第2話:大自然の車窓
ユグドラシルの領域は7つの区画に分割され、それぞれ異なる自然環境が生まれ、その環境に応じた都市が各区画に存在している。
都市の周囲には防護壁が敷かれ、壁の上部から半透明のエネルギーシールドが展開されていた。研究所の職員以外は、ユグドラシルの自然保護区への立ち入りは禁止されている。
防犯だけでなく、環境保護の観点からも、都市部と自然保護区は完全に隔てられている。それぞれの都市間は超伝導リニアで接続され、都市間の移動にはリニアレールが使われている。
ユグドラシルの大自然を駆け抜ける高速列車──
その車窓からは、果てしなく広がる緑の大海原が見渡せた。木々の葉が風に揺れ、野生動物が一瞬姿を見せる。遠くには世界樹の巨大な枝が空を覆い、生命の息吹を感じさせる。
セリスはリニアレールの車窓から広がる大自然を眺めるのが好きだった。景色も美しかったが、何よりもデータでは捉えきれない生きた自然の息吹を肌で感じることが心地よかった。時間がゆっくりと流れ、心が安らぐこの瞬間は、彼女にとって何よりの癒しだった。
彼女は、植物を観察するときは“植物の目線”で見るべきだという信念を持っていた。空撮やデータ観測だけでは自然の本当の声はわからない。若木や苗の目線、つまり地面すれすれの高さから大地を見ると、見えてくるものもある。
一見、緑が生い茂っているように見えても、苗木が食い荒らされて全く育っていなかったり、外来植物の影響で生態系のバランスが崩れていたりする。
しかし、その姿が周囲の人から異様にみられているのは言うまでもない。
人は土砂崩れや洪水などの実害や災害予測を見て判断するため、環境破壊が深刻化してから対策を講じることが多い。
また、森林減退や生物多様性の減少など、目に見える変化が顕著になってから危機感を抱くことも少なくない。そこに、環境を守れなかった根本的な要因があるのではないか──セリスは自問するように、心の中で呟いた。
次第にセリスは、その瞳の奥に、遠い過去の記憶を映していた。
幼い頃、誰もいない荒野で植物に話しかけていた日々。孤独な少女にとって、植物は唯一の友達だった。小さな芽に話しかけ、励まし、まるで心が通じ合っているかのように感じていた。
「大きくなってね。負けないでね」
その声は風に乗り、静かな大地に溶け込んでいった。
芽はゆっくりと揺れ、まるで応えるかのように葉を震わせた。セリスは微笑みながら、そっと手を伸ばしてその小さな命を包み込んだ。
「君が強く育つことが、私の願いなんだよ」
孤独な日々の中で、少女の心は赤々と希望が輝いていた。
大人になった今も変わらず、彼女の心はユグドラシルの自然と共鳴し、強い使命感を抱いている。
「この世界を、守らなければ……」
セリスの胸に、新たな決意が沸々と湧き上がる。けれど、幼い頃の記憶は断片的で、あの荒野の場所が思い出せない。既にあの荒野には緑が生い茂り、この流れる景色の一部になっているのかもしれない……。
それでも、植物たちとの会話は鮮明に覚えている。
あの時話しかけた植物が、自分に応えてくれていたような気がして、『あの子にもう一度”逢いたい”』と願っている自分がいた。まるで初恋の幼馴染と離ればなれになったような気持ち……。
自分でもおかしな奴だなと、苦笑いしてしまう。
今でもそう。植物たちが、話しかけてくれている気がして……
「……主任。……セリス主任!」
目の前で話しかけられていることに、ようやく気が付いた。
「……あら、レナード。あなたも同じ列車でしたか。少し考えごとをして、気付きませんでした」
レナードと呼ばれる男性は、セリスと同じ第3区画の研究所に所属する職員だった。
「僕だけではありません。第3区画メンバーの大半はこの列車に乗車しています」
レナード ・シンクレア(Leonard Sinclair)──通称”レオン”(Leon)
第3区画所属、精密観測チーフマネージャー。
卓越した観察眼と冷静な判断力でチームを牽引しつつ、内に熱い情熱を持つ青年。第1区画研究所の出世コースを進むだろうと誰もが思っていたが、本人の強い希望により、第3区画研究所に所属している。
「セリス主任は前日入りされなくて大丈夫だったのですか?本部長方々は昨日のうちに、中央研究所に向かわれましたよ」
「……ええ、懇親会が苦手ですので。……他では言わないでくださいね」
「なるほど、わかりました。お任せください」
レナードは遠巻きに見ていた同僚たちの座席に戻っていった。
「おい、レオン……。セリス主任、なんだって?」
「あぁ、体調が優れないんだそうだ……。大丈夫、任命式には出席される。問題はない」
セリスは、人混みの中での社交は苦手な方であった。
「あの人、今年も特別主任継続なんだって? すごいよなぁ」
「当然だろう、あの方の観測分析は完璧だ。我々、第3区画の精密観測は、ドローンセンサーの計測値だけでは割り出せない、最適な育成環境を導く必要がある」
「……確かに。あの人の育成成功率は群を抜いていたな」
”懇親会、か……。そうか、あれから5年も経ったのか──”
新入職員の中から、成績上位10名が選抜され、研究所幹部との懇談の機会が設けられていた。レオンは、5年前の懇親会に呼ばれた日のことを思い出していた。




