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第8話:違和感

 見渡す限りの大草原──

 セリスはアルバトロスに搭乗し、大自然の中を駆け抜けていた。

 ウィンドウには朝の光が差し込む。いつものように窓を開け、ユグドラシルの空気を感じながら髪を風になびかせていた。

 フロントガラスにはARにより草原に目的地までのコースが浮かび上がって表示されている。


 遠くにはドローンの羽音が響いている。自然保護区の観察は、大半がドローンによる空からの定量分析だった。

 熱画像、葉面反射、群生の密度……データは瞬時に集まり、解析されている。

 だが森林の内部は違った。葉の裏の湿り、幹の微かな温度差、根元に潜む微生物。そうした細部は、機械の目だけでは読み切れない。だからセリスはいつもここへ来る。直接、土を踏み、樹に触れるために。



『目的地到着まで、およそ10分です』

「ありがとう。周囲に異常はない?」

 LLリストのAIが観測ドローンと連携し、周囲の安全を確認していた。

『現在のところ、森林地帯に異常は検知されていません』

 セリスが目指していた場所は、都市から少し離れた自然保護区の森だった。この森には、ユグドラシルから伸びた根が剥き出しなっていた。

 ユグドラシルの本体は遥か遠くにあるが、その巨大な根が地下に張り巡らされ、その根から樹々が育ち森を形成していた。


 森の入り口に到着したアルバトロスは、車体をゆっくり地面に降ろした。

『目的地に到着しました。現在、周囲の気温は13度、湿度は65%です』

「ありがとう。……朝の森は冷えるわね。バイオサーマルコアをオンにしておいて」

 スーツ内部に備わるヒートシートが温まる。自然環境の中では温度変化が激しく、体温調整は必須機能だった。

『バイオサーマルコア、正常稼働。……セリス、手先の温度が少し低下していますね。グローブの温度調整を開始します』

 冷え切った指先に温もりがじんわりと染み渡る。



「……あたたかい」

『今日はいい茶葉が届いていますよ。帰ったら温かい紅茶を淹れましょう』

「ふふ、それは楽しみね」

 セリスに似た女性のシルエットをしたホログラムが、微笑むように話しかける。それは、一人の人間に寄り添うような様子だった。

『この先は少しぬかるんでいます。足元に注意してください』


 セリスは慎重に森の奥に進んでゆく。周囲の細かな変化を見逃さぬよう、丁寧に観察しながら進んでいた。

 次第に巨大な幹が現れ、手元の位置で立ち止まった。左腕のリストを幹に向けながらホログラムウィンドウを覗き込んだ。リストのセンサーが幹から流れる樹液をスキャンする。光合成効率が測定され、数値はいずれも安定していた。

「今日も問題なさそうね……」

 セリスは幹に触れながら微笑みかけた。



 森の冷え切った空気を胸に吸い込み、呼吸を整え、周囲を静かに観測する。

「……なにかが、動いた」

 セリスは遠くの枝の先を見つめると、ホログラムウィンドウにリスの姿が映し出された。小さな体をせわしなく動かし、口にくわえた木の実をせっせと運んでいる。

 この森林地帯には、小型の哺乳類が多く生息している。ユグドラシル全域で大量の樹液や落ち葉や”供給”され、植食性の昆虫や小型の哺乳類、それらを捕食する猛禽類や蛇が生息していた。

 枝から枝へと軽やかに飛び移る様子を見て、セリスは微笑んだ。

「ふふ、動物たちも元気なようね」

「……」

 ホログラムは静かに消えていた。

 AIはセンサー類の集計処理に集中しているような様子だった。


 セリスは幹の周囲を歩き、観察しながら更に奥へと歩みを進める。

 気が付けば、見た事のない景色が目の前に広がっていた。巨大な幹の根元に、小型車両が出入りできるくらいの穴があり、洞窟になっているようだった。

”このような巨大な巣穴を作るような動物は観測されてなかったはず……”



 日は高く昇り、すでに正午を過ぎている。帰還に向かう予定の時刻を過ぎていた。

「ねぇ、この穴は何?周囲に生物の気配はない?」

 セリスはリストのAIに問いかける。

「……」

 しかし、AIから応答はなかった。応答しないなんてことは今までなかった……。

 セリスはホログラムウィンドウを手動で操作し、周囲の環境を調べる。特に変わった様子はなさそうである。

 AIのロジックが停止しているのだろうか。そんなこと、今まで聞いたことも無い。強烈な違和感がセリスを襲う。

 ユグドラシルの幹に沿うように穴が続いている。リストバンドのライトで周囲を照らしながら、ゆっくりと中に足を踏み入れた。

 そこは、ユグドラシルの根が地下に空洞を形作っていた。空洞内は湿り、根の表面が僅かに発光し、根の脈動が壁から伝わってくるようだった。

 まるでユグドラシルの心臓部に触れているかのような感覚を覚えた。



 その時、急にセンサーのライトが消えた。

「……えっ!なに!?」

 リストの電源が切れたように、ホログラムウィンドウが消滅する。あたりは静粛と暗闇に包まれた。

『Life Link Support AI 再起動を開始します』

「……っ!」

 暗闇の洞窟で、不意に響き渡る機械的な音声。

 左腕のリストには、”Reboot”の赤文字が浮かび上がる。

”ここに来てから何かがおかしい……”

 セリスは、初めて感じるような恐怖に襲われた。


 セリスは来た道を死ぬ気で走った。

──洞窟から抜け出し、森を駆け抜けた。ぬかるんだ地面に足を取られ転倒する。それでも、ただひたすらに走り抜けた。

 どこをどう走ったのか、もう覚えていなかった……。

 ただ、アルバトロスが見えた時の安心感だけが、セリスの記憶に残っていた。

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