第7話:休暇
セリスは第3区画の街外れをゆっくりと歩いていた。
午後の日差しが彼女の髪を照らし、そよ風が頬を撫でる。向かう先は、ひっそりとたたずむ木造建築のカフェだった。
店内は、心地よい静寂と本の香りに包まれている。読書の時間が、人々の疲れをそっと癒している。
都市部の郊外では、こうした自然素材を活かした家屋のカフェが、一部の人々の間で人気を集めていた。自然保護区の森林地帯では、ユグドラシルAIが最適な間伐処理を行い、森林の生育環境を守っている。
伐採された木々は都市部に運ばれ、様々な用途に活用されていた。
セリスは休暇にはこうしたカフェを巡る事が多かった。
決まった席、決まった飲み物、そしてページをめくる動作が、彼女の中で日常と非日常を分ける境界線を引いてくれる気がした。
扉をくぐると、セリスは窓際の席に腰を下ろした。
オーダーは、日替わりパスタランチセット。この店はユグドラシル自然保護区の食材にこだわっており、セリスはそれを目当てに訪れていた。
流通する食材の多くは都市内で生産されているが、自然保護区の調査や生態系維持の観点から、捕獲・採取された食材が一部流通している。
しかし、これらの食材は直前まで品目が分からず、大量供給も見込めないため、飲食店向けに少量だけ流通していた。
店内を香ばしい匂いが包み込む。フライパンの中でキノコが弾けるように音を立て、表面にこんがりとした焼き色がついていく。湯気とともに立ち上るバターの香りが、窓際の席まで届いていた。
読書に没頭していたセリスの意識は、ゆっくりとパスタへと引き寄せられていく。
”やっぱり、パスタランチセットにして正解だった。今日もいい日になりそうね……”
「……すみません」
目の前の少年の声で、セリスは我に返った。
まだ10代前半の華奢な体つき。透き通るような声、きれいな銀髪……。
その少年はセリスに微笑みかけ、口を開いた。
「相席、いいかな?」
”……いや、よくない”
「……はい、いいですよ」
少年はくすっと笑い、悪戯っぽい口調で話しかけてくる。
「もう~、セリスちゃんったら、心の声が顔に出ているよ?」
セリスはため息交じりに応えた。
「どうしてレン君がここ(第3区画)に?」
タカミ・レン(Takami Ren)──特別資源管理官。
第7区画の特別主任研究員。最も長く主任研究員を歴任している。
細身で少年のような容姿をしているが、遺伝子操作の副作用により外見年齢が固定されている。
穏やかで思慮深く口数は少ないが、セリスと二人きりの時にはよく話しかけてくる。
「ボクだってこの店のファンさ、月に一度は来ているよ。特に、ここの”きのこパスタ”は絶品だよ」
「ええ、それには同意するわ」
ほどなくして、二人の前にパスタとサラダが運ばれてくる。
「きのこクリームパスタと、ツナとセロリのサラダのセットでございます」
バターソテーされたきのこから、ふわりと広がる香りが食欲そそる。
新鮮なセロリとツナが、少量のマヨネーズと酢で和えられ、爽やかな食感とさっぱりした風味が心地よい。
セリスが、テーブル横にあるホログラムモニターを操作する。
食後のドリンク、ユグドラシル産茶葉の紅茶。これもセリスにとって外せないメニューの一つだった。
「ふふ、セリスは本当に紅茶が好きだよねー。あ、ボクはアイスカフェラテ……」
「ご自分でオーダーしてください」
そう言うと、セリスは手元の本に目を移していた。レンはわざとふてくされたような顔をしてオーダーを入れる。
”ん?……森の宝石:ユグドラシルのきのこ図鑑”
レンはオーダーを入力しながら、セリスの読んでいる本のタイトルが目に留まった。
”ユグドラシル野草クッキングガイド……”
「へぇー、セリスは料理もするの?」
彼女にしては珍しく、食材や料理のレシピ集を読んでいる。
「……あまりしません、食材として興味があるだけです」
「ふふ、セリスが植物の味にまで詳しくなったら、もうAIに植物のことを聞く必要なくなっちゃうねー」
この年長者はいつもニコニコ笑いながらからかってくる。
可愛い見た目に許してしまう自分が、少し悔しい。
そうしているうちに、紅茶とカフェラテがテーブルに届く。
セリスはいつものように、ユグドラシル産の茶葉の産地に思いを馳せる。
レンはニコニコと笑みを浮かべながら、小説を読みつつアイスカフェラテを飲んでいた。
ボーン、ボーンと鐘が鳴り、木製の振り子時計が14時を告げる。気が付いたら1時間ほど経過していた。
セリスは目の前の少年にちらりと目を向けるが、彼はまだ楽しそうに小説を読んでいる。
「……ところで、第3区画に来た本当の理由は何ですか?」
レンは小説を閉じ、にやりと笑う。
「それは秘密だよ、セリスちゃん」
セリスは眉をひそめる。
ちらりとレンの手元にある小説の表紙に視線を落とす。
”また、ライトノベルというやつね”
彼女の視線に気づいたレンは、パッと表情を明るくして楽しげに話し出した。
「そう! 明日はここ(第3区画)でノベルマーケットが開催されるんだよ!」
レンは目を輝かせながら”ノベマ”と呼ばれるイベント告知のホログラムを見せてくる。
明日はノベルマーケットの開催日。第3区画で年に一度、小説家の卵たちが集まるイベントだ。
レンはいつも『推し作家の異世界ファンタジー本』を買い漁ると張り切っているけど、私にはその魅力がいまいちわからない……。
そんなことを考えながら、セリスはレンの熱弁を聞き流していた。
「セリスも来ればいいのに。意外と面白いってー」
「いえ……私は行かないけど、楽しんできてね」
本当に、この少年は不思議だ。
何にでも目を輝かせ、思い立ったようにイベントに顔を出す。だが、群れに混じることはなく、いつも一人でいる。
「あなたは……小説は書かないのですか?」
「え、ボク? 書かないよ。みんながどんなものを創り、どんな物語で心を動かされるのか、興味あるんだ」
セリスはこの少年の言葉の意味がよくつかめなかった。
「それが、推しの作家を応援するということですか?」
「う~ん……ちょっと違うかな」
レンは小説を鞄にしまい、帰り支度を始めた。
彼の表情からは、いたずらっぽい笑みは消え、柔らかな微笑みが浮かんでいた。
「そういえば、セリスが新人の教育にすごく熱心だって評判だよ」
セリスは軽く肩をすくめる。
「そうですか。ですが、人材育成はどの区画でも急務です」
レンは鞄の紐を直しながら言った。
「うん、でも無理はしないでね。君のペースで大丈夫だからさ」
「心配はご無用です。研究の進捗に問題はありません。第3区画の成長域も順調で……」
レンは手を挙げて言葉を遮った。
「そうじゃないよ」
レンは鞄を肩にかける手を止め、少し身を乗り出してセリスの目をじっと見た。
「ユグドラシルと対話できるのは、君だけなんだから」




