第17話:元気溌剌
第2区画研究所。ここでは植物に対する新たな遺伝子導入試験が行われていた。
ユグドラシルの外側の世界では荒廃した大地が広がっている。地球の緑を蘇らせるためには、極端な環境変化や病害虫に強い遺伝子を導入し、持続可能な成長を確保する必要があった。
しかし、新しい遺伝子の導入は未知のリスクを伴うため、慎重な試験と検証が不可欠であった。
ここでは、外の過酷な環境に耐えうる植物を目指して、日夜研究が重ねられていたのだ。
「これは……想定外の反応です」
「すぐに試験を中断して!影響範囲を調査するわよ」
現場で指示を出しているのは、ミナ・カシワギ遺伝子工学主任。第2区画の特別主任である。
彼女の明るく活発な性格がリーダーシップとなって発揮され、部下との連携もスムーズに進み、問題の切り分けも迅速だった。
やがて、トラブルの原因が特定され、植物の異常成長は一時的な遺伝子発現の乱れによるものと判明した。
その日の終わりに、ミナは屋上庭園へと足を運んだ。緊張の連続だった一日を振り返りながら、静かな緑の中で深呼吸をした。
夕日を浴び、風に揺れる葉の音に耳を傾ける。ここが、彼女の心のオアシスだった。
「よし、明日も頑張ろう!」
ミナは笑顔を浮かべ、屋上を後にした。
研究所を出る頃には、夜の街灯が灯り始めていた。冷たい夜風が頬を撫で、時折空を見上げながら明日の仕事に思いを馳せる。
自宅に着くと、玄関に入るなり靴を脱ぎ捨て、まっすぐ浴室へ向かった。熱めに設定されたシャワーが勢いよくミナの体を叩きつける。こうして体の緊張を洗い流すと、頭の中がリセットされ、ミナの中でオンとオフが切り替わるように感じられた。
シャワーを終えると素早くバスローブを羽織り、冷えたグラスをビールサーバーにセットする。グラスの中で泡がゆっくりと立ち上がり、黄金色の液体が勢いよく注がれていく。
ミナはグラスを片手にソファにゆったりと腰を下ろし、ひと口飲んで息をついた。
「ふぅ、やっぱ風呂あがりの一杯が最高なんだよね!」
早速グラスを空にすると、両手をソファの背もたれに広げ、天を仰いだ。いつもソファに身を委ね思いにふける。
夜になると、普段のミナの行動力からは想像できないほど静かだった。
”セリス、あいつ大丈夫かなぁ……”
ミナはソファから立ち上がり、リビングの大きな窓辺へと歩み寄る。彼女は自宅のリビングから眺める夜景が好きだった。
外には煌めく街の灯りが広がり、その先には第2区画研究所のビル群が夜空に浮かび上がっている。
その光景を見つめるうちに、ミナの心はふと遠くへと向かった。
この閉じた世界ではなく、地平線の先に広がる地球の隅々まで、命あふれる大地が彼女の脳裏に広がっていた──
「ミナ主任、次の遺伝子発現まで数日掛かりそうです」
「主任、こちらの培養環境は調整できましたので、安定化するまで経過観察を行います」
翌日、次々にあがってくる報告は、安定化を待つフェーズのものだった。
「オッケー。これは観察班に任せて、次の導入試験のデータを解析システムにかけて」
「はい、承知しました。明日中には結果をご報告できるかと思います」
”どれも経過観察中ね、次のデータは解析待ちか……”
「ちょっと休憩行ってくるから、何かあったらリストにメッセージ入れてねー」
仕事の手が空いたミナは、屋上庭園に向かった。仰向けに寝そべり、太陽の光を一身に浴びる。
「セリスに通話できるかな?」
リストのAIに向かって話しかけた。
『現在、セリス様は第3区画ラボ内での会議に出席されている模様、お繋ぎしますか?』
「いや、会議中ならいいや。誰か暇してる人いるー?」
『ご友人登録されている対象をお調べします。……第6区画特別主任、ナタリア・グレイヴス様。本日は公休日ですが、通話モードはオープンです。現在、個人所有のラボにて工具のメンテナンスをしている様子です。お繋ぎしますか?』
「ナタリアにつないで」
『承知致しました──』
リストのホログラムにナタリアが表示される。赤茶色のショートカットに作業ゴーグルが特徴の、鍛冶屋のような出で立ちだった。
「おー、ミナじゃん。どうしたの」
「ナタリア久しぶりー。こっちはちょっと手が空いてて休憩中、そっちはどう?」
「いいタイミングで連絡してくれたよ。古代文明の遺産を、また再現できたんだ!ちょっと見に来なよ」
変わり者揃いの特別主任たちの中でも、ナタリアは特に個性的だった。ロストテクノロジーに強い関心を持ち、自宅には工場のようなラボを構えている。
「ふ~ん、ちょっと気分転換したかったところなんだ。明日そっち行くわ」
「え、あたしはいいけど、あんた非番なの?」
「いや、今から休み取ってくるわー」
「おいおいマジかよ、あんたの部下が不憫だわ」
ナタリアはそう言いながら大笑いしていた。
ミナはニコニコしながら研究室に戻る。
「あ、ミナ主任おかえりなさい。観察班への引継ぎは完了しました。あと、先日のトラブルに関する報告書なのですが……」
ミナは大げさなリアクションを取りながら、若い青年研究員の肩に手をポンッと置いた。
「ありがとう!君のような優秀な部下がいてくれて、嬉しいよー」
「……なんか、嫌な予感がするんですけど」
「原因に関するデータはまとめてあるから、後の報告書の準備は頼んだよ」
「え、丸投げですか?まさか、先輩……」
「うん、私は明日休む!明後日には戻るから、後はよろしくー」
「カシワギ主任、またですかー!」




