもない。
内心で舌を打ち、次の言葉を待つ。
「私は、王家の影の中でも共に学園に通う其方に、エリィへの嫌がらせの全容を掴んで報告せよと命じた。そうだな?」
「……その通りにございます」
「では、聞くが、其方、……私に本当に正しい報告をしていたと誓えるか?」
「私は王の影にございます。命じられた通りに仕事をするまで」
そう答えた途端に、王太子はダン、と足を踏み鳴らし、私の答えを止めさせた。
「嘘はいい。私が、何も気が付いていないと思っているのだな、アイギスタン伯爵令嬢……いや、ただのジゼルよ。貴様が私にあげた報告は嘘ばかり。それはそうだろうとも。――貴様自身が、エリィに嫌がらせを目論んだ真犯人なのだから」
ばさりばさりと頭の上から大量の紙が降らされる。
まるで、かつて破られた教科書の残骸を頭から被せられていたヴォルテ男爵令嬢のように。
散らばった報告書を睨みつけ、頭を下げたままでいる私に、王太子はなおも続けた。
「さぞや簡単な仕事だっただろうな。なにせ、犯人である貴様が報告書を作るのだ。犯人など、それで見つかるはずもない」
スポットライトがそこにあるかのように両手を広げて斜め上へと差し出した王太子が大袈裟に嘆く。
「その立場さえも利用し、学園を混乱に陥れた罪は重い。よって、アイギスタン伯爵令嬢から貴族の地位を剥奪し……」
「嫌ですわ」
不意に響いた声に、王太子がぴたりと動きを止めた。
今の声は、私ではない。
私ではなく、王太子の言葉を遮ることができる位置にいたもの。
その声が聞こえたことにホッとして、私は身を起こした。
先程まで、キャピキャピとした笑みを浮かべていたヴォルテ男爵令嬢が静かな笑みを浮かべている。
「……エリィ?」
「私が貴族の地位を剥奪される言われはございませんわ。さあ、エリワナも、もうよろしくってよ」
王太子のエスコートをさりげなく振り払い、こちらに手を差し伸べたヴォルテ男爵令嬢……否、ジゼルお姉様の手を取る。
「ああ、お労しいジゼルお姉様。人前で、あんな恥ずかしい真似をさせられて。それが使命と言っても、何度庇いたかったか」
「その気持ちが嬉しいわ、エリワナ。これもすべて必要なことだったもの」
ジゼルお姉様が困ったように周囲を見れば、数名の女生徒が腰を折る。
先程、王太子の前へヴォルテ男爵令嬢として駆け寄った時にあまりのいたわしさに眼を背けてしまった心優しいものたちだ。
事態についていけていないのは、王太子だけであった。
「……は?」
ぽかんと口を開けた王太子はぐるりと周りを見回して、広間にいる半数から向けられる視線にようやく気が付いたようだ。
ジゼルお姉様は、王太子に向き合い、完璧な仕草で淑女の礼をとった。
「……今まで、身分を偽っていたことを、お詫びいたしますわ、王太子殿下。私はジゼル・アイギスタン。アイギスタン家の正式な跡取りにして、王の忠実な影ですわ」
王の影は、国の至る所にいる。
王太子も今回、王の影を動かす許可を得たことで、その存在を知っただろうが、王太子が思うよりもその存在は広く、根強いのだ。
続けて視線で促され、同じように頭を下げる。
「身分を偽っていた事を、お詫び申し上げます、殿下。私はエリワナ=ヴォルテ。ヴォルテ家と養子縁組をした……王の影の一員ですわ」
王太子が持っていたのは、私が養子縁組をした際の書類だ。
私は、王の影ではあるが、影同士の間に生まれた子だったから、それまで貴族の籍を持っていなかった。
それを利用して、私とジゼルお姉様は、入れ替わって学園へ入ることにしたのだ。
――全ては、王の命じるままに。
「エリィが、アイギスタン令嬢で……ヴォルテ男爵令嬢が……ジゼル?」
王太子はいまだに事態を飲み込めていないようで、眼を白黒させている。
「私たちは、王の影」
ジゼルお姉様がにこりと笑う。
「すべては王の名のもと。王の了承のもとで行われたことですわ」
同時に、広間の端が俄かに騒がしくなる。
ざわりとゆらめいた空気のまま、ざあっ、と音を立てて道が開く。先程、私が王太子に呼ばれた時と同じように、それよりも緊迫感を持って。
つまり、その相手の登場は、王太子の言葉よりも重いということ。
そんな人物は一人しかいない。
「父上!」
厳かに歩んでくる人物を認め、王太子が小声で叫ぶ。
この国の王の登場に、一斉に皆が最敬礼で迎えた。
「よい。顔を上げよ。許す」
鷹揚な声でそう告げた王が、私たちの方を見て、ため息をついた。
「結論は出たようだ」
「ええ、陛下」
ジゼルお姉様が頷く。
「エドワード。……これは、お前を試すための試みであったのだ。自身で真実を見抜けるか。お前が選ぶ結末がなんなのか。……お前は、最悪の道を選んだようだ」
王の言葉に、王太子がサッと青ざめる。
ジゼルお姉様をちらりと見れば、微笑み返してくれた。
私とジゼルお姉様が入れ替わっていたことは、調べればすぐにわかったこと。学園には、お姉様の小さな頃を知っているものは沢山いた。
王太子のそばへ潜り込ませた協力者が、私が真犯人だと囁いた時、王太子は疑うべきであった。矛盾する二つの報告を、精査もせずにわかりやすい方へ飛びついてしまった。私が、ジゼルお姉様と学園で接触したことなんてないに等しいのに。
王太子は、気がつくべきであったのだ。これが、王の試練であることに。現王がかつて王太子であった頃、卒業パーティで、同じように王の試練が課された事でさえ、調べればすぐにわかるようになっていた。
ぐるりと周りを見れば、同じように青ざめている貴族の姿が見える。
王太子と同じように、ジゼルお姉様と私に騙されていたものたちだ。……彼らにとって、王太子と同じ年に生まれた事は不幸かもしれない。少なくとも、そうでなければ、今この場で自身に能力がない事をひけらかす羽目にはならなかっただろうに。
調子に乗って、ジゼルお姉様に嫌がらせをしていた面々に、かける情けなどないが。
「……エドワード、愚かな次代の王」
王が嘆く。
かつて、試練を乗り越えた身からすると、一層思うところがあるのかもしれない。
別に、この試練を誤ったからと言って、王太子から外されたりしない。エドワード王太子が、いずれ王になることに変わりはない。
ただ、王太子はこの場で示してしまったのだ。
次代を担う、貴族たちすべてに、自分に王たる素質がない事を。
王に、王たる資質がなかったとして、国は回る。優秀な臣下が執務を取ればいい。
ジゼルお姉様がにっこりと笑った。
「ご安心なさいませ、殿下。我々は王の影。いずれ、王となられたその時は、影に日向に、お仕えいたしますわ」
それは、お飾りの王とされることへの宣告のようなもの。
自分に執行権が与えられない事を察したのだろう王太子が、口を震わせて、その場に膝をついた。