第8話 コーチと呼べ!
気合いを入れてきたという格好で現れた姉ちゃんだが、正直どうでもいいので話題をオレが一番聞きたいことに入れ替える。
「姉ちゃん、早いとこ練習メニュー見せてくれよ」
「……オージロウ。その前に、その姿は何? 上下とも学校のジャージで普通のスニーカーじゃないの! 田中くんはキチンと練習用ユニフォームでスパイクだというのに」
「そんなの持ってねーよ」
「リトルリーグで着てたのがあるでしょう?」
「そんなの小さくて着られないよ。オレをなんだと思ってるんだ!」
「……世話が焼ける弟」
「えっ!? よく聞こえねーんだけど」
「何でもない! 田中くんは新しく買ったのかしら」
「いえ、実は中学時代のヤツなんすけど、さすがにサイズがキツいです」
「そうなんだ。じゃあ今度オージロウのを買う時に一緒に見に行かない?」
「も、も、もちろん! どこまでもお供いたします!」
「別にそこまでしなくていいのだけど。それと靴はトレーニング用シューズ……ランニングシューズでもいいから別に用意したほうがいいと思う。練習でスパイクを履き潰すの勿体ないし、当分はあまり必要じゃないもの」
「それどういう意味だよ姉ちゃん?」
「それはねぇ……こういうことよっ!!」
「うわっ! なんだこりゃ!」
姉ちゃんはポケットから1枚の紙を取り出しながら広げると、そこにびっちりと書かれている練習メニューと大まかな順番が記された表をオレたちの目の前に突きつけた。
そしてその内容というのが、オレの想定とはかなり違ったものだったのだ。
「まずは準備運動! ストレッチから始める!」
「なに仕切ってんだよ姉ちゃん!」
いきなりの指示口調にオレは反発したが。
だがそれと同時に姉ちゃんは腕組みをして、グラサン越しに微かに見える視線はギョロッとオレたちを一瞥し、強い言葉でそれを組み伏せにかかってきた。
「このわたしにメニュー作りを頼んだ以上、口答えは許さぁんっ! それと今は『姉ちゃん』ではなぁい! 『コーチ』と呼べ、馬鹿者が!!」
「はい! コーチ!」
「しょーたテメー! 姉ちゃんを調子に乗らせるんじゃねえ!」
「時間が勿体ない! さっさと始める!」
「すぐにやります、コーチ!」
「ひええ〜、ヤバいことに!」
オレたちは肩まわり、股関節、体幹とひと通りほぐしてからランニング……だと?
「こんな狭いスペースでランニングなんて無理だって、姉ちゃ……コーチ!」
「このバックネットに沿ってぐるっと何回か回ればいいじゃない」
「えー、でも」
「サッカー部だってバックネット際まで練習に使わないでしょう! ならそれぐらい問題ないし、だいたい向こうにそこまで言う権限なんてない。だからさっさと走る!」
「はい! コーチ!」
「どーなっても知らんぞ!」
そういうわけでランニングを始めたオレとしょーたであったが。
ぞろぞろとグラウンドに出てきていたサッカー部の連中にジロジロと見られる羽目になった。
そして遂にキャプテンの人がオレたちの方へツカツカと歩いてきて言い放った。
「お前らには、バックネットの裏だけで練習しとけっつったよなー!? こっち側に一歩たりとも入ってくんじゃねえよ!」
「いやだって、そっちもこんな際のところまで使わないでしょう。これくらいは問題ないと思いますけど?」
「うるせぇ! 俺の言うことが聞けねーってのか、あ〜ん!?」
凄まれてオレたちは言い返せなくなってしまった。仕方がない、裏へ戻るか。
しかしそこへ姉ちゃんの強い声が響き渡る。
「サッカー部のキャプテンさんですか? 貴方こそ何の権限があってそのようなことを命令するのかしら!?」
「何をワケわかんねーこと言ってんだ? アンタこそナニモンだよ?」
「わたしは2年生の山田雛子です。ここにいるオージロウの姉ですけど、それが何か?」
「姉ちゃんに守ってもらってんのかよお前! それよりもアンタ、話をするなら帽子とグラサンくらいは脱げよな!」
「それは失礼。これでいいですか?」
その瞬間にキャプテンの人が見せた表情の変化は忘れられない。明らかにデレデレッとして鼻の下が伸びていく様はある意味見ものだったぜ。
「あ、あの。こ、こちらこそ失礼しました」
「で、このバックネットの周囲を使ってはいけないという根拠は何なのか、説明してもらえるかしら?」
「いえいえ、とんでもない! もちろん好きに使ってもらって構わないです」
「ちょっとキャプテン! なに勝手に!」
「うるさい! 同じ運動部同士、助け合い譲り合いの精神が必要だと、俺はそう思うんだよ」
「そうですか。それは感謝いたします、キャプテンさん」
「滅相もない! ところで雛子さんは野球ど……部のマネージャーとかですか?」
「いえ、ちょっと弟の様子を見に来ただけです」
「そうですか。いつでも遊びに来てください、俺ら歓迎しますんで!」
「キャプテン! 勝手に俺らって名乗らんでくださいよ!」
奴らはなんかまだもめてるようだが、これで少しは練習しやすくなったかな。
それにしても結局は姉ちゃん頼みか……さすがに情けないと心の中でヘコんだ。
「さあ、早く次のメニューに移る! 時間ないんだから!」
ひええ〜! 姉ちゃんのスパルタなコーチっぷりはまだまだこれからが本番なのであった。